仕事・働き方

パラリンピック金メダリスト・浦田理恵「障害は神様からのプレゼント」

2020.06.5

「目が見えなくなって見えるようになったことがある」と浦田理恵さん(ロンドンパラリンピック・ゴールボール金メダリスト)は語ります。
感覚を研ぎ澄まし、音でボールやコートを見る楽しさ。夢を持って挑戦することへのやりがい。そして、支えてくれる人に感謝することの大切さ。さまざまなことに気づいたのです。
「困難は神様からのプレゼント」だと語る浦田さんに、そのモチベーションの源泉や、東京五輪2020にかける思いを伺います。

 


 

 

浦田理恵(うらた・りえ

1977年、熊本県生まれ。教師を目指していた20歳の時に急激に視力が低下し、網膜色素変性症と判明。現在は左目の視力はなく、右目も視野が98%欠損。強いコントラストのものしか判別できない。マッサージや鍼・灸などを学んでいた26歳の時に2004年アテネパラリンピックでのゴールボール女子日本代表の奮闘を知り、ゴールボールを始める。2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロパラリンピックの3大会に出場。ロンドンでは日本史上初となる団体競技での金メダルを獲得。現在も東京2020パラリンピック出場を目指す。また企業や学校などで年間約60件の講演会講師を務める。

 
 
 

視力を失い引きこもりに


 

二十歳の時に視力を失ったと伺いましたが、どういう病気だったんですか?

 

網膜色素変性症という先天性の病気です。発症するのには個人差がありますが、私は二十歳を過ぎた頃に発症して視力を失いました。

 

ある日、突然見えなくなるのですか?

 

だんだん視力が低下し、視野も狭くなっていく病気です。私の場合は左目が3カ月くらいで見えなくなりました。右目はかろうじて光を感じることができます。中心部の五円玉の穴くらいのスペースに光が入ると、明るいか暗いかはわかります。

 

視力を失ってから引きこもりになったそうですね。

 

はい。その頃はまだ学生だったんですが、黒板や教科書の文字が見えなくなってきました。実習に行っても、見えないことでミスをすることが増え、外に出たり人と会ったりするのが怖くなったんです。当時は小学校の教師を目指していたんですが、見えないのに人に指導するのは難しいのではないかと思い、これから先どうしたらいいのか不安な毎日を送っていました。

 

失明したことをご家族には報告したんですか?

 

見えなくなったことは最初は周りに言えませんでした。私の周りには視覚障害者はいなかったので、どのくらい見えないのかを説明することが難しかったんです。右目にはかろうじて見える部分もあるし、でも左目は見えないし、そういうことを伝えるのがすごく難しく、それで人と会いたくなくなり1年半くらい引きこもったんです。

 

それを脱したきっかけは何だったんですか?

 

私は熊本の出身です。当時は福岡に出てきて一人暮らしをしていたんですが 、時々、実家の母から電話がかかってきました。その時は視力を失ったことを家族にも伝えていませんでした。いつも当たり障りのない話をしていましたが、いつかはバレると思っていたんです。でも言い出せない時期が1年以上続き、意を決して家族には言おうと思い、実家に帰ることにしました。それがきっかけです。

 

ボールに入っている鈴の音を頼りにしてオフェンスとディフェンスを繰り返す。
写真提供:ゴールボール協会

 

家族にもなかなか言い出せなかったんですね。

 

身近にいてくれているからこそ、心配をかけたくないなという気持ちだったんです。言ったら絶対に泣くだろうなと思うと、なかなか言い出せませんでした。

 
 
 

ゴールボールとの出会い


 

ゴールボールとの出会いはいつ、どういうかたちだったんですか?

 

2004年にアテネパラリンピックが開催され、私はテレビでゴールボールの存在を知りました。テレビのモニターは見えないんですが、音声で日本が銅メダルを取ったことを知り、すごいなと思ったんです。世界で活躍する視覚障害者がいること、見えないのに球技ができること、すべてがすごいと思いました。それがゴールボールとの最初の出会いです。

 

どこで競技を始めたんですか?

 

福岡です。福岡に視力障害センターというものがあり、そこでは鍼灸師やマッサージ師の免許を取るための勉強ができるんです。私も通っていて、 そこに来ていた先輩がアテネの代表選手だったんです。その方が福岡を活動拠点として練習していることを聞き、福岡のクラブチームに入れてもらいました。

 

実際にやってみていかがでしたか?

