子育て・教育

【寄稿】東日本大震災から学ぶwithコロナの中の自由|子どもの未来のコンパス(2)

2020.06.12

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第二編。

 


この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

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コミュニケーションの変容



新型コロナウイルスの感染拡大は、これまでの社会のあり方を問い返すことを私たちに求める結果となったように思います。それはまた、私たちの生活そのもののあり方を改めて見つめ直すということでもあります。

たとえば、飛沫感染を予防するために、常にマスクをしなければならない生活を強いられようとしています。また、社会的距離を保つように、人とのかかわりを調整することが求められています。このことは、私たちがこれまで行ってきた親しい人との間の身体を通した接触や、言葉を使った対話・会話などのあり方に対して、それを組み換えなければならないことを意味しています。

私たちが人間として、そしてそれこそが人間であることの証しであるかのようにして用いてきた、言葉を話して、感情や意思を疎通させるというコミュニケーションそのものが、否定されてしまいかねない事態だといってよいでしょう。それはそのまま、私たちが人間として、他者とともにこの社会をつくり、この社会に生きているという実感そのものを奪ってしまうものともなりかねません。


コミュニケーションの形がかわる

私たちはこれから、どのようなコミュニケーションを取って、新しい社会的な存在としての自分を、他者とともに生きることができるのでしょうか。

他者と直接触れることなく、そして社会的な距離を取りながら、それでもコミュニケーションを取るためには、たとえばソーシャルメディアの活用があります。その時、ソーシャルメディアを介して行うコミュニケーションは、これまでの親しい関係でのコミュニケーションとは異なる何かを必要とするのでしょうか。ソーシャルメディアを通してのコミュニケーションと、これまでのコミュニケーションとは何が異なることになるのでしょうか。

この問題はまた、オンラインの授業を学校で進める場合、何が課題となるのかということとかかわってきます。学校という場に行かなくても、学校の授業を受けることができるけれども、その時の意思疎通はどうやってなされるのか、またその意思疎通は、これまでのみんなが教室という場に集まって行ったものとどう違うのか。そういうことが問われています。

 

私たちは社会の中でどうあるべきか



しかも、もう一つ大きな課題を、新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちに突きつけています。これも、私たちのコミュニケーションのあり方とかかわりますが、私たち自身が社会の中でどうあるべきなのかという問題です。

たとえば私たちは、日本という近代化されて、衛生的で、高度に医療が発達した社会では、感染症はほぼ撲滅されたり、制圧されたりしていて、これからは生活習慣病との闘いだと受け止めていました。

確かに、日本の場合、三大死因は悪性新生物(癌)と心疾患そして脳血管障害です。この三つで全体の半数を超えています。そして、2019年には三大死因に老衰が第三位で加わるなど、長寿化がもたらす要因と生活習慣がもたらす要因との複合的な原因が、これからの死亡の大きな原因となると考えていました。

今回の新型コロナウイルスの感染拡大に見られるように、感染症は外因性つまり外から病原体やウイルスがやってきて、体内に入り、病気を引き起こします。ですから、予防をしなければなりませんが、かかってしまったら、自分ではどうしようもなくて、専門家である医師に自分の健康を委ねなければなりません。そして、この外因性の病気はほとんどがシングルファクター、つまり一つの要因で引き起こされます。ですから、専門家である医師も、その要因別に専門分化していきます。こうして高度な専門分化した医療体制がつくられます。

日本を含めた先進国はこうした医療体制をつくることで、感染症をほぼ抑え込んだ、そして長寿化を実現しました。その結果、死因も先ほどの三大死因のように、生活習慣と深くかかわる、しかもマルチファクターの病気が占めるようになりました。このような社会では、医師は専門分化した感染症対応の医師ではなくて、むしろ総合医であることが求められますし、実際に私たちも日常的にホームドクター(かかりつけ医)を持ち、生活習慣を自己管理することが求められます。



