生活・趣味

【寄稿】人生が変わる「学び」の場・2—大学につながってみませんか(3)|〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(10)

2022.10.20

〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(10)
息苦しく不穏な時代の渦中にいながら、新しい⾃分の在り⽅を他者との「あいだ」に見出し、〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる人々がいます。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、その〈ちいさな社会〉での生き方を追い、新たな「⾃⼰」の在り⽅を考えてみましょう。
今回は、第9回と同じく、大学とつながって、楽しい「学び」を通して、新しい自分を発見し、新しい人生を歩み始めた人々のお話、第二弾です。

第9回記事「人生が変わる「学び」の場・1—大学につながってみませんか(2)」はこちら


     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

 

授業を社会人に開放する


    

私が前任校にいた頃の話です。大学と社会とのつながりを模索していた私は、何とか大学に社会人を入れて、学生との交流を促すことはできないかと考えていました。そこで思いついたのが、ゼミや講義に参加してもらい、社会経験豊富な立場から、学生に刺激を与えてもらおうということでした。いわば、授業に外部講師としてかかわってもらおうというものです。

   

でも、外部講師として出講してもらうと講師料が必要となります。しかし、それだけの予算がない。どうしようかと考えた末にとった方法が、受講してもらいながら、学生と交流してもらうという、いわば一石二鳥のやり方でした。事務に確認したところ、単位を出すわけでもなく、授業を手伝ってもらうというボランティア扱いであれば、問題ないとのことでした。

   

それで、知人の新聞記者にお願いして、ちょっとした告知記事にしてもらいました。私のゼミと講義にそれぞれ5名を限度として社会人を受け入れる。条件は、全13回の授業に出席すること、無断欠席はしないこと、学生の受講を妨げる行為はしないこと、求められた場合には社会経験を学生に伝えること、等でした。

   

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募集に当たっては、応募動機を書いてもらうことにしました。すると、私が担当していたゼミ1つと講義2つの3つの授業で15名の定員のところ、100名近い応募があり、驚かされました。それも誰もが受講動機をしっかりと書いて送ってこられたのです。大学が社会から授業を公開することを求められていると強く感じたものでした。

              
  
  

経験が学びを深める


   

この取り組みは、私が現任校に移るまで4年ほど続けました。最初はうさん臭がったり、嫌がったりしていた同僚たちも、私の授業を見に来たり、社会人との交流が深まるにつれて、自分の授業でもやってみたいという教員が増えて、最後は5名ほどの教員が、授業に社会人を受け入れ、学生とともに受講してもらうという試みを行うようになりました。

   

私の目論見通り、といっては語弊があるかもしれませんが、社会経験を持つ人々の教育学関連授業への参加は、とても刺激的でした。

   

当初、同僚が心配したような、冷やかしで受講するような人はおらず、誰もが真剣でした。私の授業では3つとも全員15名が皆勤賞、しかも毎回熱心に受講し、ノートを取り、自分の経験に照らして質問し、学生と議論するという熱の入りようでした。

    

面白いと思ったのは、私がいわゆる理論的な抽象論を展開すると、すぐさま自分の経験では、どこが当てはまって、どこが当てはまらないのか、という議論が始まることでした。

    

とくに子育て経験のある女性などからは、私が語る子どもの成長の話は、一面で当たっているけれども、自分の子どもには当てはまらない、というような指摘があって、いわゆる理論的なものが平均値の話なのだということが現役の学生たちにも伝わって、より深い「学び」が進むのです。

    

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それぞれの社会経験が「学び」を深め、それが周囲の学生にもよい影響を与えていたのだと思います。

   
   
   

学生を仲間として


   

こういう熱心な社会人の姿に触発されてか、学生たちも負けじと議論に参加し、また予習をしてくるようになります。そして、自分はこう思うのだけれど、みなさんの経験ではどうなのかという質問をするようになるのです。

   

若い学生たちは子育ての経験も、企業で部下を教育する経験も持っていません。それでも、教育学の議論をするとなると、子どもの成長や発達、さらに成人の学びについて語りあわなければなりません。このときに、社会人受講者の経験が物をいうのです。

   

しかも、これも面白いと思ったのは、学生たちから社会人の経験について、それは個人の経験であって、誰にでも当てはまるものではないのではないか、理論はある意味で普遍性を求めているのだから、個人の経験だけで議論されても困るというような話が出ることでした。ここにも、相互の刺激の与えあいが見られるのです。

    

その上、ゼミなどでの議論で収まらず、ゼミ終了後、現役の学生たちと社会人受講者が食堂などで熱心に議論を交わしている姿を見るようになったのです。そして気がつくと、授業のない時間帯に、学生食堂やカフェ、さらにキャンパス外の喫茶店で、社会人受講者と学生たちが和気あいあいと食事をとっていたり、お茶を飲みながらノートを交換していたりという風景に出くわすことになります。お互いに仲間としてつきあっていたのです。

