新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2023.02.22
第13回記事「「農的な生活」が生む幸福論・3—田舎をめざそうプロジェクト(3)」はこちら
この記事を書いた人
牧野 篤
東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。
これははじめ、農作物を都市民に売ろうという発想で生まれたものです。メンバーが借りて住んでいるお寺の境内で、農作物のフリーマーケットを開こうというのです。彼らがつくった野菜や米の他に、地元のじいちゃんやばあちゃんにも農作物を出してもらって始まったのですが、どうも今では、ものを売るだけではつまらなくなってしまったようで、ジャズコンサートなどの出し物をやったり、じいちゃんたちが五平餅を焼いて売ったりと、ある種の交流イベントになっています。
春夏秋にそれぞれ一日ずつ開かれるのですが、今ではたくさんの人に認知されているのか、一日で約1000人の来場者があるほどにまで広がっています。
この場で、メンバーたちはネットワークをひろげ、また来場者が互いに知り合いとなり、この地域の魅力を発信してくれるのです。しかも、ここにはじいちゃんやばあちゃんたちの有志もかかわっていて、手工芸品を出品し、梅干しなどの漬物や五平餅などの食べ物なども売られています。そして子どもたちも、ここで手伝いをしたりしているのです。
様々な人が行き交う雑踏のような空間が出現し、人と人とを緩やかに結びつける場所として、このご縁市が機能しているのです。
耕作放棄地を再開墾して、都市民に貸し出す事業です。お米トラストは稲作を、豆っこクラブは大豆の栽培をしています。多くの類似の事業では、田植えと刈り取りに来てもらって、あとの管理は地元農民が行うというスタイルが一般的ですが、ここではまったく異なるやり方で、都市の住民にかかわってもらっています。
つまり稲作や大豆栽培の全工程にかかわってもらうのです。稲作なら、種籾から苗代づくりをして苗を育て、田植えをして、有機の施肥をし、さらに夏の暑い最中に草取りをしてもらい、秋の収穫には鎌で刈り取り、はざかけ、天日干しにして、最後、脱穀して持って帰ってもらう。こういう工程を全部一緒にやってもらうのです。
そんな面倒くさいこと、都市の住民にやらせたら来なくなる、と思いがちです。でも実はそうではないのです。農業に関心がある人たちは、お米がどうやってつくられるのか、体験したいと思っている人も多いのです。しかも、全工程を経験すると、どんどんやりたい人が増えてくるのです。
たとえば、子どもたちです。子どもたちは最初は、どろんこ遊びをしに来る感覚でかかわってきます。そのうちに、自分でお米をつくっている感覚になり、自分の米が育っていくにつれて、自分がやったのだという満足感が生まれ、それが今度は、友だちに自慢することにつながるのです。学校で「おれ、お米がどうやって大きくなるのか知ってるぜ。だって、全部自分でやってるから。今度教えてやろうか」なんて言葉が出てくるようになるのです。そうすると、友だちが、「教えて、教えて」といいだして、どんどん仲間が増えていくのです。
豆っこクラブはさらに、収穫したあとの味噌仕込みまでがついてきますから、子どもたちは楽しくて仕方がないようなのです。
この事業も、途中から土地が足りなくなって地元の人たちに出してもらっています。
サマーキャンプは、子どもたちを迎えて、農山村体験をさせようというプログラムです。お寺の境内にテントを張って、キャンプの基地とし、そこを拠点に農山村を駆け回り、自分でご飯をつくり、道具を加工し、サバイバルな生活を体験することになっています。コロナ禍の前ですが、毎年100名ほどの子どもたちが参加してくれる恒例事業となっていました。
ワールドキャンパスは、海外の大学生を受け入れて、日本の農山村の生活を体験するとともに、子どもたちと交流することを目的としたプログラムです。これもコロナ禍前ですが、年間50名ほどの外国人学生たちが訪問しては、子どもたちのサマーキャンプと同様、サバイバルな生活を子どもたちと一緒に楽しんでいました。
学生にとっても普段経験できない日本の農山村の生活を体験でき、子どもたちにとっても外国人学生と交流しつつ、多文化と農山村の生活を体験できる、願ってもない機会となっていました。
