子育て・教育

【寄稿】Withコロナの下で見えてきたかすかな光・1.5|子どもの未来のコンパス(24)

2022.03.31

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第二十四編。

     

                


     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

希望が見えた矢先に


    

コロナ禍の下で見えてきた教育をめぐるほのかな希望を書き始めた矢先に、何とも救いのない事件が起きました。

    

大学入学共通テストの初日、今年1月15日(土)に試験会場となった東大農学部の農正門外で、高校2年の生徒によって引き起こされた傷害事件です。私も試験監督をしていて、試験会場に緊張が走ったことを覚えています。70代の男性と男女の受験生2名が、刃物で刺されて、重軽傷を負いました。先日も、犯人の彼が70代男性への殺人未遂で再逮捕されたとの報道がありました。

    

    

救いがないというのは、被害者にとっては、本人には何の瑕疵もなく、いわば行きずりに背中から刃物で刺されたという、とばっちりとしかいいようのない、防ぎようのない事件だからですし、加害者にとっても「事件を起こして死のうと思った」とニュースなどでは報道されているように、17歳ですでに人生を諦めている、しかもひとりで死ぬのではなくて、誰かを巻き添えにして死ぬことを企図するという、そのことそのものが、やりきれなさの感覚とともに、それをどう受け止めたらよいのかという問いを私自身に突きつけ、私自身が、いいかえれば、おとなたちがそれに対して答えを持ち合わせていないという事実を突きつけられる、そういうことだからかも知れません。

    

そしてその背後には、普通に生きればあと70年も80年も人生があり、そこでは酸いも甘いも、辛いも苦いも、彼なりの人生が待っていたはずなのに、17歳で人生を終わらせようなんて思うなよ、なんでそんな思いに囚われてしまったのか、というやるせなさに絡みつかれた、甘っちょろい生への肯定があることも確かなのです。

     

    

だからなのかも知れません。カンザキイオリさんの「命に嫌われている。」をまふまふさんが大晦日の紅白歌合戦で熱唱し、人に生きることを押しつけるのはエゴだ、でも、周りや過去に生きづらさの責任を押しつけるのもエゴだ、ただ自分が生に肯定的になれないだけなのに、と投げ遣りになって、だからこそ、生まれたんだから、生きろ、と否定による肯定、「生きて、生きて、生きて、生きて、生きろ。」との叫びに、多くの人が感動し、いまの若い世代の生への覚悟を垣間見た、そのすぐあとのこの事件に、何ともいえない胸気持ちの悪さを感じないではいられないのです。

            
  
  

自分が重なる気持ちの悪さ


      

私がこの事件に胸気持ちの悪さを感じるのはまた、加害者の彼が私の出身高校の生徒だということ、しかも報道による彼のそれまでの人生が、私自身に重なっているからです。

    

報道では、彼は地元の公立中学を卒業して、この高校に進学してきたようです。この学校は中高一貫の進学校で、高校の段階で外部から生徒を受け入れています。私が在籍していた頃は、そういう生徒は「外来生」と呼ばれていました。中学校からそのまま進学してきた生徒は「内来生」でした。いわば、外来生は内来生が6年間の中間地点で気が緩むのを引き締めるためのカンフル剤としての役割を期待されているのでした。

     

個人的な話になりますが、私の経験を綴ります。私は、地元の公立中学校では一二を争う成績で、この高校に入りました。当然、自分に対する期待はそれなりに高いものでした。そしてそれはプライドにもなっていました。成績が自分の集団内での位置を決めていたのだといってもよいでしょう。

     

しかし、入学後、愕然とします。渡された教科書は、高校2年生からのものでした。内来生は中学校3年間で高校1年までの課程を終えていたのです。私たち外来生は内来生と同じクラスに入れられて、内来生と同じ授業を受け、同じテストを受けることとなったのです。

    

   

