子育て・教育

【寄稿】Withコロナが気づかせる生活の激変と氷河期の悪夢|子どもの未来のコンパス(11)

2021.02.3

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第十一編。

     

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

人生100年時代構想会議


    

    

人生100年の時代には、定年を延長しようということだけでは対応しきれない課題がたくさん出てきます。たとえば、すでに地域コミュニティでは人材不足だといわれ始めています。定年延長になって、みなが70歳近くまで働き続けることになったため、60歳や65歳で定年になって地域コミュニティに帰ってくる人が減り、結果的に町内会や自治会の担い手が減ってしまったというのです。

    

しかも、あとから述べるように、定年延長になって、70歳を超えてから家や地域コミュニティに帰還することになったとして(私はそれを還俗と呼んでいます。企業という世間から切り離された場所と時間から俗世間に返ってくるという意味です)、それで幸せだろうか、その後まだ20年、30年という時間があるのに、家庭や地域コミュニティに自分の居場所がつくれるのだろうかと問うと、それはどちらかというと否定的な返答しかできないということになりはしないでしょうか。少なくとも、今のような働き方では、そういわざるを得ないのではないでしょうか。

     

こういうことが、働き方改革や人づくり革命さらには生産性革命という、何やら穏やかならぬ呼び方の政策ともかかわって、議論され始めています。

    

たとえば、内閣官房に、2017年に人生100年時代構想会議がつくられて、これからの時代の生き方について議論し、翌年に報告書を出しました。この会議は、人づくり革命にかかわってつくられたのですが、保守政党政権下にあって、「革命」という名称のついた審議会を、内閣官房につくるのはいかがなものか、という議論があって、こういう名称になったと聞きました。

   

しかし、報告書には、「人づくり革命基本構想」という名前がついています。 余談ですが、いまの政権下では、各省庁の政策は基本的に、内閣官房に委員会やら審議会やらをつくっては、そこで議論をして、各官庁に持って帰って動かしていますから、事務局の構成を見ないと政策がどう動くか分からないのです。

      

人生100年時代構想会議では、何が起こったかというと、厚労省の人に聞きましたら、文科省から出ていた人たちが帰されてしまったというのです。何か、齟齬があったといいます。それで、厚労省主導の下に審議が進められていったのですが、そこで議論されたのが、「学び直し」の重要性ということだったのです。

 

本来これは文科省の、しかも生涯学習関連の部署がやらなければいけない議論と施策であるのに、厚労省がこれをいい始めています。文科省はほとんど蚊帳の外だったようなのです。

     
     
     

ライフステージのとらえ方を変える


    

    

どのような議論なのかといいますと、ライフステージのとらえ方を変えていこうということです。今までは、みんなが一緒に同じような人生を歩むことがよいことだったのです。

  

生まれて、幼稚園に入って、小学校、中学校、高校、大学と進んで、新卒一括採用で就職して、転職があっても、65歳まで働いて、定年退職を迎えて、あとは老後、みたいな生き方をすることが普通であったのです。

    

こういういい方を聞いたことはないでしょうか。将来、幸せに暮らしたかったら、一生懸命勉強して、いい学校に進学して、いい大学に入学して、大企業に入って、そこで一生懸命働けば、賃金も上がるし、国の経済も発展して、税収も増え、退職の時には退職金が出て、さらに企業年金や厚生年金がもらえて、老後も安泰だ。こういういいかたです。

     

また、「いつかはクラウン」といういい方もありました。トヨタ車を例にしていて、いまはないクルマが出てきますが、学校でよい成績を取って、大企業に就職することが、人生を経済的に保障してくれると皆が信じていた時代には、クルマを出世魚のように乗り換えていくことが、ライフステージ論と重なっていたのです。

   

学生の頃は、彼女を乗せるのにちょうどいいパブリカ、結婚してカローラに乗り換え、二人目の子どもが生まれて、お父さんが課長になった頃にコロナに、そしてお父さんが上級管理職に就いた頃にクラウンへ、というのが、家族の一つの上昇物語でした。

    

しかし、もうそういう時代は過ぎ去ったというのが、この会議の基本的な認識なのです。しかもそれは、もう遠の昔に、というべきなのです。すでに実態が、昔のようなライフステージ論で語れるようなものではなくなっているのです。

    

