子育て・教育

【寄稿】Withコロナが気づかせる「平成」の不作為|子どもの未来のコンパス(10)

2021.01.6

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第十編。

     

                


 

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 
  
  

昭和おじさん社会


前回書いた社会の底抜けした状況をもたらしたものを、河合薫さんは「昭和おじさん社会」の 桎梏 しっこく だと、絶妙の表現で指摘します。(河合薫『コロナショックと昭和おじさん社会』日経プレミアシリーズ)

とぼけた(失礼!)ネーミングではありますが、指摘はなかなかシビアです。

  

河合薫『コロナショックと昭和おじさん社会』日経プレミアシリーズ

  

この社会はもっと早くに、これまでの工業社会の拡大再生産、大量生産・大量消費の経済モデルとそれがもたらす人間観や生活スタイル、つまり画一性と均質性を前提として平等を求める、ということは、自分をみんなと同じように扱え、つまり自分だけを大事にしろと主張する社会モデルから、縮小する市場を前提とした、多元化と多様化そして異質性を前提とする、違っているからこそ比べてはならないという平等を原則とする、皆が認めあう社会モデルへと転換していなければならなかったのですが、それを「昭和おじさん社会」のモデルが阻害してきたのです。これを河合さんはこう指摘します。

  

「今の日本社会のしくみは、1970年代高度経済成長期の「社会のカタチ」を前提につくられたものです。「長期雇用の正社員」「夫婦と子ども2人の4人家族」「ピラミッド型の人口構成」といった昭和期のカタチをモデルにしています。」これらの社会の「カタチ」はすべて変わったのに「“昭和”のままなのです。」(同上書、5頁)

  

そして、この結果、コロナ禍の下で、社会に広がっていた巨大な分断線があぶり出されることとなり、人々はこれまで積み上げてきた日常が崩れ去ることを実感した、常々何かおかしいと感じていたことが現実になってしまった、といいます。

  

同じことをマーケッターとしてよりシリアスな視点から指摘しているのが、三浦展さんです。世代間、階層間で格差が広がり、社会が分断されていた、このことがコロナ禍でより一層鮮明になったというのです。( 三浦展『コロナが加速する格差消費—分断される階層の真実』朝日新書 )

  

三浦展『コロナが加速する格差消費—分断される階層の真実』朝日新書

  

そして二人とも、今回のコロナ禍で社会の底割れが見えてしまった、つまり人々が漠然と気づいていた社会のおかしさがはっきりとしてしまった以上、「昭和おじさん社会」を終わらせる動きが生まれようとしていると、それぞれの立場から、この社会に期待を寄せています。

  

河合さんは健康社会学者の観点から、人々がお互いに思いやることのうれしさに気づき、「人生捨てたもんじゃない」という社会をつくることができる可能性を見出し、三浦さんはマーケッターの立場から、「知」を万人に広く公開し、何を学んだかが問われる社会がやってくることで、都市と地方との関係が組み換えられる可能性を見出しています。

  
  
  

不安が縛りつける観念


  

  

でも、と私は思うのです。この二人が指摘している可能性は、ここ30年ほど、いわれ続けたことでもあるのではないか、と。すでに平成バブルの頃に、社会の価値観が多元化し、これまでのような大量生産・大量消費の社会ではなく、個性を基本とした消費社会がやってきて、これまでのような学歴社会は壊れていくといわれていたのではないでしょうか。

  

とくに、情報社会と呼ばれる高度消費社会になると、人々の情報へのアクセスが平等化して、人々がさまざまな価値をつくりだしては、発信するようになるので、社会の格差は小さくなるといわれていたのです。

  

つまり、持てる者と持たざる者との格差、雇用者と被雇用者の格差、さらに工業社会の画一的な市場に対応したヒエラルキーはなくなり、すべての人が情報の発信者であり、受信者となるといわれていた、つまりフラットなネットワークの社会が到来するといわれていたのです。

  

しかし現実には、情報へのアクセスの格差とともに、それを活用して新たな価値をつくりだす機会の格差、さらには発信する側と受信する側の格差などが存在していて、それがさらにマネーゲームの様相を呈することで、フラットな社会であるだけに、ウィナー・テイクス・オール、つまり勝ち組総取りの様相を呈して、格差は拡大する一方になってしまっています。