 

難しいなと思いました。私にはスポーツの経験がなかったので、ひとつひとつの動きを理解するのに時間がかかりました。体力もなく、すぐにバテます。ボールの中に鈴が入っていて、その音を頼りにボールを取ったり投げたりするんですが、ボールがどこにあるのかまったくわかりません。

まずは体力作りから始めたんですが、たまにゴールボールのコートに入れてもらえるようになりました。ただ、私が入ったチームはゲーム練習で必ず負けてしまいます。私はもれなくミスをするので、チームメイトに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。いつもコートの中で縮こまっていたんですが、そういう時でも先輩や仲間が声をかけてくれ、「ミスしてもいいよ」と言ってくれたんです。居残り練習にも付き合ってくれました。

 

見て学ぶことができないんですね。

 

はい。視覚障害者は見て学ぶことが難しいので、ひとつのことを習得するのにとても時間がかかります。みんなが根気よく教えてくれ、ミスばかりしてセンスのかけらもない自分のことをチームメイトだと認めてくれることがすごく嬉しかったです。

何度も辞めることを考えたんですが、その度に先輩や仲間が声をかけてくれ、徐々に競技の楽しさに気づけたんです。できることが少しずつ増えていくと達成感を覚えます。それで何とか継続することができました。

 

浦田さんはてっきり、子どものころから運動が得意だったんだと思っていました。

 

まったく違います。私の中で体育はいちばん不得意な科目でしたから。

 

勝利を決め、喜びを爆発させる浦田さん。
写真提供:ゴールボール協会

 
 
 

パラリンピックへの思い


 

競技を始めてどのくらいで日本代表に選ばれたんですか?

  

1年半くらいです。

 

日本代表に選ばれたのはどんな気持ちでしたか?

 

私のゴールボールのスタートは、世界大会で活躍する選手にあこがれたことだったので、選んでもらえた時はすごくうれしかったです。同時に責任も感じ、背筋が伸びるような気持でした。

 

浦田さんにとって最初のパラリンピックは北京ですが、これに出場した時、どんなことを感じましたか?

 

出場した8カ国中、日本は7位という結果でした。予選からなかなか勝てなかったんです。あんなにすごい観衆の中で試合をしたことがなかったので、プレッシャーを感じました。自分がミスをして日本が負けたらどうしようという不安が消えず、実際にコートに立つとやはりミスを繰り返してしまいました。

決勝戦はアメリカ対中国だったんですが、「どうして日本はそこにいないんだろう」と思うと悔しく、帰りの飛行機の中で勝てなかった原因をずっと考えていました。その瞬間から次のロンドン大会を目指そうと思ったんです。

 

次のロンドン大会では念願の金メダルを獲得します。北京とは臨む気持ちが違っていたんですか?

 

北京では世界のゴールボールをあまり経験せずに臨んだので、他国の勢いに飲まれた部分がありました。一方、ロンドンではメンタルトレーニングなども行い、北京とはまったく異なる気持ちで臨むことができたんです。準備をしっかりしてきたので「絶対に大丈夫だ」という気持ちでした。

何よりも私たちはチームとして金メダルを取るんだという気持ちをみんなが共有していました。それに向けてみんなで準備をしてきたので、不安はありませんでした。実際にロンドンに飛び立つ前に、自分のブログに「金メダルを取ります」と書きました。目標をみんなで共有していたことが頑張れた要因のひとつだと思います。

 

決勝戦で中国に勝った時はどう思いましたか?

 

中国にはこれまで公式戦で一度も勝ったことがなかったんですが、私たちのチームは「どうやって勝つか」という勝ち方も共有していました。ベンチからの指示と、プレイするメンバーの気持ちが一致していたので「行けるな」という感触があったんです。

中国は攻撃に長けたチームで、パワーが売りものです。私たちはパワーでは負けることはわかっていました。では何で勝つかと言うと、緻密なコントロールだったりメンバーで息を合わせた細かい動きだったりです。

中国の攻撃をしっかり0点で抑えれば、相手に焦りが出てそこで必ずチャンスが来ると思っていました。そういう戦術がきちんとかたちになり、獲得した1点を守り抜いて勝つことができたんです。これまでに練習してきたみんなの力が合わさっての勝利だったので達成感がありました。

 

ロンドンパラリンピックで勝ち、その後、またモチベーションを高めてリオデジャネイロを目指すわけですが、その間はどんな思いだったんですか?

 

正直、ロンドンで辞めようと思っていました。私はシーズアスリートという組織に所属しています。ここは競技活動だけをしていればよいという組織ではなく、仕事と競技の両立を理念とし、現役引退後にも社会人として社会に参画できる仕組み作りに取り組んでいます。

そのため、年間を通じて目標管理シートを作成しています。私は上期の目標に「ロンドンパラリンピックで金メダルを取る」という目標を掲げていました。上期を振返り自己評価を記入する時に私は最高の5だと自己評価しました。目標を達成したのだから5でいいだろうと思ったんです。

ただ、それに対して上司は「本当に5でいいの?」と聞くんです。「もちろん5です」と私は胸を張ったんですが、「5でいいの?」と聞かれたことが頭に引っかかってしまい、確かに金メダルを獲得したという結果だけ見れば完璧なのですが、そのプロセスを考えると「私のミスを仲間にカバーしてもらったな」とかいろいろ浮かんでくるんです。完璧ではなかった、5ではなかったと思い直すようになったんです。もう一度、今度こそ完璧を目指してみようと思うようになったんです。その思いがリオへ気持ちを向かわせてくれました。

 

年間、約60件の講演活動も行う浦田さん。
写真提供:シーズアスリート

 
 
 

障害はマイナスではない


 

ゴールボールという競技の楽しさはどんなところにあるんですか?