    

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就職を気にかける


   

こうなると、社会人受講者のお節介の気質が学生たちを放ってはおきません。

   

就職活動の時期になると、頑張ってね、という声援どころか、自分の職業経験を総動員して、面接対策を練ってくれたりするのです。その上、ある受講者などは、それこそ地元大企業の重役だったりして、経済界に顔が利き、就職に悩んでいる学生の相談に乗り、さらには名刺を渡して、何処其処の企業の誰某に会ってきなさいと人脈を紹介してくれたりと、親身になって世話を焼いてくれるのです。

   

この名刺を持っていくと、通常の就活ではお目にかかれないような人に会うことができ、世話された学生は大感激していました。そして、「ありがとうございました!」と頭を下げる学生を、目を細めてニコニコしながら見つめている。こういう温かい光景に出会うことにもなります。

   

さらに驚いたことに、経済的に困窮している学生がいるとなると、みなで彼の生活を支えようと、支援グループができて、食事の世話を焼いたり、アルバイトを斡旋したりする社会人受講者たちが現れるのです。「なぜここまで」と聞きますと、「こんなに楽しい大学生活を提供してくれる学生さんたちに恩返しをしたいのです」というのです。

   

こういう純粋に学ぶことを楽しむ姿は、それが純粋に楽しいがために、「学び」を通して様々な人たちを結びつけ、それが学生たちへの支援として、まっすぐに、何の裏の意図もなく、広がっていき、それがまた学生たちから慕われることへとつながっていく。こういう学びを通した人間関係の好循環ができあがっていくのです。

    

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ずっと続く「学び」の関係


    

この取り組みは、私が前任校を離れることで、終わってしまったと聞いていますが、この取り組みにかかわってくれた社会人受講者のうちのかなりの人たちが、「学び」の楽しさを忘れられず、この取り組み終了後には、他の大学の大学院に入学したり、研究生制度を利用したりして、さらに学び続けていると聞いています。

   

しかも、このときつくられた学生たちとのつながりは、彼らが就職してからもつながっていて、毎年どこかで集まりを持っていると聞いています。もう家庭を持って、親になっている学生もいるのですが、結婚のお祝いや出産のお祝いの会なども、いつものノリの良さで、開いてきたといいます。

   

コロナ禍で活動が制限されていますが、オンラインで交流が続けられているようです。まるで、学びの同志のような関係なのです。

             
   
   

不登校の子どもに悩んで


            

ところで、この取り組みを通して、社会人受講者のKさんから「先生、どうしてもこの人と会ってあげてください」と頼まれて、会った女性がいます。Fさんです。初めてお目にかかったとき、聡明そうな雰囲気をまといながらも、髪は乱れ、顔はやつれて、化粧もせず、服装にも気を遣っていないような、憔悴しきっているような感じに驚かされたことを覚えています。

   

どうされたのかと怪訝な顔を私がしたのでしょう、問わず語りに話してくださったのは、二人いる息子さんがもう10年近くも不登校を繰り返していて、どこのカウンセリングにかかっても、どこの精神科にかかっても、改善されず、息子さんたちの将来を考えるとどうしてよいのかわからない、とても混乱していて、自分もどうにかなってしまいそうだ、ということでした。当時はまだ、不登校に対する社会の理解もいまほどあるわけではなく、不登校はある意味で問題行動であり、学校に行くのが正常なのだという感覚が社会にはありました。

   

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少し気になったので、「立ち入ったことをお聞きしますが、もしお嫌ならお話しくださらなくても結構です」といって、ご主人のことを尋ねました。すると、「主人は、仕事人間で、家のことはほとんど私に任せっぱなしで、子どもたちが不登校になったのもお前のしつけが悪いのだといって、なじられてばかりいる」とおっしゃるのです。

   

それで、「ご自身はどうしたいのですか」とたずねると、「私の生きがいは子どもたちだけなのです。子どもたちが学校に行って、自立してくれさえすれば、それで私は満足です」とおっしゃる。それでも、ちょっと引っかかるものがあったので、「失礼ですが、本心ですか?」と尋ねると、語気を強めて、「本心です。先生は何をおっしゃるのですか!」と叱られてしまいました。

             
   
   

子どもたちのために大学へ


   

でも、それが気になるのです。私はカウンセリングの専門でもありませんし、臨床心理学を専門に学んだ者でもありません。しかし、このFさんは、何か他のことを本当は求めていると、ふと思ったのです。

   

そこで話題を変えて、「大学では何を学ばれたのですか」と聞きますと、「近代文学です」とのお返事。「大学という場に関心はありませんか」と問うと、「どういうことですか?」と問い返されたので、「いえ、息子さんたちに、大学の話をすれば、興味を持ってくれて、学校に行くかもしれません。ふと、そう思ったのですが」と答えました。すると、「それでしたら、はい、です」とおっしゃる。

    