当然、授業で何をやっているのか、当初は理解できませんでした。そして、高校1年1学期の中間テストの成績は、それまでの人生でとったこともない点数と順位でした。しかも、一学年600人もいた生徒のうち上位150番までが廊下に貼り出されるのです。ぎりぎりなんとか滑り込んだものの、ショックだったことは否めません。彼も同じような気持ちだったのではないでしょうか。

   
   
   

休学がくれた内省の時間


     

それでもなんとか上位に食い込むために、無理を重ねたのだと思います。結果的に高校1年の3学期に体調を崩し、病院通いが始まり、高校2年で入院となってしまい、1年間、高校を休学することとなります。

    

この休学が、私が教育学を学ぼうと思い始めたきっかけともなりました。休学中、学校とくに成績の重圧から解放された私は、ベッドの上で、読みたい小説や好きだった建築関係の書籍を読みあさります。しかし、体調は一向によくならず、退院許可が下りません。だんだん、同級生たちから遅れてしまう不安で頭がいっぱいになってきます。そして、なぜこんなに苦しいのか、なぜ学校がこんなにも自分を苛むのか、そんな思いや疑問が次第に頭を鬱ぎはじめるのです。

    

その結果、高校をやめて定時制に移ろうかとか、通信制はどうかとか、あの苦しさから逃れようとする思いに支配されるようになります。しかしそう考えれば考えるほど、今度はその後の人生が見通せなくなることの不安と恐れに囚われてしまいます。怖くて仕方がないのです。

    

そうこうして、自分のその後の人生を決められないまま、退院となり、自宅療養となりました。結果的には、休学した2年生に復学するのですが、その1年の経験は、なぜ学校は自分という10代半ばの存在をこうも苛むのか、なぜ学校に行かないことがこんなにも怖いのか、なぜ学校という制度がこの社会にはあって、子どもたちが通わなければならず、なぜおとなは子どもを学校に送り、成績を上げる競争に駆り立てるのか、なぜ学歴で人生が決まるような仕組みになっているのか、こういうことを私に自問させないではいませんでした。関係の本をあれもこれもと読んだのですが、どれも私の苦しみに答えてくれるものではありませんでした。

    

そこで、建築学志望だった私は、学校という制度の秘密を知りたくて、教育学へと志望変更をして、教員養成系ではなく、研究系の大学への進学を決めました。こういう経緯があります。休学という思いもかけない経験が、進路を自分の生き方にかかわるものとして考え直す時間をくれたということかも知れません。

       
   
   

「東大の医学部を受ける!」


   

その後も、いろいろな挫折や失望を繰り返しながら、最終的には私は教育学の中でもある種の異端である社会教育の研究室に拾われて、現在に至るのですが、私の高校時代の経験とあの事件を起こした彼の姿が重なるのです。

    

あの高校では、2年生からA群・B群に分けられます。当時一学年600名中成績上位200名がA群、下位400名がB群だったと記憶しています。その後、3年生に上がるときに一部入れ替えがありますが、3年生ではA群もB群も志望学部によって文・理に分けられます。そして、いわゆる旧帝大系や有名私学に進学するためには、3年生でA群に入っていなければ現役合格は望めないという感覚が一般的でした。

   

あの彼は、3人を傷つけたときに「僕は来年東大の医学部を受けるのだ!」と叫んだといわれます。私は報道でしか、彼のことを知りません。しかし、私には彼が思い詰め、精神的に自分を窮地に立たせてしまったのではないかと思えてなりません。私が公立中学からこの高校に進学して受けたショックや休学を余儀なくされたときの焦りと苦しみ、そして転校を考えたときの怖さや不安というものを重ね合わせると、その気持ちは、わかるとまではいわないまでも、何となくうっすらと感じ取れるものでもあるのです。

    

成績がすべてを決めてしまう、自分の人生を決めてしまう、自分の価値を決めてしまう。彼がそう思っていたかどうかわかりません。しかし、結果的には彼はそう思っていたということになるのではないでしょうか。だから「勉強がうまく行かず事件を起こして死のうと思った」というような供述がなされることとなったのではないでしょうか。

