新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2022.03.23
ヨダタケシ
テルミン奏者・作曲家。1979年生まれ。東京都出身。学生時代、クラブシーン(テクノ・ハウス)で音楽に親しむなかで、テルミンに興味を持つ。2014年、テルミン奏者として活動開始。さまざまなイベントでライブ演奏するほか、作曲にも力を入れる。2019年・2021年、ホテル雅叙園東京「和のあかり×百段階段」展BGM担当。アートアニメ『アメチャウ国の王さま』サウンドプロデュース。2021年、アメリカ映画『Whisper of the Sea』音楽プロデュース。
オフィシャルサイト:ヨダタケシ official site
YouTube:ヨダタケシ Tokyo Theremin Channel
テルミンとは
1920年に、ロシアの物理学者レフ・セルゲーエヴィチ・テルミン博士によって発明された電子楽器。手をふれずに演奏することができる。箱型の本体からのびた2本のアンテナに手をかざすことによって、音程と音量をコントロールする。
――ヨダさんは数多くある楽器のなかでも「テルミン」という珍しい楽器を使って演奏・作曲活動をされています。テルミンとはいつ頃どのように出会ったのでしょうか?
テルミンに興味を持ったのは大学生の頃でした。90年代当時、クラブカルチャーが世界的に大流行していて、自分もクラブミュージックにハマり、テクノ・ハウスに親しんで電子楽器を調べるなかで、テルミンに関心を向けるようになったんです。
――テルミンは変わった楽器なので、どうやって出会うものなのかと気になっていましたが、クラブミュージックからだったとは。
私がハマったテクノやハウスの音楽は主にシンセサイザーで音色を作るんですが、じつはそのシンセサイザーの先祖にあたるのが、テルミンなんです。いまのシンセサイザーは鍵盤で音程をコントロールするものが多いですが、テルミンは鍵盤というインターフェースで電気的コントロールができるようになる前の楽器で、電子楽器の元祖なんです。その点で自分の興味と密接で、好きなミュージシャンの方も使っていたことから気になる楽器でした。
テルミンの仕組みを解説したヨダさんの動画。
シンセサイザーとちがって鍵盤がないため、音階を取るのは自分の耳がたより。
――他の楽器とは演奏方法も音も変わっていて、不思議な楽器ですよね。
そうですね。演奏方法は独特な上に自由度も高いんですよ。アンテナから発する静電気をさえぎることで音を奏でることができるのですが、さえぎる方法は手だけじゃなく、腕や背中、頭を使ってもいいんです。プレイヤー自身が演出の一部になれるのがテルミンの特徴ですね。手をふれずに独特な動きで演奏するスタイルは魔法使いみたいで、見ていておもしろいと思います。
また音の表現幅が広いのもテルミンの魅力です。映画など映像作品の分野でもテルミンが効果音として使われることがあります。例えばSFで宇宙音を表現するときなどですね。一方で、人の声に似た音を出すこともできます。手をふるわせてビブラートをかけると、まるで女性が歌っているような美しい音色を出すことができるんですよ。
――ヨダさんがテルミンにのめりこんでいかれたのは、いまおっしゃったような演出性の高さに惹かれたからなんでしょうか?
そうかもしれません。自分でテルミンを演奏してみたいと思った一番のきっかけが、『テルミン』というドキュメンタリー映画を見たことなんですが、映像のなかでテルミンの音色がふんだんに使われていて、場面と音楽の一体感に惹かれました。
※映画『テルミン』
1993年、イギリス・アメリカの合作作品。テルミンの誕生からテルミンに魅せられたアーティストたち、またテルミン博士自身の劇的な人生を追ったドキュメンタリー。
もともと子どもの頃から映画のサウンドトラックが好きでした。象徴的なシーンに音楽が流れてさらに感動が高まるというのをおもしろく感じていて。それに普段の生活においても、音を感じ取る癖がありました。生活音や波の音などの環境音、まわりから聞こえてくる音にいつも耳を傾けていたんです。それらと音楽が混ざる瞬間がとくに好きで、公園から響くチャイムや、風に乗ってくる交通音などを心地よく感じていました。
いま思えば、テルミンへの関心が高まったのは、こうした自身の音楽へのこだわりにテルミンの表現が合致したからなんでしょうね。テルミンは風景や物語を描くのに素晴らしい楽器なんです。
――その後、テルミンの演奏に打ち込まれるようになったんですね。
いえ、すぐにそうはならなくて。というのは、『テルミン』を鑑賞したとき私は大学3年生で、就職活動の真っ只中でした。就職氷河期だったので、仕事探しに必死だったんです。無事に就職できると今度は、「せっかく就職できたからしっかり働かないと!」とはりきって毎日を忙しく過ごし、いつのまにか「仕事人間」になっていました。テルミンはもとより音楽自体すっかり離れてしまって。学生時代のようにクラブに出入りすることもなく、たまに自宅で聴く程度になっていました。
――仕事熱心なのは決してわるいことではないですが、「音楽をやってみたい」という気持ちは消えてしまったんでしょうか?