  

だから、人々は、新たな社会の到来を感じつつも、そちらに移行することに対しては漠然とした不安を抱え、「昭和おじさん社会」の慣性力にすがり続けてきたのかも知れません。

  

その意味では、コロナ禍が明るみに出したのは、これまでの社会の底が割れていたということだけではなくて、人々はすでに「昭和」は終わっていて、「平成」へと社会は移行しているのだと感じつつも、それが不安な予感となって人々の観念を縛りつけ、「昭和おじさん社会」にすがり続けるように仕向けてしまっていたということなのではないでしょうか。

  

しかし、今回のコロナ禍で、この慣性力もそろそろ賞味期限切れなのではないでしょうか。つまり、「平成」時代の不作為が、いま、この社会のほころびとして露わになっているといえるのではないでしょうか。

  

というよりも、今ここで変えないと、この社会はズルズルと底なし沼に引きずり込まれていき、人々の生活は底割れするばかりになってしまうのではないでしょうか。そしてそれは、子どもたちに大きな負債を負わせることになってしまいます。

  
  
  

少子社会の到来


  

  

「平成」時代に大きく変わったのは、人口の構成です。少子高齢・人口減少社会の到来なのです。日本社会は、じつは1970年、高度経済成長を謳歌し、大阪万博を成功させ、世界の先進国の仲間入りを果たしたといわれる年に、すでに高齢化への歩みを進めていました。

  

その頃から数えると、すでに日本社会は半世紀も、高齢化に向きあってきていたはずなのです。しかし当時は、総人口が増えていましたし、経済発展至上主義で、大量生産・大量消費のまっただ中で、人々は物質生活の向上に心奪われていた頃ですから、そんなことは誰も気にしなかったのではないでしょうか。

  

1964年に東京オリンピックが開催され、同じ年に、東海道新幹線が開通、1967年に総人口が1億人を突破し、そして1970年の大阪万博、まさにイケイケどんどんの時代でした。

  

しかしその裏で、人口の高齢化はじわじわと迫ってきており、65歳以上人口の総人口に占める割合である高齢化率は、1970年に7パーセントを超えて、日本社会は高齢化社会(Ageing Society)へと歩みを進めています。

  

その後、24年かかって、1994年には、高齢化の「化」がとれて高齢社会(Aged Society)へと足を踏み入れます。高齢化率が14パーセントを超えたのです。しかもその頃にはすでに平成バブルがはじけ、長期不況に入り、就職氷河期がやってきていましたから、高齢社会の到来は、人々の不安を駆り立てることとなりました。

  

とくに当時、人々を不安にさせたのは、高齢化の進展と少子化の進展が同時進行し、というよりも、少子化の急激な進展が、高齢化率を押し上げ、将来的に急激な人口減少に見舞われるとの予測が出始めていたことでした。

  

すでに1990年に、その前年の合計特殊出生率が1.57にまで低下したと報告され、「1.57ショック」とまでいわれたのです。合計特殊出生率は、日本で生まれた女性が一生涯に産む子どもの数とほぼ等しいといわれる数字です。

  

バブルの好景気を謳歌し、ひとりの女性に複数の男性が群がり、アッシー君、メッシー君、ミツグ君などと呼ばれ、シングルが独身貴族と持ち上げられ、一つの企業にとらわれず、終身雇用を否定して、軽やかに企業を渡り歩くフリーターがもてはやされる時代に、冷や水を浴びせることとなりました。

  

しかしその後も、出生率は低下を続け、2005年には1.26となり、その後少し持ち直して、現在では1.45前後を推移しています。しかし、いずれにしても、少ないことに変わりはありません。

  

ヒトは有性生殖で、人口の再生産のためには、合計特殊出生率は日本でも2.08必要だといわれますし、女性が子どもを産める年齢は決まっていますから、この数字は、多くの人々に驚きを持って受け止められました。将来的に、急激な高齢化と人口減少が招かれることは明らかだからです。

  
  
  

人生100年社会の到来


  

  

それからでもすでに30年になります。もう少子化は止まらないでしょう。これは、日本人だけの数字ですが、日本社会の人口減をできるだけゆるやかにするためにも、外国人の移民を増やして、子どもを産んでもらわなければならないとまでいわれ始めています。

  