 

ゴールボールはアイシェードという目隠しを付けて競技をするんですが、それを付けると健常者も視覚障害者も平等に楽しめます。人は目から得る情報が全体の80%だと言われています。その80%の情報を遮断した中でどれだけのことができるかというのは大きなチャレンジです。

ボールの鈴や仲間との声の掛け合いなど、音を頼りにお互いの状況を教えあったりして、コミュニケーションの大切さも学べます。競技として世界一を目指すのもひとつの楽しみなんですが、競技を通して誰かとつながれるというのも楽しさのひとつだと思います。

 

これまでのキャリアを振り返った時に、ゴールボールをやっていてよかったと思うのはどんな時ですか?

 

色々あるんですが、やっぱり人とのつながりですね。限界にチャレンジする楽しさを感じられたことも大きいと思います。

 

浦田さんは東京2020の代表も目指していますが、今度は何を残したいですか?

 

目標として掲げているのは金メダルですが、それと同じくらい「なぜ自分は競技を続けているのか」ということを重要だと思っています。金メダルはみんなで共有する目標としてわかりやすいので目指します。これは選手個々人の力だけでは取れません。周りからの支援だったり応援だったりが必要です。

その後押しと言うのは見えない力なんですが、確実に存在しています。そこでの一体感は何にも代えられないものです。東京2020ではそれをみんなで味わい、次の世代にバトンをつなげたいと思っています。

 

新型コロナウイルスの影響でパラリンピックの実現が流動的な現在、どのようにモチベーションを保っていますか?

 

東京2020での金メダル獲得という目標を掲げているからこそ、課題のクリアに向けて取り組むエネルギーがわいてきます。今はその開催自体が流動的ではありますが、金メダルの獲得という結果以上に、目標達成に向けて取り組むプロセスにこそ大きな価値があると思っています。

そこで私が大切にしていることは日々の積み重ねです。今日1日、少しストレスを感じることにチャレンジできたかは、自分が前進できたかどうかのひとつの指標としています。

頑張れた自分を「よくやった」と自分でほめます。できなかった日があったとしても、明日はそんな自分を超える1日にすればいいと自分を励まします。この日々の積み重ねでしか自分は作られないので、毎日、「今日も昨日の自分を超える!」と自分自身に声をかけ、そこに楽しむ要素を取り入れながら過ごしています。

 

どうやったらそのようにモチベーションを高め続けられるのでしょうか?

 

楽しい時は「モチベーションを上げよう」とか意識しなくても上げられます。実はチャンスはうまく行っていない時にあると思っています。困難に直面した時に自分が試されるんです。

自分ではコントロールできないことは世の中にたくさんあります。今でいうなら新型コロナウイルスに「早く収まれ」と言っても、自分ではどうにもできません。その中で「どうやって行くと自分がいちばん楽しいかな」と考え、自分ができるレベルに考えを絞るんです。あるいは、どうやったらなりたい自分になれるか、そういうことを念頭に置いてできる方法を考えたりします。そうすると自然とモチベーションは高まっていきます。

 

東京2020以外で、今後の目標があれば教えてください。

 

私は競技を通じていろいろな可能性を教えてもらっています。例えば私には姪っ子がいるのですが、彼女は「私にはどうせ無理」とかすぐ言うんです。そういうのはすごくもったいないと思っていて、それを変える力は私にはありませんが、考え方を変えるきっかけ作りはやれるんじゃないかと思っています。子どもたちに「あなたの可能性はすごいんだよ」ということを伝えていけたらと思っています。

 

障害を持つ子どもたちへのメッセージをお願いします。

 

私は見ることが苦手です。手が不自由な人の場合は、手を使うことが苦手なんです。苦手なことはきっと誰にでもあります。私たちは形として「あの人は目が悪いんだね」とか「あの人は手が使えないんだね」というようにわかりやすい障害を持っています。でも、身体がすべて自由に動くけれども何かしらの不都合を持っている人はたくさんいます。

見えないことや手が動かないことをマイナスとは考えないでください。ただ苦手なだけであり、それがすべてではないんです。可能性は無限にあります。私は見えないから気づけたことや、見えないから出会えた人たちがいます。わかりやすい障害はマイナスではなく、きっと強みにもなるんです。それをどう活用するかは自分次第で、先に待っている未来は可能性に溢れていると言いたいです。

 




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この記事を担当した人

八鍬悟志

複数の出版社に12年勤めたのち、フリーランスライターへ。得意ジャンルはIT(エンタープライズ)と国内外の紀行文。特にITに関してはテクノロジーはもちろんのこと、人にフォーカスしたルポルタージュを得意とする。最近はハッカソンイベントなどを取材する機会も多い。

 

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