子育て・教育

【寄稿】Withコロナが問う慣性力の構造|子どもの未来のコンパス(8)

2020.12.7

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第八編。

     

                


 

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


     
   
   

均質・画一にもとづく慣習と制度


 

 

学校の巨大な慣性力を生み出しているもの、それは社会のより大きな慣性力です。社会の構造的な大変動期、とくに工業社会を基本とした、人々が地元から離れて都市へと移動し、都市が均質で画一的な工場生産の基地となり、社会全体が都市化、つまり工場空間のような「場所」へと変化していく時期には、その「場所」で生産し、消費し、巨大な市場としての国内市場をつくりだす国民を育成する学校という社会制度は、極めて有効に機能して、社会を牽引する役割を果たし得ました。

  

その社会では、すでに述べたように、人々それぞれがそれぞれに異なるにもかかわらず、本質的には同じ質を持った存在、つまり人間一般としてとらえられ、他の人との代替可能性を高めることで、社会的な位置づけを得る、つまり他者との比較の中で生きる存在となります。すべてが同じ質を持ったものの量的な比較、つまり相対的な位置づけを得るにすぎないこととなるのです。

  

しかしそのような相対的な位置づけが、生活の向上やそれを得ることによる幸せという価値と結びつくことで、人々は他者との比較において優位をとろうとするようになります。その時、主張されるのが、誰もが同じように扱われること、つまり平等であり、それを担保するための客観ということです。

  

誰もが平等に扱われ、他者との比較による相対的な位置づけを得ること、それこそが、自分の社会的な意味をもたらすのです。比較優位であることと帰属すること、このことが一人ひとりの社会的な意味や価値を決めることとなるのだといってよいでしょう。

  

だからこそ、人々は、量的な拡大競争の結果を測る尺度を画一化し、その競争への参加の平等を要求し、実際にいわゆる客観テストによる達成度の測定という一発勝負が、もっとも平等で、誰をも対等に扱う、つまり自分をきちんと扱ってくれる制度だと受け止め、それが社会制度または慣習として広がることとなります。その結果、一斉入学、一斉卒業、一斉受験、そして一括採用が人々の観念とも合致した慣習的な社会制度として定着していくようになります。

  
  
  

自動機械としての社会制度


  

人々の感情と価値観そして観念、それが社会制度と結びつくことで、それらが生み出す人々の行動や思考は、社会制度をまるで自動機械でもあるかのように、自然に、融通無碍に、この社会で作動させるようになります。

  

しかもこの自動機械は、かつては社会の異端であった障害者やアウロトー的な存在をも、そこに、皆と同じ基準によって量的に誰にでも見出される人間としての本質を認めることで、その作動域内に組み込んで、自らを巨大化していきます。

  

均質、画一、そして平等と比較、これを価値とした自動機械である社会制度は、人間の均質性と社会の時空間の均質性・画一性を一体のものとして生み出し、それを強化しつつ、自己増殖していく生き物のような代物なのです。

  

そして、この生き物に栄養を与えていたのが、人々の家計の向上と市場である国の経済発展という社会の宿命であり、それらを表裏一体のものとして糊づけしていたのが、学校という国の制度でした。ですから、この生き物がまだ幼い頃には、学校が家計と経済を糊づけして、栄養を送り続ける必要があり、学校は社会を先導することができました。

  

しかし、この生き物が巨大化して、どんどん栄養を吸い込むようになると、学校そのものが家計と経済を糊づけすることからはずれることができなくなってしまい、自動機械の一部と化していきます。学校は社会から離れて存在できず、社会の構造を変える力を失って、むしろ社会構造を維持しつつ、拡大・増殖という目的を担うこととなります。

  

これが、巨大な慣性力となって、学校を縛り続けてきたのです。そのような社会では、子どもが荒れようが、不登校になろうが、非行に走ろうが、そして政治的に改革を試みようが、それらは部分部分での変化を招くことはあっても、学校という社会制度そのものを大きく組み換えることはできませんでした。

  
  
  

9月入学から考える


  

  

しかし考えてみれば、それは当然のことなのかも知れません。家計の向上と経済発展を表裏一体にする糊のようなものとして学校を表現しましたが、それはつまり個人の欲望と国家の欲望とが重なっている状態、すなわち社会が最も安定していて、個人の利益と国家の利益が一致する状態が実現している場所なのですから、簡単に変えることなど不可能です。

少し前、東大が秋入学へと学年制を変えようとしたことがありました。賛否両論、様々な議論を呼びましたが、結局は断念しました。巨大な世論の反対の前に挫折したといわれています。

  

もともと、日本の学校は、9月入学でした。すでに述べたように、日本は学校制度(国民教育制度)をつくるときに、フランスを基本とした制度設計をし、教育内容についてはアメリカを参考にしたといわれているように、学校制度は当時の先進国から学んで導入したものでした。ですから、入学時期も9月入学でした。

  