確かにそうなのです。少子化の背景には少親化(ショウオヤカ)があります。いま、子どもを生んでいるのは少子化の世代です。私自身がすでに少子化の世代なのです。私の子どもがいますでに子どもを産むくらいの年齢になっていますが、現在、子どもを産む年齢にあるのは少子化の2代目か3代目の子たちなのです。

  

ということは、もう、日本人だけに頼っていては、人口の増やしようがないのではないでしょうか。1947年から49年に生まれた戦後のベビーブーム世代、つまり団塊の世代の人々が3年間で800万人もいて、その頃の合計特殊出生率は4.32もあるのに、現在では3年間で250万人くらいしか生まれていない、つまり年間90万人を切ってしまっているのですから、もうどうしようもないのではないかという議論になっています。

  

では、寿命はどうか。こういう予測が出ています。2019年の日本の小学校6年生の子の平均寿命は、107歳だと予測されています。2007年生まれですから、もしこの予測が当たっているとすると、その子たちの半分の子どもが2114年以降も生きるという話になってしまいます。もう、22世紀の話をしなければならないのかも知れません。

  

私は実は今年で60歳、還暦です。院生や学生から、さすがにちゃんちゃんこはありませんでしたが、マフラーやハンカチなど、赤い物をたくさんもらったのですが、大還暦という言葉があるのです。還暦が2回回ってしまうのです。120年です。言葉があるということは、120年、生きた人がいるのではないかと思います。

  

現在(2016年)、日本人の平均寿命は男性81歳、女性が87歳で、それぞれで見るともう少し長い国や地域がありますが、男女両方ともこんなに長い国はあまりありません。

  

平均寿命を超えたから長生きかというとそうではなくて、死亡最頻値年齢といいますが、一番たくさん人が亡くなる年齢を見ますと、男性が87歳、女性が93歳なのです。ここを超えないと、もう長生きとはいえないという話になってきているのです。ほとんど100歳です。人生100年社会がやってきているのです。

  

  

この間、バスに乗った時に、こんなことがありました。おばあちゃんが乗ってこられて、おカネを入れるときに落としたので、拾ってあげたのです。そうしたら「ありがとう」と、おカネを受け取って、料金箱に入れて、よっこらしょっ、と座ったので、「お元気ですね」と声をかけたのです。すると、何とおっしゃったか。

  

おばあちゃん:「間に合うかしら」

牧野:「え? 間に合うってどういうことですか」

おばあちゃん:「お迎えが」

牧野:「は?」

おばあちゃん:「あと7年しかない」

牧野:「えっ?」

おばあちゃん:「100までに」

  

100歳までにお迎え間が合うかしら、心配で心配でと、こういう話なのです。「いや、そんなことおっしゃらないで、お元気でいいじゃないですか」といいましたら、「こうやって、健康のために、あちこち毎日出歩いている。ちっともお迎えが来そうにない。放っておくと100歳になっちゃう。それが心配で仕方がない」とおっしゃるのです。皆が、こういうことになるかもしれません。

  
  
  

人口減少社会の到来


  

人口構造の推移予測を見ると、現在でも高齢化率はかなり高くて、28パーセントを超えているのですが、今後この率はどんどん高くなることが予測されています。

  

1970年に高齢化率が7パーセントを超えて高齢化社会に入った日本社会は、94年には高齢化率14パーセント超の高齢社会へ、そして2006年には高齢化率21パーセント超の超高齢社会(Super Aged Society)に入ったとされます。そして、超高齢社会に入るのと時を同じくして、人口減少社会に転じています。

  

この高齢化のスピードは、世界で最も早いといわれています。高齢化社会から高齢社会への移行期間は、日本は24年でしたが、フランスで126年、スウェーデンで85年、アメリカで72年、イタリアで61年といわれます。

  

  

現在、東アジア地域も急速な高齢化が進展していますので、台湾や韓国も遠からず日本と同じような状況になるといわれています。高齢社会から超高齢社会までは、日本は12年かかっていますが、韓国や台湾はそれを上回るスピードだといわれます。

  

このまま高齢化率が高まっていくと、現在の予測では、2060年には高齢化率は42パーセントになるとされます。それに反して、少子化が進展し続けていますから、その頃の子ども(0歳から14歳)の比率は7パーセントほどになると予測されています。これは日本人だけの数字ですので、外国籍の人たちを入れれば、もう少し異なりますが、大勢としては変わりません。