      

    

勉強による成績以外に価値を見つけることができなかった、のだといってもよいのかもしれません。

  
   
    

成績が人の価値を決めるのか


    

このように書いてくると、なんだかこの高校は大学受験に照準を合わせて、常に臨戦態勢であることを生徒たちに強いるような、厳しい進学校だという印象を与えるかも知れません。そういう一面は確かにありました。しかし、私がいた当時、現実は、そうではありませんでした。

    

確かに、成績で一喜一憂するという面はありました。それは大学入試に合格することが、志望校に進学することでもあり、その先にある自分のやりたいことを実現する専門学部に進学することだという意識が、生徒たちの間にあったからです。

    

しかし反面で、私がいた頃のこの高校は、バンカラな校風を残していて、極論を言えば、高校時代は犯罪行為以外は何をやっても許される、バカをやる時期だと受け止める文化が教師にも生徒にも共有されていました。成績が優秀であることは、この高校で生き残るために必要な面もありましたが、成績の優秀さをひけらかすような生徒は、仲間から馬鹿にされ、「成績バカ」と呼ばれるようなありさまでした。

     

    

大学進学も、一浪は「ひとなみ」と読んで、誰もが一浪して当然、二浪が一般人で、三浪以上が「すごいなあ」と尊敬されるというような文化もあったのです。大学受験は、卒業してから、という雰囲気でした。いまでもこの文化は残っているように思います。男の宝塚であるカヅラカタという演劇にうつつを抜かして、浪人する後輩たち、運動部づけになって、何浪もしている後輩たち、文芸活動にはまり込んで、授業中もせっせと内職の小説を読んでいる後輩たち、こういう生徒がいるのは、私たちの時代と変わりません。私も、仲間たちと文芸活動のまねごとのようなことをしていました。

             
   
   

本来多様な高校生活


              

そして教師たちも、若かりし頃に従軍経験があったり、勤労動員に駆り出されたりした経験があったりと、様々な人生を歩んできた人たちがいて、また大学の研究室に残りたかったのに家が貧乏で泣く泣く高校教師になったというような研究者崩れの人がたくさんいたのです。授業も教科書など使わず、映画評論ばかりの国語教師や、授業ごとに異なるテーマを持ち込んでは大学ばりに授業を行う物理教師、従軍して捕虜になり、シベリア送りになった経験ばかり語る英語教師、大相撲のタニマチで、大相撲の場所が始まると贔屓の関取の追っかけに忙しくて授業に来なくなる古文教師、春と秋には「なぜか」泣けて泣けて欠勤ばかりの漢文教師など、多彩というのか、魑魅魍魎、いい方が悪ければ、奇人変人のオンパレードのような陣容でした。

     

こういう人相手に、国語の時間には、「私小説」における自我の確立をめぐって、生徒と教師がやり合い、授業をサボって映画を観てきて、つかまれば、感想文を書かせられ、その感想文の映画評をめぐって生徒と教師が激論するというような風景が日常的に見られたのも事実です。

     

このような「学び」のあり方を許容していたのも、この学校であれば、受験で生徒を駆り立て、東大合格50名、旧帝大・早慶150名などといっていたのも、この学校なのです。本来、高校生活のあり方はこのように多様で、そして生徒たちの勝手で様々な「学び」のあり方をも鷹揚に受け止めてくれていたのもこの学校という場所でした。

    

    

そこはまた、成績で人の価値が決まるわけではないけれども、成績は人生の必須の切符なのだというような、奇妙な価値観が支配する場所だったといってもよいかもしれません。その裏には、人生何とかなるというある種の達観が、たとえば戦争という極限状況を生きてきた教師たちによって、またその教師たちと時間を共有し、経験を共有していた保護者たちによって、この学校を包んでいたからだといえなくもありません。

     