たとえば、働き方としては、マルチステージやパラレルキャリアの人もたくさんいます。65歳で辞めてもまだ25年もあります。そうであれば、その後も、もうひと花咲かせられるようにしたほうがいいのではないか。さらにもっと前から、転職を含めてステージを様々に乗り換えて、一生の間に、いろいろな経験ができるような仕組みにしたほうがいいのではないか、ということです。

    

そして、この議論で重視されたのが生涯学習、とくに「学び直し」なのです。誰もが、学び続け、またいつでも学び直して、自分の人生を新たに選択したり、つくったりして、一生涯をいきいきと、充実感をもって生きられる社会をつくることがこれから求められる。こういうことが議論されたのです。

     

当然、その「学び直し」に至るまでの学びの機会も保障することの必要が指摘されています。そして、この「学び直し」を人生100年時代構想会議が主張し、厚労省ほかの省庁がリードし始めているということなのです。

  
  
  

プラチナキャリアアワード


  

    

このほか、たとえばいま社会では、こんなことが議論されています。私もかかわっているのですが、プラチナキャリアアワードという表彰制度を、東洋経済新報社と三菱総研が一緒につくったのです。

   

従業員の働き方改革を進めて、たとえば定年をなくしたり、高齢者でも活躍できるような仕組みをつくったりしている会社、つまり高齢社会に対応して、経営のあり方を組み換えている会社を表彰しようという民間の制度がつくられてあるのです。

   

この制度に、各企業が応募し、それを審査して、表象するのです。いわば、民間の力で、高齢社会に対応した働き方改革を推し進めようとするものです。

   

私もその審査員を担当したことがあります。今年が2回目で、すでに表彰式を終えているのですが、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、オンラインでの実施でした。

  

昨年1回目の議論をしたとき、最初はとても面白かったのです。たとえば60歳定年だったけれども、延長しただけではなくて、60歳から後はこの指とまれ方式で、自分で自分のプロジェクトを選んで働くことができて、70歳まで働けるようにするなど、いろいろな試みをしている会社があるのです。

   

また定年がない会社もあったりして、そこではついこの間87歳の人が辞めたので、突然若返りました、みたいな話が出てくるわけです。私たちの知らないことがとてもたくさんあって、そんな会社を表彰しましょうと盛り上がって、楽しかったのですが、審査の過程で、審査員の中でこんなことが議論になったのです。

    

もしも自分がその会社の社員だとして、70歳まで働けても、70歳で辞めて、うちに帰ったときに何が起こるのだろうか。定年がなくて、80歳を超えるまで働いたとして、それから辞めて家庭や地域コミュニティに還ろうとしたとき、それこそ適応できないのではないか。地域どころか家庭にも還れないのではないか。居場所がなくなっているのではないか。

   

70歳では気力も体力もずいぶん落ちていますから、70歳で家庭や地域コミュニティに還ろうとすると、却って大変なことになるのではないかという話になったのです。審査委員自身が、我が身を振り返ると、なんだか心配になってしまったのです。

  

そうすると、定年延長っていいことなのだろうかという話が出てきて、ちょっと考え直さなければいけないのではないかと、しかも、そこでは学び直しが必要なのではないか、こういう話になってしまったのです。

  
  
  

働き方は大きく変わっている


  

    

このように考えてくると、働き方も、定年を延長すればよいという簡単な話ではなくて、もっと人の生きがいとか社会的な存在とか、もっといえば尊厳とか、そういうものをも考えて見直さなければならいのではないか。そういう話になったのです。今後は、年金制度も改革せざるを得ないかも知れません。

    

これからの社会で、その人本人がこの社会できちんと生きていくためには、たとえば25歳ぐらいで最初の就職をしたとして、15年くらい働いたら、40歳でいったん退職とか停職になって、国が生活費も学費も出すから、1年間くらい大学に行ってきなさいといわれて、勉強し直して、40歳過ぎで第二の人生としての再就職をして、またしばらくたって、たとえば55歳でもう一度退職となって、また1年くらい大学に行って来なさいということで、お金をもらって、学びに行って、55歳過ぎに再再就職して70歳すぎまで働けるという制度にした方がいいのではないか、という話も出たくらいなのです。

    

しかも、その再就職や再再就職は、いわゆる企業でなくても、自分で起業してもよいでしょうし、NPOや民間の社会団体でもいいかも知れませんし、ボランティア団体でもいいかも知れない。さらには、いま人手不足だといわれ始めている町内会や自治会などの担い手になってもよいでしょう。

