生活・趣味

【寄稿】じじばばが子どもを支えて主役になる—「地縁のたまご」プロジェクト(2)|〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(6)

2022.09.29

〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(6)
息苦しく不穏な時代の渦中にいながら、新しい⾃分の在り⽅を他者との「あいだ」に見出し、〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる人々がいます。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、その〈ちいさな社会〉での生き方を追い、新たな「⾃⼰」の在り⽅を考えてみましょう。
今回は、第5回記事のウォーミングアップを受けて、実際に地元のコミュニティを「多世代交流型コミュニティ」につくりかえて、さみしいじじばばとさみしい孫たちが一緒になって、愉しく暮らす取り組みを進めている人たちの活動を紹介します。

第5回記事はこちら


     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

 

大都市近郊団地の現実


    

私の研究室では、様々なまちづくりの取り組みを行っています。その中にたとえば、「多世代交流型コミュニティ」つくりの実践があります。

   

これは千葉県柏市で行っているものです。はじまりは、ある戸建て団地の自治会からのご依頼でした。

   

この団地は、いまから40年ほど前に東京近郊にたくさん開発された新興住宅地の一つで、いわゆる千葉都民が住んでいるところでした。千葉都民とは、千葉県に住んで、東京都に通勤しているサラリーマン家庭を揶揄する言葉で、千葉県に住んでいながら千葉のことには関心がなく、東京に目が向いている人々、とでもいう意味です。

   

ここに子育て世代だった30代の若い夫婦が一斉に転居したのです。その人たちが、定年を迎え、この団地のコミュニティへ帰ってくることで、団地が一気に高齢化してしまったのです。

    

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※写真はイメージです。

   

ここにもう30年以上も住んでいる、高齢化で人間関係も稀薄になりがちだが、何とかしてこの「新しい故郷」を維持したい、そういう思いからのご相談でした。

              
  
  

「さみしいんだけど、何かして欲しいわけじゃないんだ」


      

詳細は省きますが、この相談を受けて、私からはコミュニティの範囲を団地だけではなく、小学校区にまで広げた上で、多世代交流型のコミュニティをつくれないかと提案しました。

   

それは、地元高齢者の生きがいを中心にして、「安心」「安全」「学習」という概念で考えられる地域の資源を配置して、高齢者がお互いに声を掛け合って「まち」に出かけ、「まち」で活動し、そうすることで「まち」が変わり、「まち」が終の住処になるようなあり方を構想するものでした。

   

この構想を、ありがたいといって受け取って下さった住民の皆さんだったのですが、実際にお話をうかがってみると、なかなか素直にこの構想を実現するということにはなりそうもありませんでした。

   

「オレたちが子どもの面倒を見たいんだよ、ほんとのところ」という出だしで始まった住民の皆さんの話は、こういうことでした。

    

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※写真はイメージです。

   

「健康、カネ、時間、現役時代には欲しくてたまんなかったものが、いま、手の中にあるっていうのに、それじゃあダメなんだな。さみしくてかなわない。ないのは生きがいなんだよ。」

   

だから、「生きがい」を中心にした、まちづくりの構想を出したのですけれど・・・・・・。

   

「でも、なんだか、しっくりこないんだよねえ。なんだろ、あんたら若い世代が年寄りの面倒を見る、っていう感じがしてしまうんだよね。そうじゃないんだな。」

   

「さみしいんだけど、何かして欲しいというわけじゃない。そんな感じなんだな。」

   

「でね、自分の息子世代を見てみるだろ。そうすると、孫がさみしそうなんだな。このご時世、みんな共稼ぎなんだね。親は忙しくて、子どもに構ってられない。何不自由ない生活を送ってるのに、孫の世代は、なんだかこの社会に居場所がないような感じなんだな。オレたちとおんなじじゃないかって思うんだよ。」

   
   
   

「オレたちが何かしたいんだよ、孫たちの面倒を見させてくれないかな」


     

