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子育て・教育
2019.08.18
毎週日曜日更新
いま、私たちの社会は、たえず移り変わっています。不透明な未来社会。その実体をつかむのは容易ではありません。
東京大学・牧野 篤 教授は、これから向かっていく社会を「だれもが主役になる社会」だと考察しています。そこに求められるものとは。現代の本質を切りとり、これからの教育の可能性を語り尽くします。
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学びを通してだれもが主役になる社会へ
――これからの子どもたちの学びを考えるための断想――
#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る
#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく
#3 子どもの教育をめぐる動き
#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”
#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと
#6 「学び」を通して主役になる
5
地域コミュニティにおける子どもの学び
(後編)
その後、子どもたちは社会の表面からは見えなくなってしまいます。東京都荒川区の児童相談所の開設にかかわる調査[1]では、社会の表面から見えなくなってしまった子どもたちが、その後どこで把握されるのかをも同時に調べています。その結果、見えてきたのは、次のような事態でした。多くの子どもたちは、子ども食堂さらには児童相談所など福祉的な措置からこぼれ落ちた後、SNSへと居場所を移し、その後、男の子は薬物で、女の子は妊娠や虐待で、それぞれ行政に把握されるケースが相次いでいました。これは把握されている数こそ少ないのですが、氷山の一角に過ぎないという印象であり、誰が陥っても不思議ではない社会の底辺の構造がここにあるといってよいでしょう。
しかも、行政によって把握され、介入される前に、たとえば保健所や福祉機関が子どもたちに接触することはあっても、彼らを社会の表にまで引き上げることができず、子どもたちはそのまま、表面的には忘れ去られた子どもとして社会の底辺をさまよいつつ、最終的には警察によって把握され、半ば強制的に社会へと引き戻されることとなっているのです。しかし、その後、彼らがふたたび社会の底辺へと落ち込んでいかないという保障はありません。
[1] 荒川区自治総合研究所による「児童相談所の開設を契機とした研究プロジェクト」など(報告書は未公刊。担当者の許可を得て記述)。
ここで問われなければならないのは、この社会は表面的にはとてもきれいに見えても、その裏には私たちの目が届かない闇が広がっており、子どもたちは容易にその闇の中に落ち込んで見えなくなってしまうということであり、一旦落ち込むと、一般行政とくに福祉的な措置では、その子どもたちを再びこの社会へときちんと位置づけることはとても困難だということなのです。一般行政の機能として、一時的な措置として、子どもたちを社会の表面に引き上げることはできても、彼らの自立を促し、社会の表面に留まり続けることを保障することは難しいのです。
それはまた、社会問題に対処するために制度がつくられ、実践されればされるほど、実はその制度の「はざま」が各所に口を開き、そこに一旦落ち込んでしまうと、この社会の表からは見えなくなってしまうということであり、しかもそこから子どもたちを行政の力で社会の表面へと引き戻すことは至難の業だということでもあります。
このことは、次の二つの「せねばならないこと」を私たちに問いかけています。一つは、制度や取り組みの「はざま」を「間(あいだ)」に組み換えて、子どもたちが落ち込まないようにすること、もう一つは一旦「はざま」に落ち込んでも、周囲の人の力を借りながらでも、自力で這い上がることができるだけの力を子どもたちにつけること、この二つです。
(第6回につづく)
#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る
#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく
#3 子どもの教育をめぐる動き
#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”
#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと
#6 「学び」を通して主役になる
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