とても地味な活動なのですが、毎月一度開かれている、事業構想の検討会です。毎月一度、移住してきた若者たちが集まって、地元のじいちゃん、ばあちゃんなど住民から教わった生活技術や地元の食材などの資源と自分が都市部で経験してきたことや学んできたことなどを融合させて、地元で新しい事業を考え、検討する会議です。
この場で検討され、実現可能だと判断された事業は、まず移住者の若者たちがチームを組んで事業化に取りかかり、事業化して回り始めたら、地元の人々を巻き込んで、お金が回り始めたら、その利益をみんなに分配する、という仕組みで動いています。
この研究会から、様々な取り組みが生まれています。たとえば、若い女性たちが身体によい完全オーガニックなクッキー工房を開きたいといいだして始めたお菓子工房があります。このお菓子工房では、小麦を有機栽培で育て、取れた小麦を粉にひいて、お菓子を焼いています。
廃園になっていた幼稚園の園舎を借り受けて工房に改修し、週に3日だけ、クッキーを焼いては、工房で売っています。買いたければ、買いに行かなければなりませんし、売り切れたらそれで終了という売り方です。それにもかかわらず、人気が出て、豊田市内や名古屋市内から車で1時間もかけて買いに来るお客さんが絶えないほどです。
私が、「そんなに人気なら、もっと焼いて売ったら?」と軽い調子でいいましたら、「私たちはそんなことのためにクッキーを焼いているのではありません!」とぴしゃりといわれてしまいました。恥じ入らんばかりです。すみません、軽率でした。
このほかにも、都市にいたときに雑誌編集者であったり、デザイナーだったりした女性たちが中心になって、里山暮らしを紹介する雑誌を刊行したり、移住希望者がまず体験生活を送るための拠点としての民宿を開いたりする事業もあります。とにかく、日常生活を送る中で、いろいろなことを考えて、それを実現できるように工夫する場所が、このスモールビジネス研究会なのです。
こういう生活をしていると、「勘考」の神様が降臨します。毎日、道端を歩いていても、ああ、これはこうしよう、あれはああしようと、たくさんのアイデアが生まれてくるようになり、それをメンバーの間で共有して、実現していくと、それがまた新しい価値を生み、新しい人的なネットワークをつくりだして、地元の生活を楽しいものへと組み換えていってしまうのです。「楽しい」ということが、何か特別なことではなくて、毎日の生活の中で自己増殖するようになっていくのです。
これを彼らは「LOHASな生活がしたくてやってきたのに、LOHASって、結構忙しい。でもLOHASな生活って、お金を使う代わりに身体と時間を使うのですから、忙しいのも当然ですよね。忙しいのに、気持ちがいいんです」といいます。それが「スローライフは忙しい。でも、楽しい」という言葉につながっていきます。
そして彼らは異口同音にこういうようになるのです。「こういう生活をしていると、なんだか子どもが欲しくなるんです。」
「都会にいたときには、子どもができると女性は仕事を辞めなければならないとか、保育園はどうしようとか、養育費は、教育費は、ってなんだか人間を育てるのに、おカネの話ばかりが先に立ってしまって、不安で仕方がなかった。子どもができたらどうしよう、っていう、なんだか、今から考えれば、子どもに申し訳ないような感覚でいっぱいだったのです。」
「でも、ここは違う。おカネはないけど、人がいる安心感っていうのか、もっと、そういうものをも越えて、もう、身体が子どもが欲しい、子どもを育てたい、って思ってしまうんです。」
確かに地元では、移住してきた若い夫婦が子どもを産み、ちょっとしたベビーブームなのです。
地元の男性と結婚して、地元に残ったメンバーの女性がいます。彼女は東京からやってきた元キャリアウーマンです。東京では心身疲れ切ってしまい、うつ病のようだったといいます。まずはじめに、お試しに2週間ほどメンバーと一緒に暮らす体験をしたのですが、そのときにすでに「自分の居場所はここしかない」と思い定めたといいます。誰もが自分をまっすぐ見てくれて、そのことが驚きだったし、居心地がよかったのだそうです。
それまでの自分は、人に弱みを見せまいとして、鎧を何重にも着込んでいたような状態だった。親にすら自分の本当の姿を見せられず、人は自分の業績や肩書きで自分を評価していたし、自分もそうだった。その上、今の経済状況では、人のことなど構ってはいられない。
