やる気レポート

【連載】「学び」を通して主役になる|特別寄稿:学びを通してだれもが主役になる社会へ(6-完結)

2019.09.1

毎週日曜日更新
いま、私たちの社会は、たえず移り変わっています。不透明な未来社会。その実体をつかむのは容易ではありません。
東京大学・牧野 篤 教授は、これから向かっていく社会を「だれもが主役になる社会」だと考察しています。そこに求められるものとは。現代の本質を切りとり、これからの教育の可能性を語り尽くします。

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学びを通してだれもが主役になる社会へ
――これからの子どもたちの学びを考えるための断想――


#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る

#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく

#3 子どもの教育をめぐる動き

#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”

#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと

#6 「学び」を通して主役になる


6
「学び」を通して主役になる


 

社会の底を確かなものにする「学び」

 

そして、この二つはともに「学び」と深くかかわっています。私たちがたとえ少しくらい負担に感じても、子どもたちに関心を持ち続けること、しかも一人の子どもに複数の地域のおとなたちが、ぼやっとした、ゆるやかな関心を持ち続け、何か小さな異変を感じたなら、複数のおとなたちが声をかけ、手をさしのべることができる関係を維持し続けること、先ずはこのことが求められます。そのためには、私たち自身が常日頃から地域コミュニティにおいて、お互いにゆるやかに信頼できる関係をつくりだしておくこと、子どもたちの状態を常に感じつつ、意識できる関係を保ち続けること、こういうことが必要です。

 

それを担保するのは、人々の日常的な「学び」の実践であり、それは何か知識や文化を講座として学ぶというよりは、むしろ人々が地域コミュニティに生活する者として、自らがコミュニティをつくり、経営する上で、必要なことを互いに学びあい、自分を日常生活における社会的なアクターとして、他者とともにつくりだすこと、そういうことです。

 

またさらに子どもたちに対しては、相互承認関係をベースにした、言語を用いた自己認識を育成することが求められます。自分がおかれた状況を理解しつつ、他者に対してそれを伝え、かつ助けを求めることができるだけの論理的な思考能力を身につけておくことが、最低限必要であり、さらに何かあった場合には、他者の力を借りて、自分でその境遇を変えようとする意志を持てるだけの力が必要なのです。そして、確かに、先の荒川区の調査研究によっても、子どもたちに直接かかわりを持った関係者からは、自分の言葉をしっかり持っている子どもの方が、立ち直りが早く、社会的な適応もスムーズで、他者との良好な関係をつくることで、自立への歩みを始めることが多いようだという、ある種の印象論的ですが、経験則的な発言が確認されているのです[1]


[1] 同前。

 
 
 

「学び」の組織化

 

このような実践を総称して「学び」の組織化と呼ぶとすれば、私たちのこの社会が、教育行政を一般行政とは異なる行政体系として持っていることの意味を改めてとらえることができます。とくに「学び」の組織化は、この社会の底をより厚いものへと整備して、制度と制度の「はざま」を人々とくに地域住民の「間(あいだ)」へと組み換え、「はざま」に子どもを含めた弱者が落ち込まないようにしておくこと、地域コミュニティの多くの人々が互いにゆるやかに関心を持ちあいながら生活し、何かあったときには、咄嗟に声をかけ、手をさしのべることができる関係をつくっておくこと、このことと深い関係を持っているのです。「はざま」とは、社会の「間(あいだ)」が人々の孤立によって変容したものなのです。

 

その上で、さらに子どもを含めた地域コミュニティに生きる人々が、自らをこの社会のアクターへと育成する「学び」を相互の関係の中で組織化することで、「学び」そのものが人々を結びつけつつ、人々が自ら生きようとする力を生み出していくこととなります。そこでは、相互の承認関係にもとづく自己肯定感と豊かな社会体験、そしてそれらに基礎づけられ、またそれらを促す豊かな言語経験が重要となります。それはまた、子どもたちをこの社会の担い手へと育成し、社会の持続可能性を高めることへと結びついているのです。

 

こういうことがきちんとなされていることによって、この社会は、底抜けしない、すべての人々が自分の位置づけを得て、自分の人生を他者と共に歩むことができる、そういう社会へとその持続可能性を高めていくことになります。それゆえに、人々の「学び」の条件を整備する教育行政は一般行政に優位していなければならないのです。なぜならば、「学び」という営みこそが一般行政の前提をつくりだし、私たちが社会という集団として生き延びるための基盤となるからです。

 
 
 

個別最適化の「学び」へ

 

しかし、ここでまた、私たちが注意しなければならない問題が立ち上がってきます。実は、学校という制度は、過去の拡大再生産の工業社会を背景に持つ、価値の画一化とその画一の価値を規準として競争を組織し、競争の中で一人ひとりの力を高めることに優れた制度なのです。しかし既述のように、すでに社会はそのような画一的な価値に基づく競争をしていては、一人ひとりの生産性を高めることができない時代へと移行しているのです。

 

ここでは、子どもたちに基本的な言語運用能力を身につけさせることで、自分がこの社会の言葉を用いることで、社会が自分のことを理解してくれ、自分もこの社会のことが理解できるという信頼感を醸成することが、第一に大事になります。人と議論し、対話することで、新しい価値をつくりだすことができるという信頼を社会の中につくりだす必要があるのです。このようないわば普遍的な信頼をつくりだすことは、学校が優れています。ですから、学校での教育は、そしてその教育を担う教師には、その専門性として、子どもたちに基本的な言語運用能力をつけ、知識と文化を伝承し、それらを用いて未知の知識を探求する態度や感心を養うことが求められます。

 

その上で、子どもたちの学習が自律的に進められるような個別最適化が必要となります。この場合、個別対応の指導やICTを活用した指導を基礎として、子どもたち自身が自分の「学び」を組織し、それをネットワークの中で相互に交流し、対話することで、自らをネットワークの中に位置づけつつ、学校で養われた社会への信頼を基盤として、新たなネットワークを構築して、新たな「学び」を組織し、その「学び」を通して新しい価値をつくりだし続けることが求められます。

 

このような個別最適化をベースとしたネットワーク構築を通した「学び」の組織化は、子どもたちを集団として扱い、価値の画一化と普遍性を志向する学校という制度には適していません。むしろ、教育事業体がたとえば個別指導やネット上での指導を通して、この個別最適化への事業を担いつつ、子どもたちに「学び」の機会を提供し、それを教育行政がすべての子どもたちに差別なく保障することで、「学び」を組織化するような、新たな公共性をつくりだすことが求められるのだともいえそうです。

 
 
 

#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る

#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく

#3 子どもの教育をめぐる動き

#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”

#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと

#6 「学び」を通して主役になる

 
 
 

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この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

 
 

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