仕事・働き方

やたみほさん「動く」感動を胸に、「弱点を自信に変えて作り続けてきた」

2020.07.17

編み物でコマ撮りアニメーションを作る、編み(アニ)メーターのやたみほさん。造形を学んだことがなく全くの素人だった時代から作品を作り続け、現在はNHK Eテレ「プチプチアニメ」にて「けいとのようせい ニットとウール」を発表しています。熱意を絶やさず制作を続けてきたこれまでの歩みを語っていただきました。

 


 

やたみほ

アニメーション作家
1974生まれ、東京都出身。 出版社勤務ののち、ヤマムラアニメーション有限会社でアニメーション制作を学ぶ。99年より、編み物のアニメーション「編みメーション」の制作を開始。現在は、母校・白百合女子大学人間総合学部児童文化学科で専任講師を務める傍ら、NHK Eテレ「プチプチアニメ」にて「けいとのようせい ニットとウール」を手掛ける。日本アニメーション協会会員。
HP:YATAMIMATION
YouTube: Yatamimation

 

コマ撮りアニメーションとは

「ストップモーション・アニメ」とも呼ばれ、静止している物体を1コマ毎に少しずつ動かしながら撮影して作られるもの。あたかもそれ自身が動いているかのように見せるのが特徴です。やたみほさんは 、粘土を材料としたクレイアニメや人形アニメなどが主流な世界において、編み物で制作する「 編みメーション 」のスタイルを確立しました。

 

編みメーション作品「アメチャウ国の王さま」

 

アニメだからやりたいと思った


 

本日はよろしくお願いいたします。

 

よろしくお願いします。今日はぜひ作品も見てください。

 

 

 

ありがとうございます!こちらは「アメチャウ国の王さま」の主人公ですね。アニメの中ではひとりしかいませんが、実際には2体いるのですね。

 

私は立体版と平面版を用意してアニメを作るんですよ。

こちらは現在制作中のキャラクターです。遠近感を出すためにあえてサイズを変えて作りました。

 

 

 

このように工夫して作られたキャラクターたちを、配置を変えたりポーズを変えたりしてコマ撮りしていくのですね。

ところでやたさんは、どのようにしてコマ撮りアニメーションの世界にのめりこんでいかれたのでしょうか?

 

コマ撮りアニメーションに興味を持ったのは、大学3年次にイギリスへ短期留学して見た「ウォレスとグルミット」がきっかけでした。間近でキャラクターが動いていくさまを見てとても面白いと思いました。

その後帰国してから、家にちょうどビデオカメラがあったので、「このカメラを使って私もアニメが作れるんじゃないか」と試しにやってみたんです 。

いざやってみると、自分の作ったものが動いていくことが楽しくて、「こんなに面白い世界があったんだ!」と夢中になっていきました。「アニメ」という言葉には「命のないものに命を吹き込む」という意味があるのですが、作るたびにこの感動を味わっています。

 

コマ撮りは根気のいる作業。5分前後の作品を作るのに半年かかることもあるという。撮影を始める前の照明調整も重要で、キャラクターを「命あるもの」として見せるためには、これに一日かけることもあるのだとか。

 

お試しでやってみたことが新しい扉を開くことになったと。

 

もう一つ、アニメーションに関心が向いていった理由があります。

私は当初、児童文学作家になることを目指していました。しかし、お話を作るのは好きなのに、情景描写が苦手だったんです。読み手に、頭の中にある情景をうまく伝えることができなくて、先生にも指摘されていました。

でもアニメだったらイメージを映像にして出していけると思いました。それで「これからは文章じゃなくて映像でやっていこう」と、アニメ制作に没頭していったのです。

 

自分に合った表現と出会えたのですね。
その後、就職はどうされたんですか?