この社会では、私たち一人ひとりが自分の健康を管理して、生活習慣を良好に保ち、病気にならないようにしなければなりませんし、医師の役割も診断して治療する医師から、相談に乗り、指導する医師へと変わっていくものと考えられていたのです。

そして医療体制も、分業制が進み、高度医療を施す病院は癌治療などに特化し、かかりつけ医を拡大して、人々の健康を増進するように方向転換してきていました。ここでは、私たち一人ひとりが自分の健康を管理する主役でなければならず、専門家に依存していても、健康で長寿な生活は送れないとされました。

つまり、医療においても、私たち自身が、依存から自立へと、自分の立ち位置を変えることが求められていたのです。そこへ、今回の新型コロナウイルスの急激な感染拡大です。このことは、私たちに感染症との闘いは終わっていないことを、改めて思い知らせることとなりました。

 

新型コロナウイルスとの共存



そして、この新型コロナウイルスとの闘いは長期戦になるといわれ、私たちはこの新たな脅威と共存しなければならないともいわれています。このことは、私たちがここしばらくの間、営んできた、人と人とのコミュニケーションを基本として、自分が生活の主人公となるように、自己管理して、自立するという生活のあり方を否定する、または否定するとまでいわなくても、そのあり方の方向性に疑問符を付し、異なる方向へと組み換えることを求めているように見えます。

それは、直接のコミュニケーションは避けて、できるだけ交流しないようにし、しかも自立ではなくて、やはり専門家への依存を基本とした生活を送るということなのでしょうか。そしてそれは、私たちができるだけ人と接触せずにいることを求め、この社会で他者とともに生きているということそのものを否定してしまうことにつながるのでしょうか。

しかし、私にはとてもそうは思えません。新型コロナウイルスとの共存は、予防が基本となります。感染拡大期に、自粛要請に応えて、多くの人々が、見知らぬ人に向かって、ともにがんばろうと呼びかけ、できるだけ自宅にいて、直接の接触を避け、結果的に感染拡大を抑え込んできたように、そしてそこにわたしたちは日頃気づかないでいたけれども、自分が見知らぬ人たちとの間で、お互いに配慮しあいながら、気遣いあうことが、本来、心地よいことだと改めて感じているように、この新型コロナウイルスとの共存は、これまでの自己責任で、クレームをつけあうような社会にあって、私たちが忘れかけていた、人として、誰かと一緒にこの社会にともに生きているという感覚にもとづく、この配慮の気持ちを突き詰めていくこと、そうすることで、自分が自分を律して、健康な生活を送ること、そういうことを求めているとはいえないでしょうか。

この未曾有の危機がもたらした非日常にあって、私たちがどういう生き方をすべきなのか、こう考えていくと、私には思い当たる経験があります。東日本大震災、この未曾有の大災害を経験した人たちが、私たちに見せてくれている生き方が、それです。

 

思い出が日々新しくなる



東日本大震災から9年が過ぎました。現地では復興が進み、風景が一変してしまいました。私が震災後2年目から通い詰めた岩手県大槌町で、土地のお年寄りたちは三度、土地の記憶を失ったといいます。

一度は、被災後、地震で崩れ、津波に流され、持って行かれ、そして火災で焼け払われた、自分の家があったであろう場所に出かけたときのことです。瓦礫に覆われたその土地には、そこに確かにあったはずの家はなく、自分の家の姿そのもの、そこで営まれていた自分や近隣の生活を思い出せなかったのだそうです。

二度目は、復興事業が始まって、瓦礫が片付けられたときです。自宅があった場所はすでに空き地となり、寒々とした土地が何かを訴えてくるけれど、そこに何があったのか、思い出せなかったのだといいます。

そして、三度目は、土盛りが行われ、きれいに整地されたときです。自宅があったその場所は、すでによそよそしい雰囲気を纏っていて、自分を寄せ付けることはなかったというのです。