いいえ、やっぱりやりたい気持ちはありました。だから社会人になってからテルミンを購入したんです。でも忙しすぎて全然ふれられず…。ちょっと時間ができたとしても、演奏の仕方がやはり難しく、モチベーションが続きませんでした。上達するにはたっぷり時間が必要だと思い、いっそおじいさんになってから磨きをかけて、リサイタルのひとつでもできたらいいなんて、後回しに考えるようにもなっていました。
――その状態からはどうやって脱したのですか?何かきっかけがあったのでしょうか。
2011年に自分が関わっていた仕事のプロジェクトがひと段落したのですが、同時期に東日本大震災が起こり、人生を深く考えるようになったんです。仕事に追われる日々を過ごしてきたけれど、人生何が起こるかわからないということに直面し、生き方に悩みました。「このまま好きなことをやらずにいていいのだろうか」、「音楽はいつかひまになったらやろうと思っていたけど、年を取ってからで本当にいいのかな」と。
――後回しにするのを思い直したんですね。
そうですね。また忙しい以外にも行動に踏み出せなかった原因があって。それは自分の思い込みでした。すごく真剣に「音楽をやりたい!」と思っていたのに、「下手くそだからやっちゃいけないんだ」と自分にストッパーをかけていたんです。上手い人がたくさんいるなかで、下手な自分が表現しようと思ってはいけないのだと。
もちろん好きならなりふり構わず行動を起こしていけばいいんですが、長らくそのエネルギーが湧きませんでした。幼い頃に「音楽なんて食っていけないぞ」と親に言われたのがずっと頭に残っていて。親は現実の厳しさを教えてくれたのだと思いますが、音楽と共に生きてきたと言えるほど好きだっただけにショックが大きく、よほど一流にならない限りその分野に手を出してはいけないと思い込むようになったんです。
――ヨダさんにとって音楽が大切なものだからこそ、軽く踏み出すことができなくなっていたんですね。
心身がすり減るほど働いてきたことを振り返ったときにやっと、「下手でも何でもいい。さらけ出して動こう」と決心できました。
ただすぐにテルミンに向かったわけではありませんでした。その頃はテルミン奏者になりたいという考えはなく、テルミンは「やってみたい楽器のひとつ」という認識だったんです。まずは自分で音楽を作る体験をしたくて、Macとシンセサイザーを使って作曲し、その楽曲を知人と組んだバンドで演奏するということをしていました。
――思い込みを捨てることで挑戦のハードルが下がりました。しかし「仕事が忙しい」という環境面のほうは大丈夫だったのでしょうか?
いえ、仕事が大変なことには変わりありませんでした。担当プロジェクトが終わったといっても、次の仕事が待っています。でもやめるわけにもいかない。そこで考えたのが、「数年だけでもいいから、不良サラリーマンになってみよう」ということでした。
――えっ不良ですか?
不良といっても別にグレようというわけではないんですよ(笑)。ただ、仕事ばかりに集中する人間であることをやめようと思ったんです。仕事で心身をすり減らす人生をやめて、好きなことを思い切りやる生き方をしようと。そのためには時間を作る工夫が必要で、独自に現場のホワイト化を進めていきました。
――不良と言いつつ、実際のところ真摯に目の前の課題に取り組んでいかれたんですね。
具体的には、チームメンバーのミッションの明確化や、業務内容の可視化などをしていきました。課題を見直していくことで徐々に効率化ができるようになり、結果的にメンバーそれぞれの残業時間を減らすことができたんです。
――自分時間を確保することができたんですね。
やりたいことに向かって行動を起こして本当によかったです。何よりうれしかったのは、「生きている実感」が得られたこと。それまではエネルギーの弱い人生を送っていました。幼い頃から音楽が好きで大切に思っていたのに、親に「やめときなさい」と言われたら簡単にその道をあきらめてしまうし、就職しても主体的に動けないで会社の歯車になってしまうし(笑)。でも思い切って動き出してからは、自分で考えて推し進める力がついたと感じています。
バンドが1年ほどで解散し、「ひとりで活動するならテルミンをやろう」と決めたときも、「まず動く」精神で頑張れました。当時、Instagramが普及し始めた頃で、練習動画をアップしていくことにしたんです。下手でもいいからと思って毎晩取り組んでいると、思いがけず海外の方からたくさんお褒めの言葉をいただくようになりました。数々のメッセージを見るうちにモチベーションが湧いてきてより練習に励むようになり、そのおかげでテルミンの演奏力が上達したんです。
――ヨダさんにとって現在に繋がる転機はいつだったのでしょう?
