新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2023.04.5
いしまるあきこ
1978年生まれ。
一級建築士・猫シッター。自ら保護した6匹の猫たちと暮らす。一級建築士事務所「ねこのいえ設計室」、猫シッター「ねこのいえ」主宰。ほかに「ねこのいえ不動産」や猫との住まいに関する執筆・講演、企業監修など、幅広い活動をおこなう。著書に『猫と住まいの解剖図鑑』(著・いしまるあきこ 監修・今泉忠明/エクスナレッジ)など。
「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」代表。2013年から中銀カプセルタワービルに1年ほど住み、その後から2つのカプセルでシェアオフィスを企画・運営。現在は救出した7個のカプセルで「メタボリズム建築」の実現に向けて動いている。中銀カプセルタワービル全戸図録『カプセル1972−2022』を出版。『幸せな名建築たち』(日本建築学会 編/丸善出版)など。
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いしまるあきこ→『猫と住まいの解剖図鑑』著者
中銀カプセルタワービルA606プロジェクトいしまるあきこ_NakaginCapsuleA606
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Nakagin Capsule Tower A606 project / A606プロジェクト
公式サイト
ねこのいえ/いしまるあきこ(一級建築士・猫シッター)
中銀カプセルタワービルA606プロジェクト/カプセル1972
――『猫と住まいの解剖図鑑』(エクスナレッジ)、猫との住まいに悩んでいる人にとって、とても役立つ本だと思います。四刷りになったそうで、おめでとうございます!
ありがとうございます!2020年3月22日の「さくらねこの日」に出た本ですが、3年経った今でも、たくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。
――いしまるさんは、新しい建物を建てるのではなく、古い建物の再生やリノベーションに取り組む「建てたがらない建築士」と言われた時期もありました。今は「猫との住まい」に注力されているのですね。
いまでも「建てたがらない建築士」であることは変わっていません。猫に関することは、2013年に2匹の子猫を保護したことがきっかけでした。
『猫と住まいの解剖図鑑』は、「猫も人も無理をしない。もっと幸せになれる住まいを増やしたい」という想いで書いています。猫さんと暮らし始めると「想像とは違った…」「なんでこうなるの?」と困ることがあったりします。爪研ぎで壁がボロボロになるとか、脱走したがるとか。
猫の習性をふまえて工夫をすれば、それを避けたり、少なくしたりできます。私は建築士で猫シッターなので、住まいの工夫とお世話のコツといった2つの視点で、猫との住まいの困りごとを解決しています。
――では、まずは「猫との住まい」に関する活動について教えてください。
「ねこのいえ設計室」は、一級建築士事務所です。猫との住まいの設計や小規模な猫向けリフォームの施工、猫のためのDIYのアドバイスもしています。
また、「ねこのいえ」という屋号で猫シッターもしています。旅行や出張などのときに、猫さんがお留守番をしている家に伺って、お世話をするのが猫シッターです。
――それは、いしまるさん自ら?
そうです。鍵を預かって、私が留守中のご自宅にお邪魔して、猫さんのお世話をして、様子をご報告します。お世話中に気付いた猫との住まいに関するアドバイスを無料で行うこともあります。
それから「ねこのいえ不動産」は、猫と暮らせる住まい探しの不動産屋さんです。「ペットと暮らせる賃貸住宅は東京では2割くらいで、猫可となるとさらに少ないです。猫さんと暮らせる物件を探してご紹介しています。運営は不動産の株式会社カルペディエムです。
――建築の設計・施工、猫シッター、不動産、本当に幅広いですね。
ほかに、「猫との住まい相談」もしています。これは個人向け・企業向けの両方をやっています。
個人向けでは、猫との住まいの悩みについて、実際の住まいや間取図や写真をもとにして、訪問かオンラインで具体的にアドバイスします。私が猫向けリフォームの相談を受けても、リフォームをせずにお世話の工夫や家具の配置などのアドバイスで解決することが多いので、このような相談形式をつくりました。猫リフォーム前のセカンドオピニオンや多頭飼育の不仲な猫同士の問題まで、幅広く対応しています。
企業向けでは、最近はミツウロコグループのサンユウさんの猫と暮らす方専用賃貸「ecoねこハウス」シリーズの監修と第一弾の「ecoねこハウス川越」の設計・施工、Panasonicさんのキャットウォーク・ステップに使える滑り配慮のカウンター材、くぐり戸を通り抜ける訓練がしやすいようにのれん部分を工具なしで外せるようにしたペットドアや小型犬などの滑り配慮の床材といった犬・猫向き建材「わんにゃんSmile」の監修、平安伸銅工業さんの突っ張り材「LABRICO」を使ったキャットタワー・収納を兼ねた3種類のDIY「ねこだな」の設計・監修をしました。
保護猫活動も細々としています。以前に江戸川区に住んでいた頃は保護猫団体の預かりボランティアをしていました。いまでも自ら保護した子猫や成猫、行き場を無くした老猫たちを引き取って、お世話や里親探しをしています。最初の5年で100匹以上の猫さんたちとの出会いがありました。
――すごいですね。これらの活動を1人でされているのですか?