 

法律書を扱う出版社に就職しました。周りは、私が熱心にアニメの勉強をしているので大学院に進学すると思っていたようなんですが、私は「 社会人になって色々な経験を積んでクリエイターになりたい 」と思っていたので、就職することは決めていました。

ただ、その出版社では編集部に配属されたのはよかったのですが、仕事内容が、法改正があった際に改正部分を修正していくというクリエイティブとはほど遠いもので(笑)。

仕事選びを間違えたかな…と思ったんですが、事務的な業務だったので毎日定時に帰ることができ、おかげでアニメ制作に集中する時間がとれました。

嬉しいことに当時、会社の同期が私の作品を喜んで見てくれたので、社会人をやりながらでもアニメへの熱は途絶えることがなかったんです。

 

当時の作品「Mr.ポストマン&スタンプ」(97年作)。この時は粘土で作っていた。

 

弱点から浮かび上がった自信の持てるもの


 

現在につながる転機は何だったのでしょう?

 

出版社に就職したということで、大学時代の恩師から出版関係者が集う「絵本の会」に誘ってもらっていました。そこである編集者さんに「山村浩二さん(※)のアニメーション作品が大好きなんです」と話したら、「知り合いだから紹介しようか」と言ってくださったんです。

連絡先を教えてもらって、「弟子入りさせてください!」と電話しました。それがアニメーション作家への第一歩でしたね。

 

※山村浩二(やまむら・こうじ)
アニメーション作家・絵本作家。1964年愛知県生まれ。東京造形大学卒業。90年代「パクシ」「バベルの本」など子ども向けのアニメーションを制作、2002年に第75回アカデミー賞®短編アニメーション部門に 「頭山」が ノミネート。以降、「年をとった鰐」「カフカ 田舎医者」「マイブリッジの糸」など大人向けの短編アニーションを制作。2019年紫綬褒章受章。東京藝術大学教授。

 

いきなり連絡したのですか!すごいですね。
弟子生活はどのようなものだったんですか?

 

当時は今のようにSNSなんかはありませんでしたからね(笑)。

「来ていいよ」と言ってもらってからは、仕事終わりや休日に山村さんのところに通う日々を送りました。ですが、アニメづくりを知れば知るほど楽しくて、そのうち仕事をきっぱりやめて制作研究に専念するように。

塾講師のアルバイトをしながら、作家さんのお手伝いなどをして経験を積んでいきました。

  

絶えずアニメーションへのやる気をみなぎらせていたことが伝わってきます!
編み物で制作してみようと思ったのはこの頃からですか?

 

物語を一コマずつ編んだマフラー状の作品。
▶この画像の作品はこちらFilm Muffler Alice

 

そうですね。
というのは、山村さんのところにはよく美大生が作品を見てもらいに来ていたんですが、私はいつも彼らのクオリティの高さに圧倒されていました…。立体造形を学んだことがなく、芸大や美大の出身でもない私は、「このままではダメだ」と焦っていました。

デッサンの学校に通ったこともあったんですが、自分より若い高校生の技量にまた圧倒され、自分がこの世界でやっていくことの難しさを感じていました。

そこで私は、「今から新しく勉強するより、自分の中からできることを探した方がいいな」と思いついたんです。そうやって浮かんできたのが「編み物」でした。手芸は昔から好きで得意でしたからね。

 

編む作業に取りかかる前は、方眼紙に「設計図」を書く。「動く様子」を確実に表現するため、精密な描画が欠かせない。

 

さらにモザイク画に起こして色合いを確認し、使う毛糸を決めていく。
▶この画像の作品はこちら「恋の急展開」 Knitting Animation “Film Muffler”

 

それまで粘土だったり手描き絵だったり表現方法を模索していたんですが、編み物で作品を作ってみたら思いがけずいいものができたんです。そうやって活路とオリジナリティを見出しました。

 

続けてきたからこそ次のステップへ


 

その後はどのように活動されていたのですか?