しかし、その後、旧制の高等師範学校を皮切りに、師範学校、さらに中学校・小学校、そして専門学校や旧制の大学へと、4月入学が広がって、1921年にはすべて基本的に4月入学となってしまったのでした。その後、今日までほぼ100年が経ち、私たちの感覚では、4月入学が当たり前となっています。

  

なぜ、高等師範学校は9月入学を4月入学にしたのでしょうか。それは、当時の陸軍との人材獲得競争が大きな要因だったといわれます。1886年に、徴兵検査を受ける義務のある満20歳の男子の届け出期限が、それまでの9月1日から4月1日に変更となったのです。当時、兵役は義務でしたから、すべての男子は徴兵検査を受けなければなりませんでした。その届け出期日が、秋から春になったのです。

  

当時の高等師範学校の入学生の多くは20歳以上でした。そのため、このままだと優秀で壮健な若者を、陸軍に取られてしまうと危機感を抱いた高等師範学校が、まず4月入学に切り換えたのです。最初に切り換えたのは、東京高等師範学校、いまの筑波大学の前身の高等師範です。1886年のことでした。東京高師は師範学校の総本山的な地位にありましたから、続いて各地の高等師範学校がこれに倣いました。

  

その後、1888年には各地の府県立尋常師範学校も4月入学になり、さらに1907年には「徴兵猶予願」、つまり大学や師範学校などに在学していて、徴兵を猶予すなわち先延ばししてもらうための願いの提出日が、4月15日とされ、それ以降の入学者には在学証明が出ないという問題も起こるようになりました。

  

こうして、いまの私立大学の前身である専門学校も、学生確保のために、4月入学にするようになり、その後、中学校・小学校も、そして最後には、旧制の高等学校や大学も4月入学・新学期に切り換えたのでした。学校制度が発足してから、ほぼ50年経っていました。

  

ですから、4月入学・新学期は日本の学校制度が始まったときからそうであったわけではなくて、その裏には、学校と軍との人材獲得競争という、現実的な、つまり実利的な理由があったのです。しかし、それが定着してくると、そこにそれを利用する人々の価値観や感情が乗せられて、ある種の慣習が制度として機能するようになります。

  

私たちは、桜が咲き乱れ、温かくなり、身も心も上向いてくる、開放感溢れる好季節の4月は、新しく学校に入学する子どもたちにとっても、保護者にとっても、相応しい時期だし、学校が新たに始まるのにも相応しい時期だ、それは麗しい日本の学校の伝統なのだ、とあたかも当初から自分たちの感覚や価値観にあう形でつくられた慣習・制度であるかのようにして受けとめてしまっています。それが、慣性力として働くようになるのです。

  
  
  

うちの子どもをどうしてくれる


  

  

しかも、東大が受けた批判のうちの大きなものは、うちの子どもをどうしてくれるのか、という保護者の主張や、公務員試験や医師の国家試験など、試験への対応をどうするのか、という理由によるものだったといいます。

  

高校が春卒業なのに、東大は秋入学、しかも企業も新卒一括採用で、4月採用なのに、東大は夏卒業、これでは、入口と出口の半年ずつが無駄になり、東大生だけ1年間の人生のロスが出る、というのが、うちの子どもをどうしてくれるのか、という意見の多くのものだったようです。

  

それに対して、東大は入学後半年間をギャップイヤーとして、社会体験を積むことや、卒業後も半年間、様々な活動や留学をすることなどを奨励するとしましたが、理解は得られませんでした。

  

私個人は、どちらでもよいと思っていました。若い頃の1年や2年の遅れは、その後の人生にとってたいしたことではないことは、自身高校生のときに1年間の病気休学した経験からもいえますし、なによりも一浪二浪の学生も多くいるのですから、取り立てて1年間がとても重要だとも思えません。

  

現在のように、受験勉強に明け暮れて、そのまま大学に進学してくるよりは、半年ほど、受験勉強から解放されて、自分のやりたいことをやってきた方が、大学に入ってからの学び方が異なるのではないか、つまりより積極的になるのではないかとも思います。まあ、この半年間、アルバイトに精を出してしまって、それ以外何もしないのではないか、という意見もありましたが、そういう社会経験もあってよいのではないでしょうか。

 

また、2年の後半から就活に明け暮れて、専門課程に進学してからも学習や研究に身が入らず、4年の5月連休明けに内定を取って、夏休みくらいからようやく卒業研究に取りかかるような、いい加減な大学生活を送るくらいなら、半年ほど余裕があって、しっかりと学習した方が、その後の人生にとっては有意義なのではないかとも思ったりします。

  

しかし、世間はそうではないようなのです。新卒一括採用の慣習が根強く残り、社会全体がまだまだ画一的で、一斉に、という慣習や制度で動いているところに、東大だけが異なる仕組みで動くことは、とくに何かどうしても変えてはならない理由はないのでしょうが、保護者としては不安だということなのではなかったでしょうか。

  
  
  

動かしながら少しずつ変えるしかない


  