1人でできることは1人でやって、必要に応じて他者に協力をあおいで実行したり、本を書いて考え方を伝えたり、住まいのプロ向けに認定資格講座「猫との住まいアドバイザー」の講師をしたり、YouTubeで猫との住まいの困りごとを解決する方法を紹介したりしています。
――どうしてこれほど多くのことをされているのでしょうか?
どの活動も、私自身が猫との住まいで困ったなと感じたことがきっかけです。最初に保護した白猫・しろちゃん、黒猫・くろちゃんの2匹のきょうだい、3匹目の白黒猫・ものくろちゃんまでは、困ったことは何もありませんでしたが、4匹目のキジトラ・しまちゃんが人間にとってはいろいろな困りごとをする子で・・・。ゴミを荒らすし、冷蔵庫は開けるし、布は食べるし、警戒心は強いし、脱走もしたがるし・・・。
5匹目の三毛縞・みけちゃん(愛称みーちゃん)はにおいにすごく敏感で、当時使っていたシステムトイレ(大粒の猫砂でスノコ状のトイレ)を使えませんでしたし、猫砂へのこだわりもすごくて・・・。保護してしばらくは、家中のあらゆる箱の中でオシッコされました。うちでは、みーちゃんが使える固まるタイプの鉱物系の猫砂しか使えません。
さらに、2軒目の「平井ねこのいえ」に引っ越してしばらく経ってから、しまちゃんがみーちゃんを襲うようになったり・・・。それは1年半かけて、いろいろなトレーニングや行動治療をしてなんとか解決しましたが・・・。
「猫さんたちとの住まいは、こんなにも大変なんだ」と自分が困ったことやきっとみなさんも困っているに違いないことの解決方法を自分なりに発信しようと考えました。
一緒に暮らす猫さんが3匹を超えると住む家を探すのはものすごく難しくなります。ペット可の賃貸住宅は相場よりも高い家賃の部屋かボロボロのアパートの2択になりがちですし、多くても2匹以内がほとんど。分譲マンションも2匹までが多く、3匹までは少なくなり、4匹以上はほぼありません。多頭飼育だと頭数上限などが無い戸建てを購入することになりやすいです。
いまの住まい兼仕事場「羽田ねこのいえ」は、1軒目の古い家を出なければいけないという話があった、猫さんたちがまだ3匹の頃に購入しました。築60年近い木造2階建ての小さな戸建で、不動産屋さんから「23区最安値」と言われた破格のボロ屋でした。購入してから少しずつリフォームしていたのですが、保護した猫たちが5匹まで増えたのと「平井ねこのいえ」で暮らせることになったので、「羽田ねこのいえ」は他の人に貸すつもりで少しずつ直していました。数年後に「平井ねこのいえ」が契約終了することになって、猫が5匹と当時は里親募集中だった白系猫・こねちゃん1匹の計6匹いて家を再び探すことになり、結局、所有している「羽田ねこのいえ」のリフォームをおおまかに完了させて、暮らすことにしました。1階も2階も四畳半程度しかなくて全部で23平米と非常に狭い家なので、猫さんたちのために立体的な工夫をしています。
「猫との住まい」で同じように困っている人たちのために、少しでも役に立ちたい。そう思って始めたことがどんどん増えて、今のようなかたちになっています。
――いしまるさんは、猫に関することだけでなく、「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」という活動もされていますよね。こちらについても教えてください。
中銀カプセルタワービルは、建築家の黒川紀章さんが設計して、1972年に竣工した建物です。築50年の2022年に解体されました。
直方体の部屋に大きな丸窓がある「カプセルユニット」が特徴的で、140個のカプセルがA棟・B棟の2本のタワーに取り付けられていた13階建ての分譲マンションで、海外にもファンが多くいた建築でした。