「オレたちに、孫たちの面倒を見させてくれないかな。」

   

「でさ、自分の孫がいないのもいるじゃない。それで、他人の孫を自分の孫にするってのはどうだい?」
「お、おもしろそうだねえ。他人の孫、って他と孫で“たまご”だろ。」

   

「それをいうなら、その他人の孫の“たまご”が多くなるともっとうれしいよね。多い孫で“たまご”だろ。」

   

「おお、それいいねえ。“たまご”ってなんだか守ってやんなきゃいけないようなイメージがあるし。じじばばがここで一肌脱いで、“たまご”のために、頑張るっていう感じ。いいねえ。なんだか、元気が出てくる。」 

    

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「今度は、じじばばの出番だね。いいねえ。ちょっとわくわくしてきた。」

   

「先生、こういうオレたちのわがままを実現できるような計画、つくってくれよ。」

  

「では、それって、血のつながった孫じゃなくて、地元の孫ですから、血縁の“たまご”ではなくて、地縁の“たまご”ですね。「地縁のたまご」プロジェクトでいきましょう。」

   

ということで、「地縁のたまご」プロジェクトが発足することになったのです。

       
   
   

新しい鎮守の森


   

でも、新しいプロジェクトを始めるためには、核となる組織と場所が必要です。どういう組織をつくるのかがまず大問題でした。私たちの経験が教えてくれるのは、地域の人間関係は、総論賛成・各論反対の世界だ、ということです。

   

みんなが、「地縁のたまご」いいねえ、といっているうちは一つの方向を向いているのですが、いったん具体的な実践が始まった途端に、あ、先生、いい話なんだけど、オレ、あいつとは馬が合わないから、今回は勘弁して、といって、人がぽろぽろと抜け落ちて行ってしまうのです。その結果は、火を見るよりも明らか。うまく動かなくなってしまいます。

   

そこで、私たちは地元の高齢の方々に、地元総出でプロジェクトを進めるために、実行委員会をつくってもらうことにしました。それも、地元のあらゆる団体に声をかけて、そのリーダー格の人に参加してもらうのです。でもそこでまた、問題が起こります。誰が実行委員長を担うのか、ということです。人選を間違えば、そっぽを向く人が出てきます。

   

そんなとき、力を発揮する人が、地元には必ずいるのです。これも、私たちの経験が教えてくれることです。「百戦錬磨のおばさん」です。少し前まで、小中学校のPTAなどで鳴らして、地元の人間関係に精通した世話焼きおばさんが、必ず地元にはいます。

   

そういう人に相談に行きますと、即答で「あ、それなら、この人が適任よ」という人が出てきます。この人に実行委員長を務めてもらいました。とてもうまく取り回しをして下さり、すぐに動きが生まれました。

   

次は、場所です。さて、どうするか、と思案していましたら、ばばからこんな意見が出たのです。「みんな、高度経済成長の頃にここに引っ越してきて、新しいふるさとをつくってきたんだけど、もともとの自分の地元には鎮守さまがあって、みんな、その森に守られて遊んだっけね。ここにはそんなものありゃしないけど、私たちが鎮守の森になって、子どもたちを守ってやりたいねえ。」

    

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するとどうでしょう、口々に、こんな意見が出てくるのです。
「だったら、新しい鎮守の森が囲んでる境内が欲しいよね。」

   

「境内をみんながつくって、みんなで運営したらどうだい?」

   

「集会所じゃなあ。」

   

「そうだねえ、畳敷きでお茶が出るって感じじゃないねえ。」

   

「ちょっとこじゃれた喫茶店、って感じ?」

   

「あ、コミュニティ・カフェにしましょう。」

   

こんな感じで、新しい鎮守の森としてのじじばばがコミュニティ・カフェを経営する、ということで、プロジェクトの核がつくられていったのです。

  
   
    

コミュニティ・カフェを住民が経営


    