  

この長寿命化と急激な少子化が相俟って、いまや約3人に1人が65歳以上の高齢者になろうとしていますが、その結果、急速な人口減少が招かれています。現在、毎年約50万人ずつ減少していますが、あと少し経つと、毎年100万人という人口が減ることになります。但し、繰り返しますが、これは日本人だけです。

  

これは仕方がない、といいますか、もうこうなるしかありません。総人口は、戦争や疫病など外的な要因でなくて、自然減として減り始めたら、増加に転ずることは、外的な要因を導入しない限り、つまり外国人を入れない限り、ほとんど不可能だといわれます。

  

私たちはいま、下り坂というか、本格的に減り始める地点に立っていることになります。 余談ですが、私たちの感覚でいうと、上りはいい感じで、下りは嫌な感じではないでしょうか。増えるというのはいい感じで、減るというと嫌な感じでしょうか。

    

東京から出る列車は全部下りです。東京に向かう列車は全部上りなのですが、それは中央集権国家だからということなのでしょうか。だから、上りというと中央に出ていくような感じがして、下りというと、格下げになるような感じがするのでしょうか。

  

都落ちという言葉もありますが、落ちると下るというのは同じような感覚をもたらすのかも知れません。逆に、上るというと、都会へ出ていく、つまり出世するということと同じような感覚なのではないでしょうか。こういう感覚から見ても、人口が減る、市場が小さくなるということは、好ましくない、悲観的な感情を呼び起こすのかも知れません。

  
  
  

日本の人口推移


  

日本の総人口、これも日本人だけを取り上げますが、この総人口の推移を見ますと、現在、1億2800万人ほどのピークを過ぎて、1億2600万人台になっていると思います。そのピークに至る大きな山の左の斜面の真ん中あたりが、終戦です。この時に人口が300万ほど減っています。多くの兵士が戦闘や病気・飢餓で、そして市民が空襲などで亡くなっているのです。

そのころ、皇紀紀元2600年つまり西暦1940年、皇紀とは神武天皇が即位したとされる年を元年とした暦ですが、その年の頃に総人口1億といっていました。この紀元2600年の祝賀のためにつくられた奉祝国民歌「紀元二千六百年」の中でも、1億と歌われています。

  

それは、植民地の人口を入れていたからです。実際には、国内では7200万人くらいしかいませんでしたし、国内の人口が1億を超えたのは1967年のことです。その山裾が明治初年、明治維新です。一昨年(2018年)が明治150年でしたが、その頃の人口は3300万人くらいでした。その後、急速な工業化を起こして、医療や栄養・食糧さらに社会環境とくに衛生を改善することで、人口を約4倍にしてきたのです。総人口のピークは1億2800万人くらいです。

  

さらに遡りますと、NHK大河ドラマのころは1000万人くらいでした。つまり、私たちが知っている人口1億を超えるような人口の山の頂点に向かうところでは、日本の人口は、戦争で減った以外に、基本的には増加してきたのです。しかし、すでに減り始めてしまっている、しかも自然減なので止めることは困難だといわれています。

  

このまま推移していくと、今世紀半ばで9700万人くらいになる予測です。2060年には8700万人ほどに、そして今世紀末には大体5000万人になると予測されていて、このまま減っていくと西暦3500年くらいに日本人の人口は1人になるといわれています。

  

繰り返しますが、これは日本人だけです。外国人を入れれば、もっと違うと思いますけれども、こういうことなのです。

  
  
  

「産め」という発想


  

  

私は一時、総務省の関係で、人口を増やすという議論にかかわったことがあります。その時、かかわりを持った声の大きな人たちの基本的な論調は「産め」ということでした。まだそう主張したい方はいらっしゃいますけれども、最近、いわなくなってしまいました。産ませて人口を増やそうとすること自体に無理がありますし、人の命を国の道具にしようとしているとしか思えません。

  

ほんとうにひどい話で、声の大きな方々の中には出産を義務化するという人たちがいたのです。「産ませる」というのです。国民が産まないからこんなになってしまった、国民としての責務を果たせ、というのです。それで、憲法改正の時に、出産条項といいますか、家族条項を入れるというのです。どんな条文かというと、あんまりいわれるので私は覚えてしまいました。