人前で初めてテルミンを演奏したときです。1年間絶え間なく練習を続けてきたことでかなり実力と自信がつき、イベントに出てみようと行動したときのことでした。このとき、人生で初めてスポットライトを浴びたように感じたんです。
出演したのはホラーをテーマにしたイベントでした。会場には猟奇殺人鬼の絵が飾ってあって(笑)。お客さんもおどろおどろしいものが好きな方がたくさん集まっていて。自信がついてきたとはいえ、慣れない場でテルミンをやることにとても緊張していました。「絶対ムリだ!」って(笑)。でもいざ出演して、演奏し終えたとき、会場から拍手喝采を浴びたんです。
自分の作り上げた音楽がそのイベントの世界観に合ったようでした。直前までめまいがするくらい追い込まれていたんですが、始まったらホラーの世界の住人になったつもりで演奏したんです。音も不気味な、鳥肌の立つようなえぐい音を出すようにしました。その描こうした世界観がお客さんに通じて、喜んでいただけたのだと思います。
――うれしい瞬間ですね。
ええ。ずっと音楽への想いを募らせてきたこと、人前で演奏できるようになるまでの道のりを思い、「やっとここまで来たんだ」と喜びをかみしめました。またうれしいだけでなく、カチッとスイッチも入りました。「もっとテルミンで音楽を作っていこう」とエネルギーが湧いてきたんですよね。以来、たくさんのイベントで演奏していき、「世界観が素敵だから」と作曲も含めてオファーもいただけるようになりました。
――ヨダさんは演奏・作曲をされるとき、どのような気持ちで取り組まれているのですか?
「風景や物語が浮かぶ音楽を届ける」ということを大切にしています。演奏するときは、曲の世界観はどういったものなのか、何を表現するべきなのかを理解するようにしています。作曲するときも、その曲はどんな風景を生みたい曲なのかを考えます。
2019年、2021年の2回連続で「ホテル雅叙園東京」の展示イベント、「和のあかり×百段階段」(※)の音楽プロデュースをさせていただいたのですが、そのときも展示のイメージを深めていく曲作りを心がけました。
※「和のあかり×百段階段」
ホテル雅叙園東京に現存する東京都指定有形文化財 「百段階段」(1935年に建てられた木造建築)を舞台にした企画展。日本各地から祭りや伝統工芸などに関連した作品が集結し、階段をあがる度に、日本文化を旅するかのような展示構成となっている。
「和のあかり」とのタイトル通り、この展示はおとぎの国かのようなあかりのファンタジーが広がる内容でした。そこで私は、来場者に展示の世界の主人公になってもらって、旅する感覚で物語をじっくり味わえるようにと、コーナーごとにシナリオを立てて曲を作りました。
例えば、色鮮やかな龍、鯉、金魚などのランタンが並ぶ展示では、和太鼓とテルミンの音色が絡み合うダンストラックを作りました。熱気あふれるお祭の真っ只中に入り込んだような感覚を味わってほしいと思ったんです。
「和のあかり×百段階段」(2019)のダイジェスト動画。楽曲の詳しい構成についてはこちら
――先ほど「風景や物語に流れる音楽が好きだった」との話がありましたが、子どもの頃の関心が曲作りに活かされているんですね。
そうですね。やっぱり何かしら絵が浮かぶ音楽を作りたくて。このこだわりはいま、アーティストとしての個性を築くことにも繋がっていると思います。テルミンを演奏するだけなら私より上手な方がたくさんいらっしゃいますが、全体のなかでの位置づけを考えながら、テルミンを用いてサウンドクリエイションするのは私の強みだと自負しています。
――その強みを活かして今後はどんなことにチャレンジしたいですか?
いまやりたいことは2つあります。
1つは映画音楽のプロデュース、もう1つはプラネタリウムとのコラボです。
映画音楽への意欲は、2021年にアメリカのファンタジー映画『Whisper of the Sea』(※)に関わらせていただいたことから高まりました。
※『Whisper of the Sea』
浜辺の洞窟を住処にする孤独な少女が、不思議な生き物をみつけたことから運命が大きく変わっていくというストーリー。脚本・監督:D.T. Carpenter 主演:Starring Rina Johnson
監督とシーンごとにやりとりしながらBGMを作らせていただいたのですが、監督が持つテーマや世界観に対し自分は何ができるかと考えていくのは非常にやりがいがありました。お互いが持っているものを最大限に出し切って、刺激を受けあってやっていくのはとてもおもしろいことなんですよね。
プラネタリウムとコラボしたいのも同じような気持ちからです。プラネタリウムにもやはり独自の魅力がありますよね。幻想的で美しくて非日常的で。それだけでも十分楽しいと思いますが、自分の音楽を掛け合わせていくことでさらに物語を膨らませ、そこに集う方々の感動を高めたいです。
――「エネルギーの弱い人生だった」のが、いまは「やりたい!」とエネルギーあふれる人生になりましたね。今後のご活躍を楽しみにしています!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。