仕事・働き方

旅行作家・蔵前仁一「好奇心が新たな旅を引き寄せる」

2020.05.15

この度、40年にわたる旅行作家としての集大成となる書籍『失われた旅を求めて』を上梓した蔵前仁一さんに、旅することや伝えることの醍醐味、モチベーションが高まる瞬間などを聞きました。
 

 

蔵前仁一(くらまえ・じんいち

1956年生まれ、鹿児島県出身。慶応大学法学部卒。1980年代からアジアを中心に世界各地を旅し、1986年『ゴーゴー・インド』で作家デビュー。1995年に出版社旅行人を設立し、雑誌『旅行人』、旅行記、ガイドブックを発行する。近年は特にインド先住民の壁画を求めてインドをまわっている。著書に『わけいっても、わけいっても、インド』、『テキトーだって旅に出られる!』、『インド先住民アートの村へ』、『失われた旅を求めて』など多数。

 
 
 

旅行作家になった理由


 

今まで何か国くらいを回ってらっしゃいますか?

 

個人的には訪問した国数には意味を見出していないので数えたことはありませんが、期間の割にはそんなに多いほうではありません。たぶん70~80カ国ぐらいじゃないかと思います。

 

十分、すごいと思います。大きなモチベーションを感じます。特に印象深い国はどこですか?

 

印象深かったのはもちろんインドですが、中国もそれに匹敵するぐらい強いインパクトがありました。

 

中国ですか。

 

インドと中国ではインドのほうが先に行ったので、まずインドのその物価の安さに驚きました。あまりにも安すぎて何にいくら払えばいいかまったくイメージできなかった。だから散々ぼられてしまうわけですが。

 

インドに限らずツーリストプライスというものは確かにありますね。

 

インドの汚いのにはそれほど驚きはなかったのですが、路上で生活したり、物乞いしたりしている姿にはやはりびっくりしました。なにしろ路上にある消火栓の水を出して石鹸で身体を洗ったり、道ばたに倒れているのかと思ったら単に寝ているだけだったり、牛が路上をうろうろしてたり、ちょっと日本では考えられないですからね。こんなことをしていいのかよと思うことばっかりでした。

 

最初にインドへ行ったとき、どこが印象深かったですか?

 

カルカッタ(現・コルカタ)です。1980年代、当時のカルカッタには大勢の路上生活者がいて、物乞いも当然多かったわけですが、ホテルのそばにも物乞いが座っていて、1日中そこに座っているわけ。何にもしないでただ座っている。1時間ぐらい物乞いを見ていましたが、誰もお金なんか恵んでくれないし、それでもやっぱりそこにただ座っている。それで、夕方になるとどこかへ行ってしまう。それを見て、本当に不思議でしたね。あれで生活できるのかということもさることながら、いったい彼は何を考えてあそこに座り続けているのか。僕なら1時間も持たないですね。ほとんど瞑想修行のようなもんじゃない? 毎日それやっているんだから。

 
1982年のデリーのバスターミナル。初めてインドへ行ったとき、薄暗い電灯の中でたむろする人々の姿さえ恐ろしく感じた。
 

ほかに驚いたことはありますか?

 

物乞いよりもっと驚いたのが、サドゥー(ヒンドゥ教の修行者)です。カルカッタの公園で地面に穴を掘って首を突っ込んでいるんだから。それを誰も気にしないんですよね。あとで修行しているということがわかったんだけど、そんなことをあんな大都会の真ん中でやる? とんでもない国だなと思いましたよ。

 

中国でも、やはりカルチャーショックを受けましたか。

 

中国はインドとまったく逆の意味で驚きました。インドではうるさいぐらい人が寄ってきたり、声がかかってきたりするんだけど、1980年代の中国はその正反対。店にいっても誰も近寄ってこない。目の前にあるものがほしいと指さしても「ない」といわれたときには意味がわからず困惑しました。「あるじゃないか」というと「それの担当は私じゃない」という。国営の商店は大体どこもそんなものでした。それで、あって当たり前で空気のようなものだった「サービス精神」というものが消滅するとこういうふうになるのだと初めて理解したものです。ようやく品物を買えると、放り投げてよこされるし。

 

サービス精神という概念がまったくなかったんですね。

 

あの頃の中国人はほんとに誰も彼も不機嫌でしたねえ。それでいたるところに「為人民服務(人民に奉仕する)」と大書してあるのを見ると、本音と建て前がこんなに違うものかと思いましたよ。だから改革開放が進んで社会が変わったことは、中国人にとってはすばらしいことだったのだと思います。まさかこれほど発展するとは、あのときは夢にも思いませんでしたが。

 
1983年、西安のメインストリート。乗用車はほとんどなく、たくさんの自転車がちゃりちゃりと音を立てて走っていた。
 

蔵前さんはいつから旅行作家を志したのですか?