   

その意味で、乗り換えもできて、キャリアもどんどん高めて、人生のステージをいくつも経験できるような仕組みにしたほうがいいではないか。年金の支給年齢を引き上げて、なんとか財源を持たせようとすることよりも、誰もが元気にいきいきと暮らせて、多くの人がそれなりの収入を得ることができるような社会をつくった方が、結果的には社会保障制度も医療制度も負担が軽くなるのではないか、つまり若い世代に負担をつけ回さなくてもすむようになるのではないか、という議論になったのです。

  
  
  

学び続ける力をつけながら働く


 

   

確かに、すでに若い人たちには、新しい働き方をしている人たちが出始めています。私の息子の話をしますと、大学院を終わって今は設計会社にいるのですが、そこの会社はいい加減な会社で、本人がいい加減な人間なので、就職先もいい加減なのかと思いますが、まずフルフレックスなのです。24時間いつ行ってもいいし、行かなくてもいい。

    

先日も夜中の12時くらいにメールが入って、まだ会社にいるというので、「すごい残業だな」って返事をしたら、「いや違うよ、まだ6時間しか経ってない」といってきました。こんな働き方をしているのです。

   

しかも、この会社は副業OKなのです。ネットでつながっていて、パソコンで仕事をしていますから、外の喫茶店などでも仕事ができる。そこで商品開発の設計の仕事をして、本社に送ってしまうと、その日の仕事はおしまいで、残った自分の時間で、他の会社の仕事を請け負って、自分でおカネを儲けてもいいことになっているのです。

    

しかも、社長が、勉強したければ行かせてやるからと、おカネを出してくれて、新しいことを学びに専門学校に行ったり、セミナーを受けに行ったりして、勉強しているのです。

   

ついこの間もアメリカからメールが入ったので、「何しに行ってるの?」と聞きましたら、「航空ショーを見に来ている」というのです。「なんだ、有休取って、遊びに行っているのか」と聞いたら、「いや社命で来ている」と。「それはおかしい。だって、おまえの会社、飛行機なんか扱ってないだろ」って問い返しましたら、こういうのです。

   

本当は、自分が好きで航空ショーに来たかったから、遊びに行くつもりで計画を立てて、年休を申請したら、社長が航空ショーを見に行くならカネを出してやるから行ってこいといいだした。その代わり、帰ってきてレポート書け。それが今後の何か新規開発につながればいいから、といわれたというのです。「なので、レポート書かなきゃいけないから真剣に見てます(笑)」と。

   

出張扱いで行かせてもらって、何を期待されているのかというと、今の会社の業種とは当面全く関係がないけれども、新しいものを取り込んで、何か新しいデザインとか、新しいものを発想せよといわれているのです。

     

こういう働き方になっているのです。ですから、彼はこの会社の仕事がメインなのですが、あと2つ仕事を持っているという働き方をしています。こういうことが今後、一般化していくのではないかといわれています。そうすると学び続ける力といいますか、一生の間、100年間、自分で自分をどんどん更新していく力を身につけなければいけない。

   

そのためにこそ、子どもたちにそういう力を身につけられるように、機会を保障しなければならないという話になってきたということなのですし、おとな自身がそういう生活をする必要に迫られているということなのです。

  
  
  

生活のあり方の激変がやってきている


  

    

長寿命化だけではなくて、社会構造が変わる中で、人々の生活のあり方も大きく変わっていくので、それに対応できるような力をつけなければなりません。過去の知識の蓄積だけではもう駄目なのだという話なのです。しかも、この議論、すでに半世紀もやり続けているという面があります。なかなかこの社会は変わりません。巨大な慣性力が働き続けているのです。

  

この点にかかわって、2015年の中教審答申をつくるときに、さらにこういう問題が議論されていました。今年(2020年)の4月からの学習指導要領改訂の背景になったものの一つが、この議論でもあるのです。

   

当時つまり2015年の時点で15年後といわれましたので、いまからではすでに10年後なのですが、その頃、つまり2030年頃には、アメリカの大学卒業生の65パーセントが、今、ない仕事に就くことになるといわれ始めていたのです。また、アメリカの職業分類中で47パーセントの職業が、人工知能に代替されてしまって、人を雇わなくなるので、その職業に就いている人が大量に失業するか、新規採用がなくなるといわれ始めたのです。