  

「すべて国民は家族を形成し出産育児する。これは国家に対する崇高な義務である」と。「そんなこと書き込んで、産まなかったらどうするのですか。処罰するのですか」って聞いたら、すごく叱られました。「先生は国を愛していないのか!」と。愛せる国ならいいですけどって話をしたのですが。強制されても産めません。 しかし、これほどまでに、子どもが減り、人口が減ることが恐怖だったのです。「昭和」を引きずったままだったといってもよいでしょう。

  
  
  

皆が長生きできる社会


  

高齢化の裏には、長寿命化があります。つまり、皆さん長生きになったのです。いいことではないでしょうか。平均寿命は、いまでは90近くになっています。しかし終戦直後、いまから70年前は50歳くらいでした。

  

これは、平均寿命ですから、長生きの人も早く亡くなる人もいるので、平均を取ると50歳くらいだったということです。さらにその前の、戦前から明治・大正の時代ですと、大体40歳だったのです。それが、100年で倍以上に、つまり90歳にまでなっているということは、とてもいいことではないかと思います。みんなが長生きできるようになったということです。

  

では、赤ちゃんはどうなのでしょうか。乳児死亡率を見ます。これは、新生児1000人あたりで、1歳にならずに亡くなる赤ちゃんの数を取ります。現在、その数字は、1.9です。パーセンテージにすると0.19くらいです。ほぼ世界で最低なのです。

  

つまり、あまりよくない表現かも知れませんが、赤ちゃんが死ににくい社会なのです。生まれれば基本的に皆大きくなる社会です。乳児死亡率は、ゼロになるのが一番よいのですが、実はこの数字はゼロにはならないのです。どうしても生物学的に遺伝的な疾患を持って生まれてくる子がいて大きくなれないので、ゼロにはならないのですが、こんなに低い国はあまりありません。

  

後天的な病気で亡くなる赤ちゃんはほとんどいないと聞いたことがあります。100年前と比べると、乳児死亡率はほぼ100分の1になっています。 これが実は少子化の大きな要因なのです。皆が長生きできて、子どもが死ににくい、つまり生まれれば誰もが長生きできる社会となったことが、少子化の大きな要因なのです。

  
  
  

少子化の要因


  

  

今では誰もが、子どもは生まれれば大きくなれると、思ってもいないのではないでしょうか。いちいち子どもの生き死になど、考えることもないのではないでしょうか。いい方を変えると、生まれた赤ちゃんが早くに亡くなってしまうなどとは、特別な事情がない限り、誰も思ってもみたことがないのではないでしょうか。それくらいいい社会を、私たちはつくってきたのです。勝手にそうなったのではなくて、私たちがつくってきたのです。それが実は少子化の大きな要因なのです。

  

少子化とはどういうことなのか。私の家族を例にお話しをします。私の両親のきょうだいは両親を入れて15人もいます。母は9人きょうだいの真ん中で、父が6人きょうだいの5番目です。私の祖父母が多産なのです。きょうだいがたくさんいる私の両親ですが、子どもは私と妹しかもうけていないのです。ですから私はすでに少子化の世代なのです。私も子どもは2人しかいません。

  

母が健在のときに聞いたことがあるのです。自分も入れて9人もきょうだいがいるのに、なぜ2人しか産まなかったの?と、そうしましたら、開口一番、なんといったか。「あんた、生きているじゃないか」と。「え?」と。

  

「あんたね、あんたは、私は自分を入れてきょうだいが9人もいると思っているかもしれないけど、本当はおばあちゃんは11人産んでいるんだ」というのです。

途中2人が小さい頃に亡くなっている。実は、昔はみな、そうだったのだというのです。なぜ多産なのかというと、基本的には後継ぎとして、男の子が欲しいからです。

  

では今でしたら、男の子がひとり生まれれば、それで十分だと思うのではないでしょうか。でも、そうではなかったのです。ひとりだと死んでしまうかもしれないから、心配なのです。ふたりだとどうか。ふたりでも不安だ。男の子は、3人いないと不安だというのです。

  

そうすると、男の子が生まれるまで産み続けるし、生まれても3人目くらいまで産むので、どうしてもその間に、女の子が生まれてしまって、うちみたいにきょうだいが9人、10人になってしまう、と。