――新橋駅の近くにある、すごく不思議な外観のビルでしたね。
はい。新橋駅が最寄りで、銀座8丁目にありました。2013年の当時、まだ猫たちと出会う前で、渋谷区からの引っ越し先を探していました。不動産ポータルサイトで中央区の部屋の値段が安い順に探していたら、「中央区銀座で3.5万」という、ものすごく安い物件があったので驚いてみたら、それが中銀カプセルタワービルでした。そこは倉庫貸しで電気もきていないので住めないといわれましたが、他に住居で募集しているカプセルがあったのですぐに内見しました。
外観が奇抜だなと思っていたのですが、カプセル内はコンパクトで凜とした素敵な空間で、「せっかく家賃を払うなら、身軽なうちに名建築に住んでみたいな」と思って、住むことにしました。
2013年から1年ほど住みましたが、カプセルはペット禁止ということもあって、猫さんたちを保護したことから住まいは猫を保護した江戸川区に移して、その後は事務所、シェアオフィスとして使用して、最大2つのカプセルをシェアオフィスとして企画・運営してきました。最後まで使用したのが、A棟6階にあってプロジェクト名にもなっているカプセルA606です。
A606では、シェアオフィスとして使用しながら、竣工した1972年当時のオリジナルの状態にレストアしていました。時計、冷蔵庫、ブラウン管テレビ、オープンリール、ラジオ、卓上電子計算機、電話など、当時の機器類も直して実際に使っていました。
――すごい!レトロフューチャーな空間で、めちゃくちゃカッコいいですね。
オリジナルの内装、家具がとても素敵だったので、私たちは当時のカプセルA606のオーナーさんに許可を得て、竣工時に戻しながら現代的に使う「レストア」に取り組みました。古いものを無理矢理使うのではなく、たとえば、ブラウン管テレビで地デジやNetflixを見ることができたり、iPhoneをミラーリングできるよう工夫もしていました。
2021年夏に行っていた実測調査をもとに、ベッドや引き出し、スツールなども復元しました。 解体直前の2022年3月末のさいごに、カプセルA606のレストアは完成しました。
中銀カプセルタワービルは140個のカプセルと事務所などがある分譲マンションですから、建物の解体の方針は所有者さんたちの多数決で決まります。2020年末には建物解体で意見がまとまり、2022年3月に使用者が全員退去し、ちょうど築50年の2022年4月から解体工事が始まってしまいました。
5月にはタワーからカプセルの取り外しが始まっています。解体業者さんの技術は大変高く、カプセルをきれいな状態で、地上まで降ろしていきました。取り外しにあたって、事前に私たちが把握している建物のつくりや情報を解体業者さんにお伝えしたことで、カプセルをきれいに取り外すのに大変助けになったと言われました。
最初に外されたカプセルB1108が「とてもきれいに外された!すごい!」と喜んでいたのですが、地上に降ろされてから、結局は重機で壊されまして……
――これは悲しいですね……。
そうなんです。私たちはカプセルA606の1個を譲り受けることがすでに決まっていたのですが、目の前で状態も良くきれいに残っているスケルトンのカプセルがどんどん壊されていく様子を見て、「せっかくきれいにカプセルが外されるなら、もっと追加で救出できないだろうか」と考え、とにかく動きました。
140個あったカプセルのほとんどは解体されてしまいましたが、交渉の結果、私たちだけでもA606を含めた合計7個のカプセルを救出できました。
――良かったです!