「では、ご紹介くださったKさんと一緒に、私のゼミや講義に参加されませんか」とお誘いしたのです。そのときのFさんのうれしそうな顔は忘れられません。

    

Fさんのお子さんは心優しい子たちなのだと思います。母親が家庭に閉じこもって、自分たちの世話を焼くことに生きがいを見出していることを心で感じとっていて、自立することにブレーキがかかってしまっていたのだと思います。そして一人が不登校から立ち直ると、別の子どもが不登校になって、ずっと母親が自分たちの世話を焼き続けることができるように、まるで輪番ででもあるかのようにして、不登校を繰り返してきたのでした。子どもが自立するのではなくて、母親が子どもから関心を他にものに移すことが、子どもたちを楽にするのではないか、そう思えたのです。

    

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Fさんには、お子さんのためにご自分が大学に通って、大学の楽しい生活をお子さんに伝えてください、とお願いしておきました。

   

こうして、Fさんの大学通いが始まったのです。

             
   
   

生きがいを再発見して


   

すると、どうでしょう。初めのうちは恐る恐るという感じで授業に出ていたFさんが、ご自分の子育ての経験が教育学の授業で役立つと思えたのか、どんどん私や学生たちの発言を吸収して、自分の意見をレポートにまとめてくるようになったのです。

   

積極性が出てくるにともなって、憔悴しきっていた表情に血の色が差し始め、みるみるうちに活気を帯びてくるのです。そして、化粧や服装にも気を遣うようになり、見違えるような姿になっていったのです。

    

そして、Kさんたちのグループと一緒に、学生たちと交流し、ニコニコしながら会話をするようになった頃、Fさんから報告があったのです。「息子に大学の楽しい生活を伝え続けてきましたら、昨日から、上の子が学校に行き始めたのです。いつもなら、下の子が不登校になるのに、今日は二人そろって学校に出かけていきました。先生、私、大学にお世話になって、まるで二度目の学生生活を送っているようで、楽しくて仕方がありません。まるで、新しい生きがいを発見したようです。」

    

冷たいいい方になるかもしれませんが、子どもたちは母親の関心が自分たちから離れることで、ようやく自立してもよい、と彼らの心が判断したのではないでしょうか。彼らを不登校にしていたのは、もしかしたらFさんの生きがい喪失だったのかもしれません。

   

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どんどん深まる「学び」


   

その後、Fさんは「学び」にのめり込むようにして、私の同僚の授業を片っ端から受講して、担当教員にその「学び」の深さを驚かれることになります。もともと生真面目で、聡明なFさんですから、一旦「学び」の方向が決まると、どんどん自分で進めていく力を持っていたのでしょう。しかもその「学び」は、何か功利的なものではなくて、純粋に楽しいのです。

    

そして、あるときFさんから第二の報告が届けられることになります。「先生、私、先生のところで学びの楽しさを教えていただきました。学生の頃から近代文学に憧れていて、でも、結婚や出産でそれができなかったのですが、いまならそれを純粋に楽しめると思うのです。それで、A大学の大学院を受験するために研究生に申し込んだら、採用されたのです。この4月から、A大学で近代文学を研究します。」

    

何やら誇らしげなFさんの表情に、私もうれしくなりました。その後、Fさんは念願叶ってA大学の大学院に進学し、好きだった近代文学の研究に勤しむことになります。二人の息子さんは、高校に進学し、母親がA大学で近代文学の修士号を取得する頃には、大学に進学して、立派に自立していきました。

    

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「学び」にはこういう人生を変える力もあるのだ、ということをまざまざと見せつけられたような気がしています。

             
   
   

「学び」の特権は「楽しむ」こと


   

この3回の連載でご紹介したのは、私の経験のほんの一例です。社会人の「学び」の物語はまだまだたくさんあります。いかがでしたでしょうか? もしかしたら、現役の学生時代にはつまらなかった大学の授業も、社会経験を積んだいまでは、もっと楽しいもの、純粋に「学び」として楽しめるものになっているとお感じにならないでしょうか。

    

そう感じたなら、先ずはどこかの大学にアプローチをしてみてはどうでしょうか。きっと、まだ経験したことのない、楽しい、新しい〈ちいさな社会〉が手招きしてくれるはずです。

   

私もあと2年ほどで定年を迎えます。もともと思想と歴史の研究出身ですから、大学に入り直すのもいいなあ、などとうそぶいています。「そんなことしたら、嫌がられますよ。相手は先生よりも若い教員なんだから」と院生からは叱られていますが。

   

最後に、前々回にご紹介した瀧本さんの本にも記されている孔子の有名な言葉を掲げておきます。「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」(之を知る者は之を好む者に如かず(及ばず)、之を好む者は之を楽しむ者に如かず)。楽しむことが一番なのです。社会人の「学び」には、何事にも替えがたい「楽しむ」という特権がついています。

    

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一般財団法人
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