  

母が言うには、母は9人きょうだいなのだけれども、兄がひとりいるだけで、あとは弟がふたり、母の後に生まれているのです。母の前に生まれて、亡くなったふたりは実は男の子なのです。ということは、このふたりが生きていれば、母は生まれていなかったかも知れない、ということです。母の前に、男の子がすでに3人いますから。そうすると、私もいなかったかもしれないということなのです。

  

父はどうかというと6人きょうだいの5番目なのです。長男です。冗談で、祖父母が力尽きたのだといわれていますが、弟が生まれて、その弟が次男で、男ふたりで終わったのです。男の子3人目まで行かなかったのです。

  

当時は、こういう産み方をしているのです。男の子が3人生まれるまで産み続けようとするので、途中で女の子が挟まったりするとたくさんになってしまう。そういう話なのです。ですから、少子高齢化、さらに人口減少というのは、とてもいい社会をつくってきたことの結果の現象なのです。

  

それをとらえて、このいい社会の条件を活用することを考えないで、国民が子どもを産まないからいけない、と叫んでも、何の意味もありません。

  
  
  

人生モデルの大きな転換


  

人口構造の遷移 50歳を基準とした日本の人口構成250年間の推移
(経済産業省資料から転載)

  

明治元年から22世紀初頭にかけて約250年間にわたって、50歳で線を引っ張って、人口がこの線よりも多い社会なのか、少ない社会なのかを割合で示す図をつくります。すると、約80年ずつ3つの時代に区切ることができます。

  

左側3分の1が19世紀型モデル、右側の3分の1が21世紀型モデルで、私たちがこれから入ろうとしている社会です。私たちが知っているのは真ん中のところの3分の1なのです。20世紀型モデルといいますが、移行期です。

  

なぜ50歳で分けるのかといいますと、これも私の母方の祖母の話をします。下の緑のところは統計上の子どもです。0歳から14歳です。

  

私の祖母はこの子ども期を終えて15で結婚して、16から子どもを産み始めて、ほぼ毎年産んで、33で最後の子ども、11人目の子ども、男の子、私の一番下の叔父を生んでいます。50歳というのは、その子が結婚するか、成人するかという年齢に入るのです。いい方を変えると、家計の維持とか育児から解放される年齢が50歳だったのです。

  

しかし、よく見てみると、50歳を超えると後があまり残っていません。そうすると、極端ないい方をすれば、19世紀型モデルの人生ですと、子ども期を過ぎると、突然おとなにされてしまって、家族を持たされて、出産育児をして、家庭を維持するのに一生懸命になって、そこから解放されたら、もうあまり人生が残っていない。

  

つまり、子ども期以外は、全部家族のために自分の人生を捧げるような生き方をしていた。こういう人生を送っていたのが、19世紀型の人たちなのだということになります。

  

それに対して21世紀型モデルの人生はどうかというと、今は35歳くらいで1人目か2人目を産んで、産まなくなっています。50歳というのはその子たちが高校に入ったり大学に入ったりして、手が離れる頃です。

  

しかも、家事は今ほとんど電化・自動化されていますから、あまり手がかからないということも考えると、50歳を超えた頃から、おカネとか時間を自分のために使ったり、社会のために使ったりすることができる人たちが増えていくといえるのではないでしょうか。50歳を超えてからまだ30年も、40年も人生が残っていて、それを自分の時間として使うことができる、ということです。

  

しかも、この人たちが大きなボリュームゾーンとして立ち上がってきている。こういう人が多い社会がやってくるということは、その人たちがもっと社会で活躍できるような仕組みをつくっておいたほうがいいのではないか、それがこの社会の利点を活用することになるのではないかということなのです。

  
  
  

75歳からの年金支給に


  

   

この図は、経産省がつくっているのですが、なぜなのかといいますと、とても分かりやすいといえば、分かりやすい話なのです。図の真ん中あたりに黄色の四角が描かれています。しかも、図の上まで伸びていなくて、途中で寸詰まりなのです。

  

実はこの四角が描かれている頃、とくに1970年代から80年代にかけて、現在の健康保険制度と年金制度、つまり現在の社会保障制度がつくられたのです。その時の高齢者の割合は、大体この四角形の上辺あたりまでなのです。ですから、50代よりも下の方が多く見えるように描かれています。