この不安だという感覚そのものが、実はこの社会が巨大な慣性力で動いていて、人々はその慣性力に身を委ねて日々を送っている、そしてその慣性力の中に身を置いていれば、あれやこれやの面倒なことを考えなくても済む、こういうことになっているということの、証左なのではないでしょうか。現状を変えることは、我が身を考えなければならないですし、対応しなければなりません。それは面倒ですし、どうしたらよいのか不安なのです。

  

東大の9月入学論議は、この慣性力の中の安逸に石を投げ込んで、波紋を広げてしまったということなのでしょう。東大が変われば、社会が変わるという思いも、9月入学を提唱した総長にはあったのかも知れませんし、いま変えないと、日本の大学そのものが国際的な競争から置いていかれてしまうとの危機感もあったのだと思います。しかし、社会は急激な変革を好まなかったのです。これはまた、臨教審の議論のその後と似ています。

  

それだからでしょう、国が教育制度をいじるときにも、少しずつというのが基本ですし、基本的にはほぼ10年後を見越して、毎年少しずつ、学年進行で変えていく、ということになっています。学習指導要領の改訂や入試制度の改革も、実に慎重で、一気に、えいやっ、というものはありません。いかにも小心翼々としている感じですが、そうしないと世論が黙っていない、つまり慣性力に改革を阻まれてしまうのです。

  

制度を動かしながら、少しずつ変えていくしかない、これが教育制度改革の大きな特徴なのです。いま、目の前の学校に、子どもたちがいる、その子の人生をどうしてくれるのか、というのが慣性力を支える感情なのだといってもよいでしょう。学校はそれほどまでに、子どもたちの人生と結びつけて受け止められているのだともいえます。

  
  
  

抱え込む学校


  

それだからでしょう、学校という「場所」は、とくに日本の学校は、子どもたちの生活をそのまま丸抱えして存在しています。学齢期にあるすべての子どもたちに平等に、知的な教育をするだけでなく、生活習慣をつけたり、健康診断をしたり、予防接種をしたり、さらには給食があり、掃除の時間があり、その上、進路指導、そして部活動までしてくれる、いわば子どもたちの人生のために、その基礎である知的・身体的・精神的な準備を丸抱えでしてくれる場所としてつくられてきました。

  

学校は、これまで述べてきたように、工業社会をつくり、国内市場を統一して、経済発展させ、国を富ませるために、労働力であり、購買力である、均質で画一的な価値観を持った国民を育成する場所としてつくられてきたのですし、しかも国の経済発展は、個人の経済生活を向上させることでもあったがために、人々は学校を利用し続けてきたのです。

  

学校は、いわば生活丸抱えの規律と訓練によって、皆が同じ国民として形成される「場所」であったのです。このようにして育成される子どもたちのことを「産業的身体」をもった国民と呼んだりします。この場合の「産業的身体」とは、誰もが工場で同じように、コツコツと働くことができる肉体能力と価値観をもっているということです。まさに、産業的な、つまりindustrial、すなわち勤勉で真面目で礼儀正しい「身体」つまり労働力としての国民なのです。

  

そしてこうして育成されることで、子どもたちの家計の向上が実現されるということが、社会的な信憑ですから、保護者や世間の人々の学校への信任には厚いものがありました。その上、学校は、地域社会の核として、明治以降つくられてきたのですから、学校の教師への社会的な信頼も厚かったのです。

  

ですから、教師の社会的地位は高く、尊敬される職業でもあったといってよいのではないでしょうか。しかも、教師の待遇は当初、あまりよくなかったのです。このため、薄給で子どもたちのために親身になって指導してくれる先生という、ある種の聖職観が教師たちにはつきまとっていたことも確かです。教師という職業は、自己犠牲的・献身的というイメージがついて回る職業でもあったのです。

  
  
  

余談:先生の給与が高かったわけ


  

  

余談ですが、それだからでしょう、教員の公務労働者としての労働運動が多くの人々から支持され、教員の組合(日教組:日本教職員組合)は労働運動の先頭に立つ組織でした。日教組の委員長が、労働組合のナショナルセンターであった総評(日本労働組合総評議会、現在の連合:日本労働組合総連合)の議長を担っていたほどでした。

  

しかも、高度経済成長を経て、民間の賃金が上昇するにつれ、学校は優秀な教師を確保することが難しくなっていきました。教員の資質が下がることで、学校の質を確保することが難しくなることが懸念されたのです。そこで制定されたのが教育人材確保法でした。1974年、今太閤と呼ばれた田中角栄内閣の時でした。

  

この法律の正式名称は、「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」という長い名前ですが、条文(本則)はわずか3条しかありません。あとは付則で運用のあり方が更新されています。

  

条文からも、優秀な人材を学校が確保することに苦心していたことがわかります。この法律の制定の結果、教員給与は基本給で12パーセント、諸手当を入れると25パーセントの大幅な増額となり、教員の平均給与は民間を含めた労働者の平均賃金を10パーセント上回るようになったといわれます。

  