 

編み物でアニメを作るというスタイルが決まってからは、ポートフォリオを作って、知人の勤める会社などに送っていました。

 

「編みメーション」を始めた99年からの作品一覧

 

初仕事は、通信教材の誌面に載せるための小物づくりでした。この時は教材制作のほんの一部に携わっただけだったのですが、その後「オリジナルで作ってみる?」とチャンスをいただき、ビデオ教材やCM制作などの仕事をもらえるようになりました。

 

小さなことの積み重ねだったのですね。

 

そうですね。そうやって制作を続けていた2013年、ちょうど大学を卒業して20年経った頃だったんですが、恩師から母校・白百合女子大学の講師のお話をいただきました。

「最近アニメを作りたいという学生が多くいるが、自分だけでは教えられない。経験を活かしてやってくれないか」と声をかけていただいたんです。

 

制作を続けていたことが新しい境地を開くことになったんですね!

 

実際に授業を持ち始めてからは、制作のノウハウだけでなく、山村さんのもとで修行した後に働いていた「こどもの城」(東京都渋谷区にあった児童施設)でのワークショップ経験も活きました。

企画力が身についていたので、どうやったら学生に楽しんでもらえるかを意識して授業づくりをしていきました。それでその3年後には専任講師のお話もいただいたんです。

 

児童施設「こどもの城」で働いていた頃

 

どんどんつながりますね…!

 

でもこの時はあまり自信がありませんでした。作家として絶えず制作は続けてきましたが、私には「代表作」といえるものがなかったからです。社会的に認められる仕事をしていないのに専任の先生が務まるものなのか…と不安でした。

 

教員としてのモチベーションはどのようにあげていったのですか?

 

それはやはり作品を作り続けることしかないと思っていました。でも専任講師のお誘いとほぼ同時期にNHK Eテレ「プチプチアニメ」のお話がきたんですよ。「プチプチアニメで成果を出して堂々と先生をやろう」とやる気が湧いてきました。

 

新たなやりがい、交流を重ねながら作る


 

プチプチアニメ「けいとのようせいニットとウール」はどんな風に作っているんですか?

 

いろんな人が関わってチームで作っています。
デザイン担当の方とキャラクターの構想を固め、設計士の方と建物など大道具について相談し、大枠が決まったら私はひたすら編む作業に入ります。

 

そうなんですね。てっきり全部おひとりでやられているのだと思っていました。

 

ある作家さんに「全部自分でやりたくないの⁈」と言われたことがありますが、私は全部できないから(笑)。できないところは助けてもらって、みんなで意見を出し合って作っていく方が自分には向いていると思います。

音楽も作曲家さんにお願いしています。他にもカメラマンさん、照明さん、編集さんがいらっしゃいます。たくさんの人と作ることは大変な面もありますが、いろんな人とつながれるので楽しいです。

逆に「ひとりでやるのはもったいないよね」と思うこともあるんですよ。

 

新たに「みんなで作りあげていく」というやりがいを獲得されたのですね。

最後になりますが、今後の目標を聞かせていただけますか?

 

はい。今後も作家であり続けるために、どんな形でも、どんどん自分の作品を生み出していきたいと思っています。

一つ新しいこととして、ジャンルを越えてチャレンジしていきたいと考えています。これは、あらゆる分野の人とつながってきたことがモチベーションになっているのだと思いますが、今まで世界が違うと分けていたものを合わせていこうと考えているんです。

具体的には、自分のアニメーションを絵本にしようと思っています。

少し前までアニメはアニメ、絵本は絵本と別に考えているところがありました。でも、アニメを楽しんで見てくれている人に、絵本を届けることでまた喜んでいただけたら嬉しいです。

そうやってチャレンジを重ね、世界に認められる作家へと成長していけたらいいなと思います。

 

「アメチャウ国」の新キャラクター、アルパカダビンチさん。このキャラクターを含む新作が絵本化する予定。

 

これからどんな作品が生まれていくのか楽しみですね。ありがとうございました!

 

 

 


 

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この記事を編集した人

ほんのまともみ

やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。



 
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