  

年金もこの分厚い現役層の人々が高齢者に払うので、何とかなっていたのです。上辺が寸詰まりに描かれているのは、右の方にこの四角形を動かしていくと、高齢者がこの中におさまらなくなる、つまり、このままだと、社会保障制度がうまくいかなくなるのではないですか、と問いたいがためだと聞きました。

  

この図には別のバージョンがあって、高齢者つまり年金支給年齢を75歳からにしたら、こうなる、85歳からにしたら、こうなるという図がつくられているのです。

  

先日、それを見せてもらったのですが、85歳から年金支給になると、財政も大助かりですと担当者はいっていました。そんな、いくら長寿命化だとはいっても、その後あまり人生は残っていないじゃないですか、と苦笑いしたのですが、いまではもう、政府は75歳まで働けといっていますし、75歳からの年金支給に変えたいということは、ある意味で見え見えなのです。

  

若い人は年金については、もう諦めているのではないでしょうか。しかし、返ってくると考えてはいけないのです。年金は、現役の人たちが高齢の人たちに払う世代間扶助の制度なのです。返ってくると考えると、私の世代で99歳まで生きないと返ってこないと、40代のときにいわれました。

  

今はもっと寿命が伸びていますから100歳以上生きないと全額返ってこないと思います。ただ、掛け金を掛けているわけではなくて、世代間の相互扶助ですから、払っているから返ってくるのだと期待してはいけないのです。 こういうことが、世代間の不公平感として重なってくることで、多くの人たちが次の社会へと移行することに不安を感じ、抵抗するのかも知れません。

  
  
  

雇用慣行を変える


  

  

65歳からの年金支給ではなくても、たとえば75歳からでもいいでしょうか。私は困ります。なぜ困るのかというと、そういう制度や慣行になっているからです。雇用慣行や雇用制度も含めて、65歳が現在のところの社会的な区切りになっているからです。

  

たとえば国立大学法人の教員は65歳が定年ですから、私はあと4年半で定年退職なのです。もしアメリカで、定年でクビなんてことをやったら、訴訟を起こされて絶対に負けるといわれます。年齢差別になるのです。アメリカの大学の教員は自分で退職年齢を決めることになっているようで、日本の意味にいう定年がないのだといいます。

  

ですから、私の知り合いでも、理工系の教員だった者で、30代で特許を取って、大当たりして、それを売り払って、莫大な金をもらって辞めてしまって、今、南の島で遊んで暮らしている者もいれば、80数歳でまだ大学の先生でいる人もいますし、いろいろなのです。

  

退職年齢は自分で決めるものなのです。そうなれば65歳から年金をもらわなくてもいいでしょうけれども、日本は新卒の一括採用で、しかもみんな定年があって、そこで辞めなければならない慣行になっていますから、年金制度だけ切り替えられても困ります。もしかしたら、定年は自分で自由に選べるなど、もっと制度や慣行が柔軟になれば、年金支給年齢は人それぞれに変わっても構わないかもしれません。

  

これも工業社会の制度のつくり方なのです。全員一斉に働いて、一斉に退職して、新陳代謝を繰り返すようにつくってある、つまり「昭和」のままなのです。

  

その意味では、人生100年社会の到来を受けて、この慣行や制度を変えていく必要があるので、政府はすぐに高齢者も活用して金をもうけろといいますけれども、そうではなくて、高齢の方々がもっと活躍して、もっと自分の生きがいを感じながら一生を終えられるような仕組みにしていくことが必要なのではないかと思います。

  

いまでも、65歳で辞めてもあと25年間ぐらい普通に人生があるのです。65歳を過ぎても、続けて様々な分野で活躍できて、いきいき生きられる社会の仕組みにしなければいけません。

  

しかし、この社会は、そういう制度や慣行をつくることを怠ってきたように見えます。それがまた、人々が変革を怖がることへとつながってしまっていたのではないでしょうか。政治の不作為が、社会の慣性力を惰性として維持してきてしまった、そうはいえないでしょうか。

 

     

                


  
    

 

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#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく

#3 子どもの教育をめぐる動き

#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”

#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと

#6 「学び」を通して主役になる

     

                

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