その結果、優秀な人材が教育界にこぞって流れ込むこととなりましたが、反面で、教師のサラリーマン化が進むとともに、労働運動に亀裂が入ったともいわれます。それまでは、経済的に苦しくても子どものために献身的に働いてくれる先生というイメージだったものが、突然、自分たちだけ高い給料をもらう、偉そうにしている先生というイメージに変わってしまったとでもいうべきでしょうか。

  

その頃、勤勉で従順な労働者を育成するために、学校への統制を強めようとする政府・産業界と、自律的にものを考えて、人生を自己決定できる、そして社会変革を実現できる子どもを育成しようとし、学校への統制に抵抗した日教組との間で、激しいやりとりが続いていました。多くの国民の支持を得ていた日教組の運動、とくにストライキ闘争に、政府は手を焼いていたといわれます。

  

それが、この法律によって、教員の給与が大幅に増額されることで、労働戦線に亀裂が入り、日教組は急速にその力を失っていくこととなったといいます。さすが「おカネ」の魔力を知っている田中角栄だとは、一部のコアな人々の飲み屋談義です。

  

高度経済成長を経て、日本社会が物質的な豊かさを享受していた当時は、人々の価値観が、貧しさから豊かさへという一直線の単一の価値にもとづくものではなくなり、豊かになった物質生活の上に、どんな自分のライフスタイルを実現するのか、という個別化へと移行していった時期でもありますから、それまでのような一致団結・数の力で圧倒するという労働運動のあり方が、人々から支持されなくなっていく時期と、この法律の制定とが重なったのでしょう。

  

その証左に、結果的に、日教組だけではなく、日教組を含めた労働運動は迷走を始め、1989年には日教組は分裂し、総評も連合へと改組されていくこととなりました。ただ、当時は「おカネ」で労働戦線が分裂した、そういわれていたことも確かなのです。

  

余談が過ぎました。学校にきちんと行ってさえすれば、勤勉な産業的身体を持った真面目で礼儀正しい子どもに育成される、それがその子の将来の家計の向上に深くかかわっている、つまり一人前になれることとつながる。こういう観念が社会的に共有されていたのでしょう。だからこそ、保護者は先生を信頼し、先生のいうことは正しいし、学校で先生に叱られたなどと家でいおうものなら、また家でも叱られるという、ひと世代前の人たちが懐かしそうに物語る先生の姿が存在していたのです。

  
  
  

丸投げを引き受けた学校


  

では、その頃、人々は教師を尊敬し、信頼して、ともに子どもを育てていこうとしていたのでしょうか。実は、私にはそうは思えないのです。むしろ、教師を尊敬し、信頼していたけれども、学校に任せておけば大丈夫、先生のいうことは間違いない、という感じで、学校におまかせ、丸投げだったのではないでしょうか。そして、だからこそ、先生方はその思いを受け止めて、責任を感じ、さらに子どもたちの人生に自分はかかわっているという強い使命感を持って、なんでもかんでも引き受け、学校で抱え込むこととなってしまったのではないでしょうか。

  

制度がそうなっていただけではなく、人々がそう期待し、実践の現場で制度を運用する教師たちもそのように受け止め、人々の期待に応えようとしてきた、その結果、学校が子どものあらゆることを丸抱えするようになってしまった。こういうことのように見えます。

  

ここ、つまり学校という教育実践の場においても、産業的身体を持った国民を育成して経済発展しようとする国の目的と、少しでもよりよい生活をしようとする人々の欲望とが重なりあっていることを見て取ることができます。この二つの欲望を実践現場において一身に引き受けようとしたのが、学校の先生たちなのではないでしょうか。

  

ですから、国や産業界は教師への統制を強めようとし、保護者やそれに連なる労働者は教師を信頼することで、教員の労働運動を支持してきたのでしょう。それはまた、教師をめぐる厳しい矛盾であるかのように見えて、その実、物質的な生活つまり経済規模の拡大という意味においては、コインの裏表であったということです。

  

こうして、学校は制度としては生活の向上と経済発展という二つの欲望がつくりだす巨大な慣性力に支配されて、社会を先導するよりは、その慣性力を生み出す社会制度という自動機械の一部と化すことになりながら、教育実践の現場においては、子どもたちの将来に深くかかわるという意味において、未来を託されたものとして、受け止められることとなります。

  

そして、その未来は、社会が動こうとしている方向として、つまり既述の二つの欲望が生み出す慣性力が指し示す方向として観念されている以上、学校現場そのものが、その慣性力に強く縛られつつ、子どもの生活を丸抱えして、その将来を決める力を持つかのようなイメージがつくられていくこととなります。

  
  
  

丸投げのまま壊れる学校


  

  

1980年代半ば以降、社会が工業社会から情報・消費社会へと転換し始め、個性化が強調されて、学校にも個性化教育が導入されようとし始めたとき、そして社会の変化が子どもたちの荒廃状況として現象し始めたときに、学校を組み換えることが求められ、それを臨教審は個別化・自由化と文化的な帰属の強化で乗り切ろうとしたように見えます。

  