 

自分では旅行作家を志したつもりはなく、いつの間にかそう呼ばれるようになっていたという感じです。きっかけはもちろん、インド旅行について書いた処女作の『ゴーゴー・インド』を出したことです。この本を出すまで、どこにも文章を発表したことはないので、この本でいきなり文章書きになったのですが、「作家になる」と意識していたわけではありませんでした。

 

はじめて原稿を書いて原稿料をもらった時、どんな感想を持ちましたか?

 

『ゴーゴー・インド』を書くまでは文章を書いて原稿料をもらったことはなかったので、その意味では同書の印税が初めての原稿料ということになります。ただ、この本のイラストはもちろん、装幀も自分でやりましたので、それらをすべて含めての印税ですから、仕事量の割に安かった感じです。もともと売れるとは思っていなかったので、原稿料の多寡は気にしていませんでした。版元の凱風社とはそれまでもデザインやイラストの仕事で料金をいただいていたので、それと同じ感覚です。

 

なるほど。その旅行作家としてのモチベーションの原点や、やりがいを感じた瞬間について詳しく伺えればと思います。

 
 
 

名著『ゴーゴー・インド』を手掛けたやる気の出どころ


 

この本を書いてみたいというやる気が芽生えた瞬間は、どこにありますか?

 

1983~84年にかけて初めて長いインド旅行をしましたが、そのほとんど最後の頃、列車でバッグを盗まれたんです。その中に日記が入っていた。インドを旅した記録はそれがすべてですから、なくなってしまうのはとても残念で、それで覚えているうちに記録し直そうと日記を復元する作業に取りかかったんです。インドからタイへ渡り、帰国前にサムイ島で休憩していたので、他にやることもなかったですから。

 

日記の復元ですか。

 

あらためて日記を書こうとしたんだけど、時系列で日を追って書くのはさすがに無理なんですね。何月何日にどこにいたかぐらいは大体覚えているけど、何をしたか、何を食べたかまで詳細に覚えているわけがない。なにしろ1年半もいましたから。だから、自分が最も印象深かったこと、おもしろかった出来事をランダムに書き始めたんです。例えばさっきいった「物乞い」や「サドゥー」というテーマで、それがどういう人々だったかをなるべく自分が見た通り、感じた通りにその驚きを書く。

 

得意のイラストも交えて。

 

旅に出る前、僕はイラストレーター兼グラフィックデザイナーでした。仕事が忙しすぎて疲れ果てて旅に出たこともあって、旅行中は日記にイラストは一切描かなかったんですが、このときは自然とイラストを描きたくなって、インドでの出来事や興味を持ったことをイラストで描き、文章を添えた。例えばリキシャにぼられて喧嘩したことは写真には撮れないでしょ? だけどイラストなら描けるんですよ。それが面白くて、コサムイにいる1カ月、熱中して描き続けました。

 
1984年、コサムイで描いた絵日記。コサムイの海。
 

あくまでも自分のための日記だったんですね。

 

日記のつもりで自分のための記録として書いたものだったんだけど、そういうのがまとまってできると、誰かに見せたくなってくるもので。それで親しい友人に見せたんです。そしたらその友人が「これはおもしろい。どこか出版社に持ち込めば?」とほめてくれた。お世辞だったかもしれませんが、ほめられるとうれしいもので、それでその原稿というか落書きみたいなものをあちこち持ち込みしたわけですね。何社まわっても、どこも相手にはしてくれませんでしたけど。

 

版元は凱風社でしたよね。

 

あきらめかけた頃、デザインやイラストの仕事をもらっていた凱風社の人に、「インドの話を出版社に持ち込んでるんだけど、どこもダメでしたよ」と話したんです。すると「なんでうちに持って来ないんだ」と言われちゃって。「だって凱風社は固い専門書ばっかり出していて旅行記なんか出してないじゃないですか」と言うと、「そういうのもたまには出したいんだ」と言われて、あっさり出版が決まったというわけです。

 

『ゴーゴー・インド』の成功に満足することなく、その後、さまざまな書籍を上梓したのはどのような思いからだったのでしょうか?