失われつつある震災の記憶

こうして、人は土地の記憶を失ってしまうのです。しかし、お年寄りたちはそれを悲しいとは思わないといいます。その土地にいなくても、自分は家族や友だちの記憶を持っていて、それは少しずつ変わっていくけれども、自分のからだの中にあるから、それを大事にしていくことで、自分がああやっぱりここに生きてきたんだと思えるからだ、というのです。土地に縛られなくたって、自分には自分の思い出があって、それは毎日新しくなって、自分というこの私を新しい生活へと押し出してくれる。こう言うのです。

思い出が日々新しくなる。この言葉に、びくりとさせられたのを覚えています。思い出は思い出として取っておくものではなくて、それは勝手に日々新しくなって、自分を次の新しい生活へと自分の背中を押してくれる、そういうのです。

「おとうさんがね、しっかりせよ、っていってくれるのよ。ほんとに、お前はいつも自信がないんだから。しっかりせよ。お前がしっかりしないで、孫たちはどうする、って。」

そう、記憶は取っておくものではなくて、状況に応じて、自分が使いこなすものとして、いいえ、自分を新たにつくりだすものとしてあるのかも知れません。記憶は個人の中にあるのではないのでしょう。誰かとの時間と空間つまり関係の中にあって、しかもその関係は開かれているのです。だからこそ、それは未来に向けて自分の背中を押してくれるものとなります。

お年寄りたちは、記憶に囚われてはいないのです。記憶があるからこそ、自分を次の自分へと新たにし続けられるのです。そして、それは死の恐怖をも乗り越えさせてくれるものとしてあります。

「おとうさんが迎えに来てくれるのよ。夢で。うれしかった。よくがんばったな、って。」

記憶は頭や心にあるのではなくて、からだにあるのだとお年寄りたちはいいます。ここでは素朴な形で、お年寄りたちは、主体は孤立して存在してはいないことを指摘しているように思えてなりません。彼ら自身が、誰かに取り憑かれ、駆動されている、つまり背中を押されて生きている存在なのです。

このお年寄りたちのありようは、おとうさんと自分とが入れ子になりながら、自分を次の自分へと駆動する自分がおとうさんでもある、そういうことのように感じられます。お年寄りたちは、いつも自分をそのまま感じているのではないでしょうか。おとうさんと一緒に、そしてそれは日々新しい自分でもあるのです。

 

不自由だけど自由




震災9年、すでに復興予算は切られ、多くの支援者はいなくなっていました。それでも、東京などからやってきて、地元に残り続けて、支援を続けている少数の人たちがいます。もう、支援などとはいえないでしょう。生活を営んでいるのです。私の知人の幾人かは、地元で結婚して、すでに子どもをもうけ、子どもが幼稚園、小学校に通い始めています。そして、「ここは本当に不自由。でも、とっても自由」だと口々にいいます。

どういうことなのか、と問えば、東京にいたときはとっても自由だった、というのです。

何でもある。お金を出せば何でも買える。選り取り見取り。何一つ不自由しない。でも、とっても不自由だった。こちらに来て、それを痛感した。

東京にいるときには、何でもあって、お金もあって、何一つ不自由しない。でも、本当は、その自由は、与えられた自由だった。選択肢でしかない。無限の選択肢を選ぶ自由は無限にある。でも、結局選ぶのは、みんながいいといっているようなものでしかない。みんなもみんながいいといっているようなものを選ぶ。そのみんなは、本当は、マスコミだったり、仕掛けた側だったりする。結局は、選ばされている。だから、選択肢はほとんどない。

しかも選んでいるのは選択肢、準備された出来合いのものでしかない。それは、誰かがあつらえた、お仕着せのものでしかない。いわばプログラムでしかない。プログラムを購入して、プログラム通りにやれば、プログラム通りに、予定されたものが提供され、それが身につく。そして、誰もが同じプログラムを買い、同じプログラムに沿って、同じものを身につけて、みんな同じ人間になっていく。とても不自由だ。