しかしそれに対して、学校制度そのものが抵抗した、つまり慣性力に身を委ねたまま、その慣性力を維持するように動いたかのように受け止められ得ます。学校の慣性力を保とうと行った改革が、子どもたちへの管理統制の強化、つまり学校内部における管理強化として作用することとなったのです。内申書や指導要録による子どもへの管理強化がそれです。それは、本来、個性化に対応する評価基準の多元化であったはずです。しかし、それが管理強化として機能してしまったのです。

  

その結果、保護者は子どもの教育を学校に丸投げしたまま、ものいわぬようになり、教師に対する尊敬は、忌避へと変化していってしまいます。触らぬ神に祟りなし、なのです。そして学校での成績を補うための学習塾が、全盛となります。

  

学校にあれこれ要求するよりも、家庭で手を打って、学校という慣性力の働いている制度を利用する、というのが各家庭の処世術となったのです。丸投げだけれども、お任せでない、けれども文句はいわないで、自分で何とかする。こういうことです。

  

こうして、学校は「学歴」といういわば社会的な慣習的制度を子どもたちが獲得するために、子どもや保護者がじっと耐える場所となり、その実質的な獲得を確保するための手立てとして、学習塾が登場し、知的な教育は消費財として市場化され、市場を通して購入されるサービスとなっていきます。学校と教師は保護者や社会の人々の信任を失い、利用すべき慣習的制度と化していくのです。

  

さらに学校が、子どもの個性を評価するために、いわゆる関心・意欲・態度という観点別評価を導入することで、子どもの人格そのものを評価するかのような、それでいて均質で平等な場でなければならないという矛盾した「場所」としてつくられることとなります。

  

評価尺度がいわゆる客観性を失い、教師の主観という曖昧なものを基準にするかのように受け止められた上に、それでも均質で平等でなければならないとされた「場所」に、今度は、教育をサービスとして購入する消費者としての保護者が登場するようになります。

  

しかも、この消費者は、サービスとして教育を提供する学習塾のプロたちと学校の教師を比較する視点を獲得しているのです。教師たちは、教育の専門職としての信頼を失い、単なる学歴の付与者として、保護者たちが利用すべき対象へと堕していってしまいます。

  

ものいう消費者としての保護者の登場です。こうして、学校はクレームの嵐に晒される、単なる学歴授与の場所へと位置づけを変えられてしまいます。いわゆるモンスター・ペアレンツの登場です。

  

この背景には、公務労働をもサービスだと見なす、つまり市民が税金を払って行政サービスを購入しているのだと見なす新自由主義的な観点の広がりがあったことも確かです。

  
  
  

学校って、いったい何やってるところなの?


  

そして、確かに私も、次のような経験をしたことがあるのです。今年もう20代後半になろうとする私の子どもが小学生の頃のことです。私が住んでいる学区は、市内でも落ち着いているといわれているところで、保護者の教育意識も高く、学校にも協力的だと、私自身受け止めていました。

  

また、同じ学区には、私立の小学校が開校となり、お受験が一部の保護者の心をとらえ、学習塾や予備校が地下鉄の駅前に続々と開校し始めていました。さらに、スイミングクラブやフィットネスセンター、さらにはサッカーや少年野球、フットサルなどのクラブも花盛りでした。

  

PTAの会合のあとで、お母さん方とお茶をしたときの会話です。

  

「もう、学校って、どうなっちゃってるのかしらね。」

「新学期の始めに、先生が、こういうのよ。学校では学力はつきませんから、余裕のあるご家庭は、子どもを学習塾にやって下さい、って。」

「うん、うちもそういわれた。プールもそう。学校のプール指導では泳げるようにならないから、スイミングスクールにやってくれ、っていわれた。」

「それで、記録だけは取って、成績にするんだって。」

「学校って、いったい何やってるところなんでしょうね。」

「なんだか、子どものデイサービスみたいじゃない。ただ、預かってる、っていうだけの。」

「でも、塾にやってくれっていわれても、ここにいるみんなも子どもを塾にやってると思うけど、塾に行けない子だっているわよね。」

「経済的問題で?」

「そう。」

「だったら、教育費って税金ですごくかかってるんだから、それを全部、各家庭にクーポンで配ったらどう?」

「どうするの?」

「うん、おカネじゃなくて、教育にしか使えないチケットみたいなものにして、子どもがいる家庭に配って、親はそれを持って、学校や塾やスポーツクラブに行くの。そこで、そのクーポンを集めて、区役所とか市役所に持っていくと、その分のおカネが学校と家塾に下りるの。
こういうことにすれば、経済的に苦しい家庭の子だって、塾に行けるし、スイミングスクールにも行けるし、いいんじゃない?」

  
  
  

  
  
  

学校も塾やクラブと競争すればいい


  

「学校は?」

「だから、学校も、こういう塾とかスポーツクラブとかと競争になるの。学校の先生の給料も、このクーポンから出るようにすればいいんじゃない?国や県が先生方の給料も負担してるんだけど、それって税金なんだから、それを全部クーポンとして配っちゃって、あとは親や子ども自身が、行きたいところ、受けたい教育を決められるの。どう?」