 

そりゃ、『ゴーゴー・インド』が売れたから、もっと書いてくれって出版社の人に言われるからですよ。だけど、本当は本を書くことなんかどうでもよかったんです。それよりもっともっと旅がしたかった。自分は旅行作家になるつもりはなかったと最初に言いましたが、本を書くために旅をしたのではなく、旅をしたから結果的に本になったということです。本にならなくても旅ができればそれでよかったんです。

 

旅行作家というよりは旅人になりたかったんですね。

 

とはいえ、以前のように誰かが書いた原稿を読んで、そのイラストを描くという仕事は、そのころの僕には魅力的ではなくなっていました。手堅い仕事ではあるけれど、版元の都合しだいなので、好きなように旅には出られなくなるからです。だから、出してもらえるなら自分の本を書くほうが旅をするのに好都合だった。

 
1984年、コサムイ、チャウェンビーチ。
 

言わば成り行きだったんですね。

 

それに当時はまだバックパッカーが世間に認知されていませんでした。奇人変人扱いされていて、出会った旅行者にもそれで悩んでいる人がいたぐらい。だから、旅行はこんなに楽しい、こんなにおもしろいことがある、バックパッカーは最高だぞと言いたかった。だって100ドルあればインドを1カ月旅できるなんて、ほとんどの日本人は知らない時代ですから。

 

自ら経営する出版社である「旅行人」を作ったのはどんな意図があったからなんですか?

 

「旅行人」を設立して他の人の本を出し始めましたが、著者は旅行中に出会った人が多かったんです。旅行で知り合って、ホテルでいろんな話をしますよね。そのなかで、この人の話はおもしろいなと思った人には、何か書いてとお願いしてました。「旅行人」に連載してもらって原稿が蓄積されると、それを単行本にしていったわけです。さまざまな旅行者と出会って、僕の知らない世界を旅し、僕の知らない知識や経験を持っている方が数多くいました。その全員が文章を書けるわけではありませんが、彼らの書く文章はほんとにおもしろかった。だから出版社を作って本を出していったんです。

 
 
 

新たな旅へのモチベーション


 

昔から文章が得意だったんですか?

 

ぜんぜん。自分で文章を書いたことも読んでもらったこともなかった。先ほども言いましたが、コサムイで突然書き始めたんです。

 

新たな旅へとモチベーションを高める方法を教えてください。

 

まだ行ったことがない中央アジアには一度は行ってみたいと思っています。新たな旅と言えるかどうかわかりませんが、インドの先住民アートを訪ねる旅は今後も続けていきたい。やはり好奇心が新たな旅を引き寄せ、モチベーションを高めてくれるのだと思います。

 
 
 

ほかにはどうでしょう?

 

旅に出るモチベーションを高める方法ですか。う~ん、そうだなあ。特に興味がなければ行く必要はないんですけど、旅に出るのは、好奇心があるかどうかですよね。好奇心がない人は未知の世界へ旅に出る理由がない。ハワイでのんびりバケーションを楽しむぐらい。自分が知らない世界にはいったい何があるのか、どういう人が住み、何を食べ、何を話し、何を着ているのか、その何かを知りたいと思うかです。僕は見知らぬ国へ行く場合、ただその見知らぬ世界に立って、そこにどういう景色が広がっているのかを見たいという単純な好奇心でそこへ向かいます。だから、あまり情報がない、世間の人が比較的知らない場所へ好んで出かけていった。僕は旅の原点はそこにあると思っているので、ここではないどこかへ行きたいという好奇心を持たない人には、モチベーションなど高めようがないのではないかと思います。それでもいいわけですし。

 

なるほど。

 

あえて言えば、自分が興味を持っている「もの」「こと」を、とことん突き詰めることです。それは必ずここではないどこかにもあります。例えば、蒸気機関車が好きな人は、まだかろうじて残っている蒸気機関車を求めて、ガイドブックにも載っていないような世界の片隅まで出かけていきます。布が好きな人は、普通の人は知らない、まったく観光とは無関係な布の産地へ自分の足で出かけています。驚くべき行動力です。他のことには目が向かなくても、蒸気機関車なら目の色を変えて追いかけ、布のためならホテルもろくにないような田舎町へ突き進んでいくんですからねえ。それこそ旅の原動力ですよ。

 

興味が行動の原動力なんですね。

 

今度うちからインドの料理本で『食べ歩くインド』という本を出すんですけど(7月刊行予定)、著者の小林真樹さんという方は一種の南アジア料理オタクというか、寝ても覚めてもカレーばっかり食べているような人なんです。彼はインドやネパールに行っては、あちこちで料理を食べまくってきた。それを15年です。インド料理というと、何回も行っている僕も北インド料理と南インド料理の違いぐらいしかわからなかったんですが、彼に言わせると、インド各地でまったく違う料理があるんですね。クールグ料理だのアーンドラ料理だの初めて聞くような料理ばかりです。そういう料理を食べに、ものすごい田舎の町まで何時間もバスに乗って行って、この料理はここまで来る価値があるとか言うんだから、まあほんとに物好きであれってことですね。