はい。ただ、カプセルを救出しただけではダメです。建築は使わないと死んでしまいますから。私たち「中銀カプセルタワービルA606プロジェクト」は、救出した7つのカプセルで「動く建築」と「メタボリズム建築」の実現を目指して、カプセルを50年後まで使いながら生かすことを考えて、準備をしています。
私たちは、2021年5月に退去に関する調停の中でカプセルA606の譲渡などが決まって、それと同時に「3つの保存」に取り組んできました。1つは、全館・全戸調査による「記録保存」。それから、オリジナル内装の取り外し・カプセルユニットの譲渡による「オリジナル保存」。そして使いながら保存していくための「シェア保存」です。
「記録保存」は、中銀カプセルタワービル全戸図録『カプセル1972−2022』としてまとめました。
私たちが調停で、最優先で希望したのは解体前の実測調査と写真撮影による「記録保存」です。2021年夏と2022年2月から4月にかけて多数の大学の先生や建築家の社会人有志と学生有志のみなさんにもご協力頂きました。いろいろと困難なことがありましたが、解体直前までになんとか調査を終わらせることができました。また、解体工事期間中には、解体前に入ることができなかった地下の一部の部屋(東電電気室や貯水槽)についても実測できました。
これらをまとめたのが、全400ページ・オールカラーで、写真も800点を超える中銀カプセルタワービル全戸図録『カプセル1972−2022』です。全館の調査を行い、地下から塔屋までの全館と全140カプセルについてまとめているのは、私たちのこの本だけです。
現時点で、この本はクラウドファンディングのリターンだけですが、海外の方もわざわざ日本のクラウドファンディングを通じて支援して入手してくださるような本になっています。何かしらの形でもう少し多くの方にご覧頂けるようにしたいです。
「オリジナル保存」では、アスベスト環境下でのオリジナル内装の取り外しが重要でした。竣工時は合法だったアスベスト(石綿)がカプセル内に使用されていましたが、いまは法律が厳しくなって有害なアスベストを除去してからしか建物は解体できません。
アスベスト除去工事の時に、50年前の家具やユニットバスといったオリジナルの内装が全て捨てられてしまうので、私たちは自らアスベスト関連資格を取得した上で、オリジナル内装も自ら救出しました。
「3つの保存」のうち「記録保存」と「カプセル保存」の2つの保存は、2022年9月末時点で完了しましたが、3つ目の「シェア保存」は、これからです。50年後までつなごうとしていますから、一生をかけて取り組んでいきます。
――それが「動く建築」と「メタボリズム建築」?
そうです。私たちは「建築は使ってこそ、生きていける」と考えているので、譲り受けたカプセルを、私たちを含めた多くの人々が「日常的」に使えるようにシェアしながら残していきます。
銀座にあったときからボイラーも壊れてお湯が出ないので、せっかくユニットバスがきれいに残っていてもお風呂に入ることはできませんでした。私たちは譲り受けたカプセルを、電気もトイレも使えて、きれいな水も出るしお湯でお風呂にも入れる、ここ10年くらい銀座で使っていたよりも快適な竣工当時の状態以上にします。
「シェア保存」の1つが、「動く建築」です。カプセルA606は車で引っ張って移動できるモバイルカプセル(車両化)にすることで、設計者の黒川紀章さんが掲げていた「建築の土地からの解放」を実現して多くの方々とシェアしながら保存していこうと考えています。カプセルを1個しか譲り受けないときに考えたことです。
そして、もう1つが「メタボリズム建築の実現」です。メタボリズムは生物学用語で「新陳代謝」を意味していますが、中銀カプセルタワービルは「メタボリズム建築」として世界的に知られてきました。
都市や社会に応じて建築が新陳代謝するように、中銀カプセルタワービルはカプセル交換できるといわれていましたが、銀座の地ではそれは叶いませんでした。A606のほかにも追加で救出することができたので、複数のカプセルがあるのであれば、メタボリズム建築を実現しようと考えるようになりました。
実は、解体工事中にカプセルの交換そのものが難しいつくりだったことも分かりました。今回の解体工事ではジャッキを使ってタワーからカプセルを離し、ボルトなども溶断して、ようやくタワーからカプセルを引き剥がすような状態でした。
将来的に、いずれかの土地で小規模なミニタワーを建設して、そこにカプセルを交換できるように再接続して「メタボリズム建築」を実現したいと考えています。さらに50年後の竣工から100年後の未来にもカプセルをつなぐことを目指しています。
――名建築を未来で生かす壮大な計画なのですね。
はい。クラウドファンディングもおこなって、多くのご支援もいただけていますが、この計画は簡単ではありません。カプセルを50年後まできちんと残すためには、時間をかけて 「メタボリズム建築」を実現する方法を考え、オリジナルパーツも把握して、交換可能な状態にしなければ、メンテナンスもできません。解体中に分かったこと、スケルトンになって分かったことなどをさらに本としてもまとめます。
今回、解体工事中にアスベストの除去工事は行われましたが、カプセルの外壁と躯体の間にアスベストが残留しています。アスベストが飛散しないように処理してあるため、日本国内での使用は現状は可能ですが、私たちは外壁を外して完全なスケルトンにした上で、あらためて除去作業を私たち自ら行う予定です。問題を未来に先延ばしにしたくありません。
このプロジェクトはお金を生み出すいわゆる「仕事」ではありませんが、貴重な建築を残す価値ある活動で、仕事と同じくらいエネルギーと時間をかけて取り組んでいます。これからも長い期間、取り組まなければいけませんので、みなさんから応援していただけたら嬉しいですね。
<詳細はこちら>
2021年5月30日〜7月28日まで支援を募集していた最初のクラウドファンディング
「解体迫る!中銀カプセルタワービル全戸調査記録+動くカプセルで保存へ」
2022年10月26日〜11月25日まで支援を募集していた2回目のクラウドファンディング
「中銀カプセル解体!救出した7カプセルで動く建築とメタボリズム実現へ」
――猫との住まいの困りごとを解決する仕事と、貴重な建築を未来に残す活動、なぜこの2つに取り組まれるようになったのでしょうか?