「それ、いいかもね。こんな、学校では学力はつきませんから、とか、泳げるようになりませんから、なんていわれてるくらいなら、親が自分で子どもの教育を選びたいわよね。」

「それって、本当は親の教育権っていうものの中に入ってるんじゃないの? それを公的に保障する制度をつくればいいんだから、教育クーポン制って、魅力的よね。そうすれば、経済的に余裕がない家庭の子どもも、塾に行けるし、よほど平等じゃないかしら。」

「学校って、国の制度だから、仕方なくみんな従ってて、学歴をつけようとしてるけど、もうそれしか役割は残ってないわよね。」

「集団で学ぶこと、社会性を身につけることが大事っていうけど、先生ほど社会性のない人もいないし、学校の中に閉じこもってたって、子どもたちの社会性ってつかないわよね。それなら、地域のクラブに参加した方が、異年齢だし、おとなたちとも触れあえるし、よっぽどいいとおもうけどなあ。」

「ね、だから、そこでもクーポンが使えるようにすればいいよね。だったら、みんなが行けるようになる。」

  

お母さん方の会話を、末席でじっと聴いていた私を見つけたあるお母さんが、こういうのです。

  

「ねえ、牧野さん、教育学の専門家として、どう思う? 牧野さんが勤めてる大学って、偏差値が高くて、学生たちはみんな進学塾とか予備校に通ってたわよね。みんな、裕福な家庭の子どもたちなんじゃない? それって、不公平よね。」

  

困りました。というのも、お母さん方のいうこともよくわかりますし、それはある意味で新自由主義的な権利行使のあり方で、一理あるのです。

  

しかし、国の制度、さらには国という仕組みそのものがそのようにはつくられてはいないのも事実なのです。でも、お母さん方のいうことは、それこそこの学区の子どもたちだけを考えるのであれば、言い得ているところもあるともいえます。

  

平等のはずの学校教育がすでに不公平を生み出すように機能してしまっている。それなら、もっと実質的に平等になるように制度を組み換えればいい、その基本となるのは、個人のニーズであり、それを平等に保障することだ、ということなのでしょう。

  

このことは、平等とは一体どういうことなのかを問うていることになります。お母さん方の話は、日常的な感覚によって、この国という制度をつくっている平等を崩してしまうことでもあるのです。しかしだからといって、それを否定すべきものでもない。ここに、私の困った、があるのです。

  
  
  

メンバーシップを持っているということ


  

ちょっと難しい話になるかも知れませんが、先のお母さん方の話は、私たちが親を選べないのと同様に、生まれてくる国を選ぶことができないのに、その国の制度に組み込まれて、権利や義務を決められていることをよしとしているのはなぜなのか、ということとかかわるのです。

  

もちろん、国というのは後付けのものですから、後々自分で国籍つまりメンバーシップを選ぶことが認められています。しかし、基本的には、いまの国という制度上は、生まれてくる国を自分で選ぶことはできず、生まれれば、その国の国民として育成され、その国の制度の中で生活することとなります。

  

いま私たちが住んでいる日本という国は、国民国家と呼ばれる国です。単純化していえば、自分が日本国民だと思っている人たちによってつくられている国で、一人ひとりが主権者と位置づけられていて、法的に権利と義務が規定されている国です。

  

いまの若い人たちの中には、自分は日本人だけど、日本国民かどうか考えたことがないという人もかなりいるようです(私の大学での経験ですが)が、それでもその日本人という意識は日本という国に属している自分という感覚にもとづいたものなのではないでしょうか。いわばメンバーシップとして、自分がその国に帰属していることを意識していることになります。

  

このメンバーシップは、ある意味で、皆が同じように受け止め、自分がそうなら、他の人もそうだと思えるような意志の力によって支えられています。たとえば、殺されたくない、と思うからこそ、殺されないように行動しようとする意志が働きます。でも、自分がそうであるなら、他の人たちも同じに違いないし、そうであれば、他の人たちも自分と同じようにそうであり得るようにしなければならないという意志が働くことになります。

  

そして、そうならば、それを自分たちの集団の意志としようということになります。これを集団の一般意志といいます。でもそれは、そう強く意識することで生まれる意志ではなくて、人々がごく自然に持っている、それをたとえば相互のやりとりの中で意識するようになる、そういうものとして措かれています。だから、議論が大事なのです。

  

これは、多数決とは相容れないものです。多数決とは、自分の利益を主張する人が多くなれば、それが力を持つという考え方ですが、一般意志は、自分の利益を一旦措いておいて、一人ひとりが集団みんなのことを考えようとするというところから生まれるものです。

  

そういう意志を、集団として組織して、強制力として制度化したものが、国という仕組みですし、それを運用する強制力のある権力が公権力なのです。公権力は人々の一般意志を組織したものです。だから、私たちは自分が生まれ落ちた集団の一員、つまり国の成員として、その一般意志を体現したものとして、そこにいることになります。

  
  
  

自由と平等のトレードオフ


  