そして、休学し、進学校に居続けることも、進学校から降りることも地獄だと感じていた私を救ってくれたのは、こういうこの学校の鷹揚さ、何でもありの多様性だったのです。それはまた、生徒を信頼しているといえば信頼しているし、そうではなくて、人生なんてほったらかしにしておいても大丈夫だと達観されているといえばそうですし、自分の人生なんだから勝手にしろと放任されているといえばそうだともいえるような、そういう空気感でもあったのです。

          
   
   

「放牧」


       

私の母校であるこの高校は、いまでは社会的に「医学部進学日本一」という受け止められ方をしているそうです。ずいぶん前に私の恩師がいっていたことが、引っかかります。「最近では、お前たちのようにバカやるやつが減ってきて、つまらない学校になってしまった。もう、ちいさな頃から親がかりで、成績に一喜一憂する生活を送ってきている。カヅラカタも親が一生懸命なんだ。こんなことで、生徒の自主性が育つと思うか。放牧もできやしない。」

    

    

そう、「放牧」だったのです。あの、曖昧で、ほったらかしの空気感は、放牧、つまりある最低限の規範はあるけれど、あとは自分で責任を取れ、というおとなの扱いをしてくれていたともいえる校風だったのです。

    

しかしいまやその学校ですらも、社会の圧力である「医学部進学日本一」という世評を無視することができず、学校内部の序列も成績で決められてしまうようになっているのだろうと思います。私たちの頃には、成績を鼻にかけるやつは蔑まれていたのに、いまでは成績こそが人の価値を決めることになってしまっているのかも知れません。

    

だからこそ、彼はその成績の最高峰である、つまり偏差値の最高峰である「東大医学部」を受けなければ、そして受からなければ、自分の価値はないと思い込んでしまったのかも知れません。

                 
   
   

45年前よりも悪くなっている


    

私がとても残念に思うのは、あの彼もこの社会の犠牲者だと思えないことはないからです。そして、私の経験に即して、彼の気持ちが何となくわかる気がしてしまうからなのです。私が休学したのは高校2年生の1年間、つまり16歳から17歳にかけて、今から45年も前の話なのです。その時の私が経験した苦しみや怖れを、いまの17歳の彼が同じように感じている、このことに驚きを禁じえませんし、だからこそ残念でならないのです。

    

もう半世紀も同じことが続いている。この連載で幾度も指摘をしたように、学校という制度とその制度を持っている社会が、人間のあらゆる価値を縦の序列へと組み換えて、それを人格の価値の序列へと均してしまう。そのことが、いまだにこの社会では起こり続けている。巨大な慣性力が働き続けている。しかも、それが強化され続けているように見える。このことにバカらしくも恐ろしい感じを抱くのは、私だけなのでしょうか。

   

私は偏差値世代の走りで、新人類と呼ばれました。大学の恩師からは「君のように万遍なく広く薄く知識を蓄えてきたような学生は、大学に進学するべきではない。大学はお勉強の場所ではなくて、真理探究の場所だ」といわれ続けた世代です。いいかえれば、偏差値で入れる学部を選んで大学を受験して進学するなんて、人生なめている、といわれ続けたということです。

     

私の母校の高校は、成績で生徒を序列化しておきながら、放牧によって、お前はどんな人生を歩みたいのか、何のために成績を上げようとするのか、と問うていたのです。しかし、いまや、後者が問われなくなって、前者だけ、つまり成績による序列化だけが特異的に強化されるかたちで、子どもたちを襲っている、そう見えます。その一つの象徴が「僕は東大医学部を受ける!」という彼の叫びだったのではないでしょうか。

   

                 
   
   

医学部に入って何になりたいのか


   

彼は、東大医学部を受験して、合格したとして、何になろうとしていたのでしょうか? 医者なのでしょうか? 医者になって、何をしようとしたのでしょうか? 病気やケガに苦しむ人を助けようとしたのでしょうか? では、傷病者を助けて、何をするつもりなのでしょうか? 傷病者を助けることが、目的なのでしょうか?