海外に住んでいた小学校高学年の時に何度か遺跡を見に行ったこともあって、考古学者や古代文明に憧れていた時期もありました。古い建築が好きなのは、そのあたりが関係しているかもしれません。
動物は幼稚園の時から大好きで、生き物係や飼育委員で動物のお世話をしていました。しばらく社宅住まいだったことや動物が苦手な家族がいたので、金魚やザリガニ、カタツムリやカブトムシなど飼えそうなものはいろいろと飼いましたが、犬や猫と暮らす機会はありませんでした。
動物好きということもあって、中学3年生までは獣医さんを目指していましたが、「獣医さんとして助けられない動物の命があるのは仕方ないけれど、私には飼い主さんの心をケアすることはできない」と考えるようになり、獣医さんを目指すのは諦めて、動物は単に好きなだけのほうが良さそうだと思うようになりました。
その頃、親が家を購入するタイミングで、住宅の間取りに興味を持ったことや手先がまあまあ器用で美術が得意だったこともあって、母から「東京芸術大学に建築科があるよ」と教えてもらいました。芸大の建築は面白そうだなと思って第一志望にして、理系の大学の建築学科も受験して。一浪しましたが第一志望は二次試験で落ちて、ご縁があったのが東京理科大学の建築学科でした。
美術系の予備校にも通っていたので、受験勉強で建築の画を描きにいろいろなところに行きました。浪人中の1996年の夏、予備校の友達に「ドウジュンカイの画を描きに行こう」と誘われて、東京・渋谷区にあった解体される前の年の同潤会代官山アパートに画を描きに行きました。
――同潤会アパートは大正・昭和に建設された関東大震災の復興住宅で、代官山アパートは、今は代官山アドレスになっている場所ですね。
はい。緑が生い茂る森のような場所で、すごく素敵なアパートでした。一緒に行った友達から「ここはもうすぐ解体されるんだよ」と聞いて驚きました。幸運なことに住んでいる方に建物の中を案内してもらって、そこで解体後に建つ代官山アドレスの大きな模型を見て「なんでこんな素敵な建物が、壊されるのだろう…」と。
このときの「なぜ?」という強い想いと、動物が大好きなこと。この2つが私の原点になっていて、現在の2つの活動につながっています。
その後、大学3年生の1999年の冬、現在は表参道ヒルズが建っている場所にあった同潤会青山アパートも解体される話を聞いて、「私も何かできないかな」と思って、保存団体に参加しました。
青山アパートは1926年と1927年の大正末期から昭和初期に建てられた古い建物で、当時は最先端の集合住宅でしたが、2000年頃は、暑さ寒さも厳しいし雨漏りもあって、お風呂も階段室の一番上の共有のものだけで、住人の方の中には「建て替えたい」と願っている人もいることを知って、「好きだから残してほしい」と気軽には言えないと考えるようになりました。そのため保存団体は早々に抜けたのですが、「このアパートのために何かしたい」という想いはずっと残っていました。
それからですね。「古い建物を残したいと思っているのに、自分が壊す側に回ったらダメだ」と考えて、「建てたがらない」ようになったのは。
――「建てたがらない建築士」になったのは、このときの経験があったから?