ですから、国の制度としての法律には、例えば人を殺してはならないとは書かれていません。なぜなら、殺されたくないという一般意志を組織したものが、国という制度なのですから、誰も殺されないということが、この制度の前提だからです。でも、もしかしたら、人を殺す人がいるかもしれない。

  

それは、この制度つまりその制度の基盤となっている一般意志に対する否定です。だから、人を殺したら、強制力を持った公権力がその人を罰します、と書かれているのですし、殺された人の側の関係者が復讐することも認められていません。もし復讐して、相手を殺してしまえば、それは殺人罪に問われることとなります。

  

なぜなら、すべては一般意志を皆が体現していることが前提なので、人を殺すということは、それを否定することに他ならないからです。個人の意志は特殊意志(個別意志とも)といわれるもので、それが寄せ集められても全体意志といわれるものでしかなくて、一般意志ではないのです。

  

ですから、いくら世論が、復讐を賞賛しても、殺人罪は殺人罪として、公権力によって処罰されます。唯一、一般意志だけが、人々の生まれながらにして持っている自由を左右することができる、つまり公権力だけが人を殺すことができ、行動の自由を拘束することができるのです。

  

だからこそ、殺人罪などの犯罪では、意志が問われるのです。殺そうと意志したのか、が量刑の判断基準です。もし、殺す意志がなくて殺してしまった、たとえば交通事故などでしたら、これは過失致死となって、殺人罪ではありません。

  

そしてその国の中では、人を殺してはいけないということは、倫理や道徳として、国民にそう教え込まれることとなります。

  

つまり、殺す-殺されるという議論に象徴されるように、国という制度は、人々がある利益を所有すること、たとえば生命を所有する自由、つまり生きる自由をお互いに認めあうことが制度化されたものだということになります。

  

いいかえると利益を所有する自由を平等に公権力が保障するということ、つまり公権力が人々に平等に所有の自由を分配し、それを相互に侵した場合には、公権力がそれを調停し、罰するという仕組みとして国という制度はつくられたとされるのです。

  

でも、人はどうしても自分だけよりたくさんの利益を得たいと思ってしまいます。そうすると自分だけの自由を求めて、他の人の自由を侵害してしまいがちです。また平等であろうとすると、自分の自由が周りの人たちから侵害されていると感じる人も出てきます。

  

そうなると、諍いが起こります。そこで、公権力が他人の自由を侵害した人を罰して、平等にお互いに自由を認めあうことを求めるのです。でもそれは、公権力に抑え込まれているという状態でもあります。 つまり、自由と平等とはいつも矛盾するのです。ものを所有する自由とそれを平等に分配することとは、トレードオフの関係なのです。

  
  
  

博愛・友愛か「家」の同胞意識か


  

このトレードオフが生み出す争いを回避するために、ヨーロッパで自由と平等のあとから加えられたのが、博愛・友愛という概念です。これがさらに同じ国民という同胞愛へと高められることで、その国の中では、お互いに同胞愛で結びついた同じメンバーシップを持ったものが、自分の自由を相互に抑制して、平等であることを認めあって、社会をつくっている、こういうことがフィクションとしてつくられ、強化されてきました。

  

この同胞愛を子どもたちに涵養し、国民へと育成する制度が、学校でもあったのでした。それはまた、宗教的な愛から国民的な愛へと愛のあり方を組み換えることでもありました。だから、学校では普通教育、つまり世俗的な、非宗教的な教育内容が教えられ、人々の忠誠心の対象を神から国という制度へ、そして愛の対象を神ではなく、同じ国をつくっている同胞へと組み換えたのです。

  

では、日本のように後発の国民国家の場合はどうなのでしょうか。もちろん日本も、明治以降の国づくりの過程で、国民意識の宣揚つまり同胞意識の増強を進めますが、ヨーロッパのような宗教的な愛が存在しなかった日本は、むしろ家族主義的な血縁の関係によって中心をつくりだし、その家族を国へと拡張することで、国民の帰属意識を強めていったといった方がよいように思います。

   

しかも、その家族がよりよい生活を享受できるように、国が保障する、つまりいわゆる家父長的な関係が、家から地域社会そして国へと拡大していくような構造を取ったのです。

  

この媒体となったのが学校制度でした。これが、これまで述べてきた家と地域と会社と国を直結するものとしての学校という制度の姿でもあります。しかも、同胞愛ではなく家族関係が国へと拡張されるという仕組みは、立身出世すること、家計が向上することは、より大きな家族である国が発展することと直結します。そのためには、お互いに国のためにがんばることが自明の観念となっていきます。

  
  
  

自由と平等をウィン-ウィンにする学校


  

ここで生まれてくるのは、自由と平等は本来トレードオフの関係にあるのに、平等であることによって自由がよりよく保障されるようになる、というウィン-ウィンの関係なのです。

  

つまり、平等であればあるほど、皆が切磋琢磨して、コツコツと勤勉に働き、そうすることでより大きな家族である会社や国が発展し、経済のパイが大きくなるので、それを分配することで、所有の自由がより十全に保障されるようになる、つまり利益を得たいという欲望すなわち自由が、その自由を抑制して、お互いに平等であることを保障しあうことで、よりよく保障されることとなるという好循環が生まれるのです。