コミュニティ・カフェの場所は、行政にお願いして、公共施設の空き車庫を出してもらいました。それを、住民総出で改装して、居心地のよいカフェにしつらえたのです。

   

地元には、腕に覚えのある多彩な人材が揃っています。大工さん、左官屋さん、電気工事屋さんからインテリア関係の仕事をしている人、そして家電品屋さんから事務用品屋さんまで、それぞれが得意分野の力を発揮して、手弁当でカフェをつくっていきます。そして、地元住民も、時間を見つけては、お弁当を持って来たり、労力を提供したりして、見る見る立派なカフェができあがっていきました。

   

子どもたちにも声をかけました。彼らの役割は、この「地縁のたまご」のキャラクターをつくることです。コミュニティ・カフェ開店に先立って、子どもが考えたキャラクターを、彼ら総出でカフェのシャッターに描きました。

   

オープンは2012年の5月、名づけて「茶論」(さろん)です。地元の関係者が総出で祝い、その後、活発に利用されて、今日に至ります。もう10年も経ってしまいました。一日の利用者は、平均で延べ120名ほど、地元の小学校区コミュニティが約3000名ですから、休業日を除いて約1か月で学区の人々が一巡する計算になります。

 

「地縁のたまご」関連画像
「地縁のたまご」づくりの様子。(写真:団体提供)
「地縁のたまご」ホームページはこちら

   

週の半分を地域のグループによる活動の日、半分を自由に利用できる日としてありますが、グループ活動の時間は、すでに半年先まで埋まっていて、時間の取りあいになるほども活用されています。

   

子どもたちも日常的に訪れるようになり、朝、登校時に立ち寄っては、いってきまーす、と元気に挨拶をし、下校時にもまた立ち寄っては、ただいまーっ、と声を交わしたり、宿題を見てもらったりしています。地元の高齢者も、登下校時の「辻立ち」をして、子どもたちの見守りと声かけをしたり、グループ活動に子どもを招いて、一緒に手芸をしたり、地域の清掃活動を行ったりと、多世代交流があちこちで進められています。

   

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※写真はイメージです。

   

さらに学校との連携も強め、土曜授業や放課後子ども教室を、「多世代交流型コミュニティ実行委員会」として担当したり、学校の環境整備にも力を入れたりと、いまでは、学校から「多世代さん」と呼ばれて、様々な行事への協力を依頼されるほどにもなっています。

   

最近では、学校の遠足などの校外行事に同伴して、先生方の負担を減らしたり、子どもと交流しつつ、見守りをする活動などにも積極的にかかわりを持ったりと、学校の運営になくてはならない存在になっています。なかには、学校の読書指導にかかわったり、授業に出向いて、子どもたちの勉強を見てやる役割を担い始めたりしたじじばばもいます。

 

そのためか、学校も「多世代さん」との関係を大切にして、教育実践をしようとの動きが強まり、地元からの要望も極力優先的に受け入れてくれるようになったといいます。

             
   
   

じじばばが元気で、子育てに優しい地域と評判に


              

こういう取り組みの中で、地域の人間関係も明らかによくなり、子どもたちも笑顔で挨拶をしてくれるようになったそうです。

  

そうなると、じじばば世代と子ども世代に挟み撃ちされるかのようにして、いわゆる現役世代が動き始めます。自分の子どもをじじばばだけに預けておいてよいのか、申し訳ない、という思い以上に、なんだか楽しそう、という関心が彼らの背中を押すのです。そして、気がついてみたら、週末の夕方、「おやじの会」がバーベキューの集いをやっていたり、「ママの会」がコミュニティ・カフェで手作りのお菓子を振る舞っていたり、という活動が広がっているのです。

   

それだからでしょうか、この地域は子育てに優しい地域だとの評判が立ち、若い子育て世代が幾度も見学に来て、活動に参加しては、最終的に、ここに家を建てて引っ越してくることが多くなっています。少子化の影響で、同じ市内の学校は学級減なのに、地元の学校は学級増になっているのです。