   

私個人は、医学部に入ることが目的であった医師に診てもらいたくありません。当然といえば当然です。でも、傷病者を助けたくて医者になった医師にもあまり診て欲しいと思えないのです。傷病者を助けたい、ってどういうことなのでしょうか。自分が役に立っていることを感じたいのでしょうか。

    

この社会には、なくなることを究極の目的としているものがいくつもあります。医学そして医者もそのうちの一つなのではないでしょうか。私が専攻している教育学もその一つだと自分では思っています。ですから、そういうことを理解して、人がしあわせになるということに強い関心をもって、病やケガに苦しむ人に寄り添うことしかできない、そういう無力感というのか、自分の専門性の限界を意識して、それを自分のものとした人に医師としていて欲しいと思います。そういう医師は、患者の尊厳を大切にしてくれるでしょうし、患者も医師を尊敬できると思うのです。

    

    

あの彼に、そういう人に対する畏敬の念と自分に対するある種の無力感のようなものを受け止める心はあったのでしょうか。そうとは思えないのです。

    

私は母校の高校を擁護するつもりはありません。しかし、戦争を経験した奇人変人の集まりである教師たちが、私たちを「放牧」していたのは、そういう無力感を我が事とすること、それを人への畏敬の念につなげて、この社会で生きること、そのことを求めていたからだといえるのではないかと思うのです。

    

そうだとすれば、あの彼があの行為に及び、あの言葉を叫んだ、ということは、彼自身が、そしていまや母校までもが、人のあらゆる側面を成績へと一元化して序列化する社会の慣性力の前にひれ伏すような状態になってしまっている、そういうことなのかも知れません。

    

そして、あまり考えたくないことですが、こういう一様序列化の力学が社会全体を覆うことで、社会から、とくに大学という場から多様性が失われ、活力が奪われることになってしまっているのではないかと思えてならないのです。

    

これだけ価値多元化、多様性がいわれる時代になったのに、偏差値教育の圧力は年々高まり、東大中心の考え方が広がり、その反面で東大そのものは世界大学ランキングで年々その地位を落としていく、しかもその東大が日本のトップ大学で居続ける、こういうおかしな構図になってしまっていることも、なんだかこれまでの慣性力の議論で説明できてしまうような、陳腐な話になってしまうようで、それこそもう諦めるしかないか、という思いに心を塞がれるように感じるのです。

                 
   
   

だからこその「みんなのしあわせをつくる教育」


      

だからこその、「みんなのしあわせをつくる教育」、なのです。

    

牽強付会 けんきょうふかい ですが、この事件を受けて、改めて、杉並区の新しい教育ビジョン策定の過程で交わされた対話の意義を感じないではいられません。人からいわれてうれしい言葉は「ありがとう」。だからこそ、自分が生きていくということは、人のしあわせを感じとり、ともに生きるだけではなくて、生きるを人とともにすること、そうすることで、人はこの社会の中で人とともに、認めあい、かかわりあい、教えあい、語りあって、新しい価値を続々と生み出し続け、社会をおのずとバージョンアップし続けることに繋がる。

    

そしてそこでは、一人ひとりのセンス・オブ・ワンダーが最大限に発揮され、人と異なることが人との「あいだ」でおのずからなるものとなる。そういう社会が実現するのだと思います。そしてその社会では、誰もが主人公として、自分の生を、それこそ生きるを他者とともにしつつ、生き抜くことができるようになります。

    

    

こういうことが杉並区の新教育ビジョンでは語られます。

    

不幸な事件を受けて、私の繰り言を続けました。その背後には、この社会が次の社会へとゆっくりとではあっても確かな歩みを身悶えしつつ踏み出し始めたことへの期待があります。だからこそ、今回は「かすかな光・1.5」なのです。次回こそは、杉並区教育ビジョンの内容を紹介します。

     

                


     

 

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