 

旅の醍醐味について教えてください。

 

一言で言えば、何が起こるか、何に出会うかわからないところです。良いこともあれば悪いこともあるのですが、それらすべてひっくるめて予想外のことが起き、考えてもみないことに遭遇し、見たこともないものと出会い、驚くような景色に出会うことです。どのようなことであれ、自分がそれまで知らなかったこと、もの、人に出会うことは、何にも増して得がたい体験で、それこそが旅の醍醐味でしょうか。

 

旅行作家のやりがいを教えてください。

 


当たり前なんですけど、読者に喜んでもらえることです。僕が本を書く最大の目的は、読んでくれた方が楽しんでくれることであり、読んでよかったと思ってくださることなので、そうでなかったら本は書きません。読者に伝えたいことは、自分が旅を通じて感じたことですが、世界は多様であり、さまざまな生き方や文化があり、それを知ることで今より自由になり、解放されるということですね。

 

世界は多様なんですね。それを感じたい人に読んでほしいと。

 

仕事で疲れたり、行き詰まったりすることは誰でもありますが、それが人生の、あるいは世界のすべてではない。他の国へ行けば、戦争で苦しむ人々もいれば、電気もないところで質素に生きている人々もいる。日常の些細な悩みや、些細ではない苦しみも、決して自分だけに降りかかっているものではない。それがわかるだけでも救われます。僕の本を読んで「行きたいところが増えました」とか、「自分は行けないけれど本で旅の楽しみを味わえました」と読者にいっていただくことは、書き手の僕にとってとてもありがたい言葉です。それがやりがいですかねえ。

 

今回上梓された『失われた旅を求めて』はどんな書籍ですか?

 
 
 

この本は、1980~90年代にかけて世界各地で撮影した写真をまとめたものです。多くのバックパッカーが海外を旅してまわっていた時代で、いちばん旅がしやすかった時代だといえるかもしれません。あのころは、あのように自由に旅ができることに何の不思議さも感じていなかったし、今後もずっと同じように、いやもっと自由に世界中を旅できるものだと信じていましたが、実際には中東は内戦になり、多くの重要な遺跡や、美しい町が破壊されてしまいました。そういった戦災や災害で失われてしまった風景を収録しました。

 

アジアもまた変わりましたね。

 

中国はこの30年で同じ国とは思えないほどに変わってしまったし、東南アジアも経済発展して、各国の首都は東京と変わらないような大都市に変貌しています。これもまた二度と帰ることのできない失われた世界です。僕らが旅をした街がどのように変わってしまったのか、旅行者にとって何が失われてしまったのか、そのような失われた世界をふりかえって見られる一種の記録になればと思って制作しました。

 

生まれ変われたとしても、旅行作家になりますか?

 

生まれ変わったら、大工になりたいです。自由気ままに作れる大工(笑)。それで大工作家になってもいいな。僕は国民はみな義務教育の一環として1、2年大工修行をしたらいいのではないかと思っています。そうすれば、自分の家は自分で作れる。1人で作れないところは友人や近所の人に手伝ってもらえます。なにしろ国民全員が大工修行してるわけですから。どのような規模であれ、自分が住む家を自分で作れるというのは人生の解放ですよ。今の日本人にとってこれ以上の重荷はないですからね。

 

今後の目標を教えてください。

 

過不足なく健康で楽しい人生を送ることです。

 

この記事を読む子育て世代の父母や、子供たちに向けてのメッセージをお願いします。

 

人生の目的はただ1つです。Enjoy your life. 人生は楽しむためにある。まあ、これは大人にならないとわからないかもしれない。子どもは社会に出て働くまで、なるべく遊ぶこと。一生懸命遊びまくること。楽しいことをひたすら夢中になってやること。これに尽きますね。あとはメシ食って寝て、順調に育てばそれでよし。歯はちゃんと磨けぐらいです。

 
 
 
 

 

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この記事を担当した人

八鍬悟志

複数の出版社に12年勤めたのち、フリーランスライターへ。得意ジャンルはIT(エンタープライズ)と国内外の紀行文。特にITに関してはテクノロジーはもちろんのこと、人にフォーカスしたルポルタージュを得意とする。最近はハッカソンイベントなどを取材する機会も多い。

 
 
 

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