   

いい方を変えますと、私たちはすでに、子どもたちに対して、お父さんの背中を見て生きなさい、といえなくなってしまった。また、親がいうとおりに生きていれば安心だ、といえなくなってしまったということなのです。

   

学校で教えているのは過去の知識ですから、それはしっかりと学んでおかなければならないけれども、それだけで教育は終わりますかというと、そうではない、と。むしろ過去の知識をきちんと身につけつつ、新しい知識を探求したり、それを使ったりして、生き抜く力をつけておかないと、これからの社会を生きていくのは厳しいのではないかということなのです。

   

でも、この議論は、生涯学習、さらにその前の生涯教育の議論を、OECDやユネスコから日本に導入するに当たってなされたものでもあるのです。1960年代後半です。高度な技術革新が進む社会では、学校での教育だけでは、一生涯役に立つということは不可能だ、生涯にわたって学び続ける機会をすべての人々に保障しなければならないし、すべての人々が学び続ける力をつけなければならない、といわれました。

   

さらに、技術革新が人々に余暇をもたらすので、余暇をいかに有効に使って、自己実現するのかが問われるようになるとも盛んにいわれました。 この考え方は遅くとも1980年代の半ばには、かなり議論されていて、その一例が、臨時教育審議会での議論です。

   

臨教審は、すでに述べたように、教育改革の目指す先にあるものとして、学歴社会ではなく、人々が生涯学び続ける機会保障を行う学習社会の建設を訴えました。それがゆとり教育へとつながっていたのですが、議論はされても、この社会の慣性力の前に押しつぶされてしまいました。

  
  
  

先生も要らなくなる?


  

   

こういう議論が背景にあって、昨年(2020年)4月からの新しい学習指導要領がつくられているということなのです。ですから、強調されたのは、学校で知識を学ぶだけではなくて、もっといろんな社会体験を子どもたちにさせて、自分で考えて、探求する力を身につけてもらわなければいけないし、それを仲間と一緒にやる協調性も身につける必要がある。そして、学校の先生も知識を教える先生から、子どもに寄り添って、探求する先生に変わってくださいということなのです。

   

アクティブラーニングが提唱され、直訳すれば、活動的な学びということですが、それを意訳して「主体的で、対話的な、深い学び」としています。一つの方向に向けた競争ではなくて、仲間と対話して、協調的に、新しい知識や価値を探求して、実現できる力、つまり学び続けることのできる力を子どもたちにつけることが、学校の役割になったのです。

   

そしてそれを実践する仕組みが、コミュニティスクールですし、それは地域学校協働活動という学校と地域コミュニティのおとなたちとの協働による子どもの育成、つまり子どもたちにさまざまな社会体験ができる機会を地域総がかりでつくり、子どもたちを育てようという実践と、チーム学校という先生方がアクティブラーニングの専門家として力を発揮できるように、学校が抱え込んでいる様々な業務をチーム編成のようにして分担する組織づくりを進めようという考え方を基礎としているのです。

   

深刻なのは、2030年頃になくなる仕事の中に、教員が入っているといわれていることです。典型的なのは、日本でいうと高校の教員です。大学の教員は半身生き残っている感じです。

   

大学の授業はMOOCsとかでできてしまう、つまりネット配信でできてしまうので、それは今後AI等が代替できることになるのではないか、だから要らないといわれて、研究開発の役割だけが残っているのです。

  

人工知能の社会になっても、日本で丸々残るといわれているのは小学校の先生です。教科指導以外に、子どもの生活指導などいろんなことがあるので、柔軟に対応しなければいけない。これはまだAIはできないのです。

  

ですが、一番要らないといわれているのが、知識を伝達することを専門にしている教員で、それは高校の教員だといわれるのです。 子どもの学びのあり方を探究型に変えていかなければならないのですから、教える先生方も探求する先生になってもらわなければいけないという議論なのです。それが、アクティブラーニングですし、アクティブラーニングに対応した教え方、つまり子どもに寄り添って、ともに探求していく力を、先生方もつけなければならないということになります。

  
  
  

人工知能の限界と恐ろしさ


   