そうです。建物を壊すのは、たいてい新しい建物をつくるときなんですね。
建築学科なので建築を設計する授業があるのですが、学校の設計課題の架空の話ですら、もとの敷地に何かが建っていたら、それを壊して新しい建物を設計することができない。悩める建築学生になってしまいました……。
大学4年生では自分で敷地を選ぶことができる設計課題を選択して、ひたすら空き地や駐車場を探し回ったり、卒業設計も廃校予定の小学校を再利用する提案をしたり、実際の設計でなくても、何も壊さないように努めていました。
――「建てたがらない」は、そこまで徹底されていたんですね。
今では再生とかリノベーションも当たり前になりましたが、私が学生だった1990年代後半から2000年代前半にかけては、建築学科の卒業設計は都市規模の巨大な新築とかが流行っていたような時代で、実社会でもリノベーションも少し出てきたくらいでした。
何かを壊して新しい建築をつくることが当たり前の時代だったので、私はかなり異質な存在だったと思いますし、なかなか理解してもらえませんでした。参考にできる建築も海外のものばかりでした。
大学院の研究室では、ベトナム・ハノイの伝統地区の住まいを分析して、それを活かして実験住宅の新築を設計することに携わりました。結局、想定していた敷地ではなく、ハノイの大学の何もなかった敷地に新築されたので、今思えば、壊さずに済んでいましたし、大学院1年生で二級建築士は取得していたので、学生のときにすでに「建てたがらない建築士」になっていました。
――大学院を修了して設計事務所に就職されてからも、新しい建物はつくらなかったのですか?
修了した2003年は、ちょうど20年前ですが、建築設計といえば新築ですから、当然、新築の設計に携わりました。偶然ですが、地方都市の駐車場や空き地に何かをつくる仕事ばかりで、古い建物を壊さずに済みました。事務所は学ぶことが多かったのですが、扱っている建物の規模も大きくて、私のやりたいと考えているような再生とは違う仕事が多いことから、3年ほどで事務所はやめました。
そもそも建築士は「建てるために設計すること」がメインの仕事です。就職してからも「建てたがらない」傾向は続いていましたので、自分でもかなりの矛盾を感じていたんですね。
「建築士に向いてないんじゃないか?」と、学生の頃からずっと悩んでいましたが、大学院を修了する時に、恩師の故・小嶋一浩先生から「あなたは建築家になりなさい」と言われたり、同潤会アパートももともとは新築の最先端の集合住宅だったことから一級建築士も取得して、自分なりに建築に向き合っていこうと思いました。
――会社を辞めて、何をされていたのですか?
大学院2年生の時に始めた「同潤会記憶アパートメント」という展示イベントを社会人になってからも続けていました。これは「解体される同潤会青山アパートの中で、アパートの写真や映像を展示して、来場者の中に記憶のアパートをつくりたい」と2002年に始めたもので、事務所を辞めて2006年には青山アパート解体後に建った表参道ヒルズの中でも展示をしました。
「建てたがらない」ので設計事務所をする必要は無いかなと思って、社会人2年目で一級建築士は取得していたのですが自身の事務所はすぐに開設せずに、お世話になっていた先生の設計事務所で古民家の改修設計をしたり、デザインのお仕事をしつつ、入力作業やオンラインサイトの倉庫管理、飲食店、編集・ライター・写真などの派遣のお仕事や大学生の時にやっていた六本木のお花屋さんのアルバイトに復帰したりしていました。
あの同潤会代官山アパートに誘ってくれた友達である玉井夕海さんに頼まれて、2007年にウタウタイ・玉井さんと箏弾き・かりんさんの音楽ユニットPsalm(サーム)の全国ツアーのコーディネートをして一緒に全国をまわったり、そのときに作った旅のしおり「たびものがたり」がきっかけとなって、ラジオ・テレビの制作会社の社長さんから声をかけていただいてWEBデザインをしたり、企画や台本を書いたり、ゲストブッキングをする番組制作をした時期もありました。
――その頃は、建築士をやめようと考えていたのですか?