    

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また、地元の農家の協力もあって、コミュニティ・カフェの前庭では、農作物の朝市が開かれ、住民の交流の場としても機能し、またちょっとした小さな経済の循環をつくることにもつながっています。

   

「さみしいじじばばと孫たちが結びつくことで楽しいコミュニティをつくる」という思いはすでに遂げられています。しかも最近では、人口増にともなって、医療機関の誘致にも成功し、コミュニティの安心度は格段に高まっています。いまこの医療法人との間では、訪問医療・在宅介護の実現に向けた話し合いが進められています。

   

またコミュニティを持続可能なものとするために、ひとり暮らしになった高齢者が、空き家を利用した地元の小さなグループホームに移り、自分の家をリフォームして若い世代に貸し出したり、売ったりして、若い世代に引っ越してきてもらうような仕組みをつくろうと、不動産流通の研究会を立ち上げる動きも出ています。

             
   
   

「自治」をやる


   

こうして、人々が誰彼となく結びついて、お互いに認めあい、支えあうことで、その地域コミュニティを担うアクターへと自らを育てていくのです。

   

そしてアクターとして地域を舞台に活躍することで、楽しくて、生きがいのある生活を送ることができ、そこにさらに人が集まってきては、新しい地域コミュニティの経済が回り始め、まちが生き生きとしていくのです。

    

このコミュニティでは、老若男女すべての人々がフルメンバー、つまり正規のメンバーとして自分の役割を楽しく担い、人と人とを結びつけながら、自分が認められ、コミュニティに位置づき、大切にされているという幸せな感覚を持つことができるようになっています。

    

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まさに、コミュニティが自立して、自治的に経営され、主権化、つまり自分事化しているのです。自治とか主権とか、難しい言葉のように聞こえますが、それは眉根にしわを寄せて、しかめっ面して語るような言葉ではありません。自分から、みんなで、楽しく、やる。そういうことです。

   

こんなことがあります。いま、中高生くらいの若い世代が「自治」という言葉を使い始めているのです。「自治」をやる、「自治」ができてる、といったりします。たとえば、地下アイドルの追っかけの子たちがいます。この子たちが、「私たち、Aちゃんの追っかけは自治ができてる。でも、Bちゃんの追っかけの子たちは自治ができてない」といったりします。

             
   
   

楽しい恩送りは伝染する


    

 

どういうことなのでしょうか。彼女たちはこういうのです。私たちAちゃんの追っかけは、コロナ禍でみんなが気を遣いあわなければならないから、コンサート会場でもきちんと距離を取って並んで、会場に入り、会場でもAちゃんを支える気持ちとコンサートを開けるようにしてくれた関係者の人たちへの感謝の気持ちで、しっかりと楽しんで、最後は、会場の後片付けを手伝って、来たときよりもきれいに掃除して、「ありがとうございました!」って、会場をあとにする。そうすると、自分もAちゃんの仲間の一員だという気がして、うれしいし、とても気持ちがいい。そうすると、その気持ちが伝染する。これが「自治」をやるってこと。

   

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※写真はイメージです。

   

でも、Bちゃんの追っかけの子たちは、全然整列してないし、会場でもマスクはずして大騒ぎだし、コンサートが終わったら、会場を散らかしたまま、帰っちゃう。「自治」ができてないでしょ。楽しくないんじゃないのかなあ。こういうのです。

   

そう、主権とか自治の基本は、みんなで一緒に自分からやって、楽しむ、そうすると気持ちがいい、そしてそれが自分事になる、ということなのです。

   

さきの「地縁のたまご」プロジェクトも、じじばばが子どもを支えることで、子どもを主役にして、自分が新たな役割を獲得して、楽しくなるし、気持ちがいいという恩送りの実践なのです。この取り組みでは、地域コミュニティが住民一人ひとりの自分事になっているのです。
(次回につづく)


     

 

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