  

これが、家計の向上と経済発展を二つながらに実現する学校という制度が人々を惹きつけることとなる秘密なのです。ですからまた、自由と平等を両立させて、一人ひとりの国という大きな「家」への求心力を高めておくためには、経済発展と家計の向上がなされ続けることが、国という制度にとっては宿命となるのです。

  

それができない場合、子どもである国民は、国民であるという帰属の足かせをされたまま、うち捨てられ、孤児となる、つまり孤立し、社会が解体し始めることとなります。

  

だからこそ、人々は既存の制度にしがみつこうとするようになる。これが社会の巨大な慣性力の一つの原因でもあります。

  

ですから、先のお母さん方の話は、このような国のつくられ方を崩してしまうことにつながる議論なのです。そして確かに、新自由主義的な権利行使の議論は、小さな政府論と一体のものでした。つまり国民の一般意志が組織化されたものとしての公権力を極力小さくして、それぞれの個人の権利行使の枠を拡大することで、市場における権利行使の平等が実現し、より大きな自由を個人が享受することができる。こういう議論が、新自由主義論者の主張でした。

  

これはまた、一般意志のレベルをできるだけ下げて、公権力を小さくする一方で、個人の個別意志を極力高めて、その相互の調整機能を発揮すれば、全体としての社会はよりうまくいく、という考え方です。そして、この考え方にも一理あるのです。

  

とくに、先のお母さん方のいうように、これまでのような平等の教育機会を分配することで、自由な取り分を拡大することにつながる、つまり家計の向上と経済発展を二つながらに実現するように、学校という現場が作動しなくなってしまっているとき、その教育機会の分配のあり方を組み換えることは、平等をよりよく保障するために必要なことだからです。

  
  
  

均質と画一をやめつつ維持するという矛盾


  

しかし、私が困った、のは、この話にはいくつかの問題が含まれているからなのです。これは、いわば均質と画一をやめながら、それを維持するという矛盾した議論になるのです。

  

先のお母さん方の話は、学校がきちんと教育できなくなっているのなら、塾もクラブも含めて、教育クーポンや教育バウチャーを発行して、それぞれの家庭が子どもの教育機会を選び、つくり、子どもに学習を保障できるようにすればよい、といいつつ、他方で学校の持つ選抜機能や学歴付与機能については、利用しようとして、価値を措いているのです。

  

そうすると、自分の学区では私立学校を含めた様々な学校があり、また民間教育事業者が様々な教育サービスを提供しているので、それを活用すればよいけれども、その活用の結果与えられる学歴は、国統一の一律の教育システムによって分配されるもので、そこで比較優位をとことで、社会的に有利な地位に就くという、これまでの制度はそのままになっているという矛盾が起こるのです。

  

つまり、この学区のように様々な学習機会が、様々に提供されていて、それを選択したり、自らつくったりすることができる学区では、教育クーポン制などの議論はできても、そうではない学区、たとえば学習塾すらなく、スイミングスクールもないような学区で、同様の議論ができるのかというと、それは無理だということになり、学区の間で大きな教育機会の不平等が生じてしまうのです。

  

なのに、この不平等をそのままにしておいて、全国一律の画一的な慣習的制度である「学歴」を利用しようとするのです。ここに矛盾はないのでしょうか。つまり、均質で画一的な制度を否定しておきながら、それを利用しようとするということになってはいないでしょうか。

  
  
  

均質と画一の矛盾をなくす方法


  

  

この不平等をなくすには二つの方法しかありません。一つは全国のすべての学区で、同じような様々な教育機会を享受できるように、すべての子どもたちに保障することです。もう一つは、学校という国の統一のしかも画一的な選抜システムが与える学歴を否定して、国の制度としての学校をやめてしまうことです。

  

前者は市場社会では無理ですし、後者では、学歴がなくなってしまっては、お母さん方の話の枠組みでは、子どもたちに平等に様々な教育機会の選択を保障することが意味をなさなくなってしまいます。

  

それで、牧野さん、教育学の専門家としてどうなの?と問われて、困ってしまったのです。

  

残されているのは、ここまで述べてきた日本の学校制度を動かしている巨大な慣性力の基本的な価値構造、つまり均質と画一を違うものに組み換えること、だけなのです。それはまた、均質だから画一であり得、均質だから平等でなければならない、均質だから公平に扱われるべきだし、均質だから人々は同じ価値を持ち得る、そして均質だから比べることができ、均質だから競争できるという、この社会をつくっている人間観を組み換えるということでもあります。

  

つまり、違っているから同じなのだし、違っているから比べてはならないし、違っているから平等でなければならない、という論理をどうやって学校の中に組み込んで、一人ひとり違う子どもたちが、違っているからこそ新しい価値をつくりだし得るのだという論理をつくりだすのか、ということです。

  

学校はそれに耐えられるのか、このことが問われているのだといっても過言ではないと思います。

     

                


    
    

 
   

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