辞めることは、もちろん考えていなかったです。とあるラジオ局の方に「え!? 建築士なの? 建築の仕事をやめたの? もったいない!」と言われたこともありましたが、私としてはやめたつもりは全くなかったので、びっくりしたのと同時に、そういう風に見られるのだなと気付きました。国家資格である建築士は、資格を返上しなければ建築士であることは変わらないですし、たとえ建築の設計をしていなくても、「建築」と関わることはできると考えていました。
その時は、「建築の魅力を伝える側」に回ろうと考えていたんです。ある方に「あなたは建築の翻訳者だね」と言われたこともあります。音楽ユニットの全国ツアーでは、ツアーマネージメントをして建築的に面白い場所をライブ会場に選びました。
番組制作ではラジオ番組に建築家の方をゲストにブッキングしたこともありましたが、ビジュアル無しで言葉だけで建築の面白さを伝えるのは難しいと感じるようになりました。いまは、聞いている方に伝わる言葉でお話しされる建築家も増えましたが、当時はまだ少し難しいなと感じていました。
それで、建築の魅力を伝えるためには、私自身がもっと発信力を持たなくてはいけない。自分自身が建築の仕事をしていないと説得力もない。「もう一度ちゃんと建築に向き合おう」と決意して、2011年、ちょうど30歳を過ぎた頃、一級建築士事務所の登録をして、いわゆる建築の仕事を再開しました。
2011年が始まった頃は、箏弾き・かりんさんと太鼓・はせみきたさんのツアーのマネジメントをしていました。そのライブとライブの途中の日に、3月11日の東日本大震災が起きました。当時、東京の自宅にいましたが、古いマンションだったこともあって、震度5強でものすごく揺れて。同居人の背の高い本棚が倒れたり、食器が落ちて皿も割れたり、危うく大怪我をするところでした。
その後、被災地の様子を見て、「建築士も設計で線を引くだけではなく、自分で少しでも家を直せるようにならなくてはいけない」と思ってDIYに取り組むようになりました。セルフリノベーションの魅力を発信するマンションリノベの「つくるーむ」や女性ひとりで取り組む「リノベ女子」という活動もしていました。
古い建物の活用方法を探る「Re1920記憶」という展示イベントも始めて、全国のリノベーション建築や古い建物でうまく活かされているところを旅するように展示をして、「建てたがらない建築士」としての活動範囲を広げていきました。
そして2013年には中銀カプセルタワービルに住み始め、2匹の子猫たちに出会って、「猫と住まい」に関する仕事に取り組むようになり、やがてこのビルの保存・活用の活動もするようになりました。
ですから「猫との住まいの専門家」も「中銀カプセルタワーA606プロジェクト」も、私の中では「建てたがらない」ということで、どちらもつながっているんですよね。
――「建てたがらない」ということで、つながっているというのは?
「猫との住まい」の仕事は、現状の住まいの問題解決をおこなっていますから、改装をメインとした猫向け住宅の設計やリフォーム、DIYのアドバイスなどをすることが多いです。「ねこのいえ不動産」も、現在流通している建物の活用につながっています。
「中銀カプセルタワービル」は、救出したカプセルを使って、モバイルカプセルにして使い続けたり、銀座ではできなかったメタボリズム建築を実現しようとしたりしています。銀座でも何か新しい建物を建てるために、中銀カプセルタワービルは解体されました。本来は数百年残るはずだったタワー(シャフト)のほうが壊されて、カプセルが残ったのですが、再度つくるミニタワーと救出したカプセルを再び接続することによって、50年後の未来に小さいながらも「中銀カプセルタワービル」の実物を残し、伝えることができます。
どれも「建てたがらない建築士」としての活動です。「本業は何ですか?」とよく聞かれるのですが、私にとってはすべて本業で、全部つながっています。
――「猫との住まい」も「中銀カプセルタワービル」の活動も、どちらも非常に大変だと思います。どうしてそこまでの熱量で、いろいろなことに打ち込めるのでしょうか?
家族のように思っているからかもしれません。猫さんたちはもちろん、中銀カプセルタワービルに関しても、もう10年くらい関わっていますので、ここ数年は「家族のような存在だから、解体される様子を看取ろう」と考えるようになっていました。その後、一部でも救える手段が出てきたので、救えるものなら救ってあげたい。生きる手段があるのなら、生かしてあげたい、そう思ったんです。
カプセルに関する活動は、保護猫活動に近いと思っています。自分たちでやるしかない状況から、建築に対しても、猫に対しても行動してきています。想いは一緒ですね。
獣医さんは獣医療の専門家ですが、往診や行動治療の獣医さんをのぞいて、患者さんの家に行く獣医さんはいません。人間なら身体の相談はお医者さんにしますが、住まいの相談はしませんよね。
「猫との住まい」に関しては、住まいのプロが猫のことをよく学んで、取り組むべきだと考えています。猫にも人にも快適で安全な住まいを増やすためには、私だけでは手が足りませんから、住まいのプロ向けの資格認定講座「猫との住まいアドバイザー」の講師を引き受けて、建築士や不動産屋さん、工務店さんやインテリアデザイナーの方など、住まいに関わるプロのみなさんに講座を通じて「猫との住まい」を学んで頂き、実践してもらっています。
著書の『猫と住まいの解剖図鑑』もそうですし、企業監修による商品などを通じて、「猫との住まい」の考え方について広く伝えることもできます。
――何かをしたい、しなくてはいけないと思っても、いしまるさんのように行動できる人は少ないと思います。「やる気」をもって行動するためのアドバイスをいただけますか?