人を引きずり下ろしてでも業績を上げないと自分が引きずり下ろされる。消費者だろうが誰だろうが、だましてでもいいから、営業成績を上げろというのが会社の方針だった。その中で壊れていく自分を感じていた。
でも、ここでは、誰もが自分をまっすぐ見てくれて、過去を聞こうともしない。自分を取り繕う必要もなければ、誰かに身構えることも不要だ。ごく自然に自分を出せば、相手も自分をさらけ出して、受け入れてくれる。ここが自分の居場所なのだと、心底思った、といいます。
実は前にも述べたように、当初メンバーの誰もが、正規就労の経験がない若者たちでした。誰もがフリーターや派遣で使い捨てにされるような仕事しかしたことがありませんでした。なかにはニートのまま、どうしていいのかわからず、家族との仲も険悪になっていて、生きる望みを失っていた者もいます。その彼らが、プロジェクトが始まってすぐにこういいだしたのです。
「これまでこんなに人からよくしてもらったことはない。世話を焼かれたというのではなくて、自分のことを受け入れて、いるだけでありがとうといってもらえる。自分が認められている。こういう感覚は初めてだった。親からもお前は馬鹿だ、役立たずだといわれてきて、もう自分なんてどうなってもいいと思っていた。でも、自分はここにいていいんだと思えたし、いることがこんなにうれしいんだと思えた。もう、地元のおじいちゃん、おばあちゃんにはいくら感謝してもしきれない。ここに住み続けて、恩返しがしたい。」
私たちが、このプロジェクトの可能性を見出したのは、この点、つまりメンバーが自分を肯定でき、人生に前向きになれる、ということなのです。
(次回につづく)
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連載:子どもの未来のコンパス
#1 Withコロナがもたらす新しい自由
#2 東日本大震災から学ぶwithコロナの中の自由
#3 Withコロナで迫り出すこの社会の基盤
#4 Withコロナがあぶりだす「みんな」の「気配」
#5 Withコロナが呼び戻す学校動揺の記憶
#6 Withコロナが再び示す「社会の未来」としての学校
#7 Withコロナが暴く学校の慣性力
#8 Withコロナが問う慣性力の構造
#9 Withコロナが暴く社会の底抜け
#10 Withコロナが気づかせる「平成」の不作為
#11 Withコロナが気づかせる生活の激変と氷河期の悪夢
#12 Withコロナが予感させる不穏な未来
#13 Withコロナで気づかされる「ことば」と人の関係
#14 Withコロナで改めて気づく「ことば」と「からだ」の大切さ
#15 Withコロナが問いかける対面授業って何?
#16 Withコロナが仕向ける新しい取り組み
#17 Withコロナが問いかける人をおもんぱかる力の大切さ
#18 Withコロナで垣間見える「お客様」扱いの正体
#19 Withコロナで考えさせられる「諦め」の怖さ
#20 Withコロナ下でのオリパラ開催が突きつけるもの
#21 Withコロナで露呈した「自己」の重みの耐えがたさ
#22 Withコロナであからさまとなった学校の失敗
#23 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・1
#24 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・1.5
#25 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・2
連載:学びを通してだれもが主役になる社会へ
#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る
#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく
#3 子どもの教育をめぐる動き
#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”
#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと
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