では、人工知能は人間を超え得るのか。シンギュラリティ、つまり技術的特異点といいますが、人工知能が人間を超える時が来る、それは一時、2040年だといわれました。けれども、もういわなくなってしまいました。

  

新井紀子さんが中心になって国立情報学研究所がやっている研究があります。マスコミによって、東ロボくんと名付けられたプロジェクトなのですが、東大に合格する人工知能をつくるというプロジェクトです。

   

全国の現代数学者が組織されていて、東大に受かるためのプログラムを書いているのだそうですが、そしてAI自体も教師データ(もとになる問題と解答のデータ)を自ら読み込んで、膨大なデータベースをつくっているのだそうですが、最近では、東大に受かるようなAIをつくることは困難だということが分かってきたので、やめたいとおっしゃっているようです。

   

この東ロボくんですが、過去に数学や世界史の入試問題で偏差値76を取ったことがあるといいます。これが国語や英語、理科や社会も含めて75あると東大の合格圏に入るのですが、難しいようです。

  

偏差値75というのは、1000人受けて上から4番目ぐらいです。全受験者のうちで、それくらいの位置にいれば、東大に受かるといわれます。けれども、とてもではないけれど、人工知能はそこまでいかない。それでも、このプロジェクトを進めてくる過程で、東ロボくんはあることができるようになったというのです。

  

何なのかといいますと、偏差値60くらいの大学に毎年8割以上の確率で受かるようになったのだそうです。首都圏あたりでいうと、SMARTとかMARCHとかといわれている大学の平均的な偏差値あたりでしょうか。どこの大学かは具体的にはいいません。これは例なのでいいませんけれども、その辺りだといわれます。

   

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社

  

何が問題なのかというと、偏差値60というのは、上から16パーセント辺りのところにいるということですから、全受験者の85パーセントくらいが偏差値60までに入っていることになります。

  

いまの就労のあり方を考えれば、会社員のほぼ8割方が、このレベルに入っていることになります。ということは、もしも人工知能が社会的に普及してしまうと、ほとんどのサラリーマンが失業するか、新規採用がなくなるという計算になってしまいます。そうなったら、どうしますかというのが、新井さんたちの社会への問いかけなのです。

  
  
   

大就職氷河期がやってくる?


  

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実は、過去、私たちは一度経験しているのです。読者の皆さんの中には、団塊ジュニアの方もいらっしゃると思います。大学を卒業する頃、その方々は就職氷河期に当たってしまい、失われた世代といわれました。

  

懸命に就職活動をしても、非正規の職業にしか就けず、以前は会社に囚われないで自由な生き方ができるというよいイメージでとらえられていたフリーターという言葉が、一転して、不安定な不本意就労を示す言葉になってしまったのも、この頃からです。

  

私も大学の教員になって2年目の学生から、氷河期に当たってしまって、ぱたっと採用がなくなりました。最初の年はみんな、男女を問わず、一発で決まっていたのです。それも、総合職に。それが、1994年春の卒業生から採用がなくなってしまいました。記憶にある学生は、158社受けて最後に拾ってもらった者もいます。彼などは、「落ちるのが快感になってきました」とかいっていました。

   

なぜ、こんなことになったのでしょうか。この頃からほぼ10年間、新規採用がなかったのです。一般にはバブルがはじけたからだといわれていると思います。それも原因の一つなのでしょうが、当時進行していた技術革新が大きな要因だったように思います。

   

皆さんも問われれば記憶にあると思いますが、ブラウン管の付いた、ぺらぺらのフロッピーディスクを使う、重いパソコンが、家庭と企業に入り始めたのが80年代の暮れくらいからなのです。

   

当時、一台買うと、月給分くらいかかりました。こういうパソコンを使った経験があって、覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。その時に、パソコンと一緒についてきたソフトがあるのです。当時は、ハード中心の考え方でしたので、パソコンが高価で、それにソフトが付属品としてついてきたのです。ワープロソフトと表計算ソフトと経理ソフトなのです。まだ、オンライン化はなされていませんでした。

   

それで、何が起こったかといいますと、こういうことです。それまで、企業の経理いわゆる給与計算とか税務計算は、専門の社員が、鉛筆なめなめ、そろばんをはじいてやっていたのです。会社の経理部門に大勢の担当者がいたのです。それがパソコンが入ることによって、アルバイトの子で何千人分もの給与の計算処理ができるようになってしまったのです。

  