それを主体だと勘違いしている。なぜなら、自分はみんなの目を気にして、そこから自分を見て、自分はみんなの中で、みんなと違わないで生きていると実感して、安心しているからだ。でも、こんなことって、本当の自由なのかと、こちら(被災地)にいて思う。本当はさせられているのじゃないのか。誰かに。自分では意識できないような大きな何かに。そこから自分を見て、自分だと思っているだけなのじゃないのか。

異口同音に、こういうのです。

そして、こう続けます。

 

受動的だからこそ能動的



こちらに来て、とても不自由だ。何もない。子どもたちも学校が終わると、行く塾がない。学校も選べない。一つしかない。小学校も中学も、高校も。学童保育もない。

でも、とても自由。何もない、不自由だからこそ、子どもたちは自分の時間がたっぷりあって、自分のやりたいことを、自分で考えて、自分でつくらないとやれない。親に隠れて、何かしらやっている。楽しそうだ。自分でどんどんやりたいことが出てくる。何かをつくっていると、それがどんどん仲間との間で広がって、無限に出てくる。やりたいことだって、自分がもともと持っているものではない。仲間がいて、何かをやっていると、だったら自分はこうしたいと、やりたいことが出てくる。それをやっているうちに、どんどん出てくる。それが自分になっていく。そう見える。

おとなもそうだ。何もないからつくらなければならない。でも、それは生活をしているからだ。妻がいて、夫がいて、家族がいて、そこで生活しようと思うと、ないものは自分でつくらなければならない。ものだけではない、関係も、だ。だから、自分がどんどんそこで駆動されて、変わっていってしまう。それがおもしろい。その自分の中には、常に誰かがいる。家族だったり、友だちだったり、お隣だったり。

ここにも、おとうさんと一緒に生きているお年寄りたちと同じような私が生まれているとはいえないでしょうか。実際の関係に自分が生み落とされ、措かれ、それを自分がつくり、その関係そのものが自分になっている私、そういうものがどうしようもなく、次の自分へと自分を駆動してしまうのです。受動的だからこそ能動的な自分がそこにある。こういえないでしょうか。

そしてそれはとても自由なのではないでしょうか。

 

お互いに肯定していく関係



この自由のあり方こそは、新型コロナウイルスと共存しなければならない時代に、私たちに求められている生き方なのではないでしょうか。直接触れることができなくても、その人のことを想像し、慮り、そうすることで、その人のことが自分事であるかのように感じられ、ソーシャルメディアで交流するときにも、常にその人を自分の中に感じながら、好意に解釈し、お互いに認めあうことを繰り返す。そうすると、それまでは、認めていても「そうだよね」といった端から、「でもね」と意見をいい、自己主張したくなっていたのに、そこでは「そうだよね」といったら、「だったら」こうしようよ、と次の関係が生まれ出てくるようになる。こういう、肯定することが続いて、どんどんお互いに肯定していく関係が生まれていくようになります。

こうすることで、私たちは、想像力を羽ばたかせて、より広い社会の人たちとともに、この社会を肯定的につくりあげることができる、そういう可能性が広がっていくのではないでしょうか。そして、この社会の中で、子どもたちは肯定的に育てられ、自尊感情を強く持った、そしてお互いに認めあい、さらにお互いにより高いところへ駆動しあう、そういう存在として、この社会を担っていくようになる。そういうことが実現するのではないでしょうか。

このような社会では、人々は社会から何かを与えられるのではなく、社会そのものをつくって、さらにそれを次の社会へとつくり、つなげていく、そしてその過程で、自分自身がどんどん新しく変わっていってしまう、そういう自由を、つまり、つくりつづける自由を手にすることになるのではないでしょうか。



私たちは、この新型コロナウイルスの感染拡大の時期にあって、すでに他者に対する想像力を持って、その人のために何かすることで、自分がうれしくなり、愉しくなる、そういう自分を感じとってしまっています。そしてそれが、自分が何をすべきなのかという行動へとつながっています。それこそが、自立ということでしょうし、自由ということなのです。

あとは、それを前に進めるだけだ。そう思います。

 


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