その専門家であったお父さんたちが社内失業したのです。このほか、事務職の方々の間でも、ワープロや表計算ソフトの普及で、仕事時間が短縮され、ひとりでできる仕事が増えましたから、企業は当然、新規採用を控えるようになった。こういうことなのです。

   

当時、街のセミナーで流行ったものがありました。パソコン講座ではないのです。電卓講座だったのです。いまや電卓ですら死語かも知れませんが、当時は、電卓くらいできないと失業するかも知れないという強迫観念があったのです。ということは、算盤を使っていたということです。

   

当時の日本の企業はいまのようにリストラとかいう名目で、首を切りませんでしたので、余剰になった社員を、閑職に回して自主退職を促したのです。それが「窓際族」と呼ばれた人たちです。ひどい言葉ですが、そう呼ばれました。

   

けれども、当時はいまのように転職市場がありませんでしたから、辞めたら大変なことになる。それで、中堅クラスの方々がずっと定年までいたのです。倉庫番に回されようが、仕事がなかろうが、ただ飯食いといじめられようが、じっと耐えたのです。そして、その方々が定年を迎える頃に、ようやく新規採用が再開されたのです。

    

その結果、ほぼ10年間ほとんど新規採用がなかったのです。まだ当時は、大企業は新卒一括採用で、中途採用もほとんどありませんでしたから、企業の社員の年齢構成がいびつになってしまっていました。

   

   

余談ですが、給与の銀行振込が一般化したのもこの頃なのではないでしょうか。その結果、お父さんの家庭内での地位が下がったといわれました。給与は、労働基準法では通貨で全額、直接本人に支払うことが規定されていますが、1987年の同法改正で、本人の同意があった場合には、銀行振込でもよくなりました。

   

もともと、給与の銀行振込は、1960年代後半に銀行から引き出した給与を狙った強奪事件があったことを背景として、1969年頃から始められたといわれますが、本格化したのは、この時期でしょう。1980年代末から90年代にかけて、給与計算が電子化され、銀行と連動するようになったことが背景にあります。

   

しかも、公務員も1974年から銀行振込が始められてはいましたが、2003年に電子政府構築構想が出されて、全額の銀行振込が推進されました。

   

それまで、給料日にはお母さんがトンカツを準備してお父さんの帰りを待っていたといわれます。つまりお父さんが現金の入った給与の封筒を持ち帰るのを、家族が待っていた。月に一度、お父さんが威張れる日があった、ということでしょう。

    

しかし、それ以降、お父さんはペラペラの給与明細を持ち帰るだけで、お母さんが銀行のキャッシュカードを握っていて、銀行から引き出してくるようになり、お父さんは小遣いをもらう存在になってしまった、家庭内の地位が下がったといわれました。 就職氷河期はまた、いわゆるお父さんたち受難の時代だったといえるかも知れません。

  
  
   

新たな氷河期を回避するために


  

私がまだ東大に来る前ですけれども、就職が決まったと喜んでいる学生たちにいっていた言葉があります。「決まったはいいけれども、その前に、自分の会社の従業員の年齢構成を調べておきなさい。本当は、就職先を選ぶときに、それをやっておいた方がよい」と。やはり、職場がこういうことになっていたのです。

   

新卒の教え子たちが、5月の連休に研究室に遊びに来て、こういうのです。「先生、職場のすぐ上の先輩が35歳なんです」と。その人は就職してから35になるまでずっと新人君だったということです。そこへ、若いのが入ってくると、何が起こるか、もう、火を見るより明らかなのではないでしょうか。

   

その新人君が抱えていた仕事がどっと新採の社員に降りかかってくるのです。それで、この若い新採の連中がうつになってしまったりしたのです。それをまた、いまの若いヤツらは弱いとか、何とかいって、けなしてきたのです。そういうことが過去に起こっているのです。これがまた大規模に起こるのではないかと心配されています。

   

働き方やライフスタイルが変わり、さらに人生100年を生き抜くことが求められる社会は、また新たな大規模な就職氷河期をもたらす危険をはらむ社会でもあるようです。そうではなくて、人々が人工知能にはできない仕事をどんどんつくりだし、自分の生活を豊かにするだけではなく、価値豊かな社会を皆が一緒になってつくっていくためにも、これまでのような教育のあり方は変えていかなければならなくなっているように見えます。

  

 


 

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