私は「行動できない」という状態がほとんどないので参考にならないかもしれません。いろいろな事情はあると思いますが、「行動しない」ということは、その方にとってそこまでやりたいことではないのではと思います。
人から何か言われたりしなくても、「やろう」とか「やらなきゃ」と思うことに出会えたらいいですよね。
一点集中で何かを深める方もいますが、最初からそれが分かっている人はなかなかいないと思います。私の場合は、最初は広く浅くいろいろと興味を持ったり取り組んでみたり、得意なものや興味があることを少しずつ深めていって、30代後半からは「これは自分がやらなければいけない」と思ったことにさらに深く取り組んでいます。猫との住まいと中銀カプセルの2つが、まさにそれです。
もしかするとヒントになることとして、私が学生のときから意識していたのは、普段とはまったく違う環境にあえて身を置いてみることです。何かしら得るものが多いですし、後になって様々な経験が役立ったり、つながったりします。何かに出会うためには、たくさんのことに出会わないと、見つからないかなと思います。
それは仕事に限る必要はなくて、学生のうちなら学校の人や同じ学科の人があまりしなさそうな部活に入ってみたり、ボランティアでもアルバイトでも、普段は見ないようなジャンルの映画やアニメを見てみるでも何でもよくて、短期間でも価値があると思います。普段は出会わないような人に会える場や経験できる機会や場に身を置くことです。
非常に手軽な方法ですし、そういう経験を通じて普段の自分を見つめ直すことになると思うので、そういうところから「やろう」とか「やらなきゃ」と思うことに出会えるかもしれないですよね。
私もいわゆる建築とは関係ないようなことをたくさんやってきましたが、それによって改めて建築と向き合うことができましたし、「建てたがらない建築士」の活動の幅も広がりました。
――ご自身の強みは、どんなところだと思いますか?
「建てたがらない」こと、かもしれないですね。私は建築士ですが、「こういうものを建てたい」みたいな強い欲求があまりなくて。「前提として現状は問題が多くあって、より良くしたい」という考え方をするので、一からつくるよりも、今あるものを改善することのほうが向いていると思っています。理想と現実のバランスをみています。
猫との住まいの現状の困りごとを解決するのも、解体されてしまう古い建物を救出するのも、「建てたがない建築士」だからこそできることだと思っています。
――建築士なのに、建てたがらない。以前は悩みだったことが、今は逆に強みになっているのですね。それでは最後に、今後の夢や目標は?
中銀カプセルタワービルに関しては、先ほどお話したように、救出した7つのカプセルを使えるようにして、未来につなげることですね。建築は人が使わないと死んでしまうので、50年後まで使い続けられるようにしたいです。
ただ、50年後だと私は95歳くらいです。長生きしなければいけませんし、引き継いでくれる人も探さなくてはいけません。自分と同じくらいの熱量で取り組める人はなかなかいないと思いますので、数十年かけて、そういう人に出会えたら嬉しいなと思っています。
猫との住まいについては、保護猫たちのためのスペースの改善を進めていますが、保護猫が住んでいる場所についてもたくさん携われたらいいなと思っています。
あと、猫賃貸をもっと増やしていきたいですね。猫可物件はそもそも少ないので、もっと増やして、猫との住まいにも理解を得られて、「ねこのいえ不動産」が不要になるくらい、猫との住まいが当たり前の状況にできたらいいなと思っています。
それから、私も将来、高齢でひとり暮らしになったときでも、猫さんと暮らせたらいいなと思っているのですが、面倒を見られなくなる状況も起き得ます。そういう人でも猫さんと一緒に暮らせる仕組みや、行き場を無くした老猫が生きていける仕組みもできたらいいなと思っています。
――いしまるさんの行動力を少しでも見習いと思います。本日は貴重なお話をたくさん聞かせていただき、ありがとうございました!
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いしまるあきこ→『猫と住まいの解剖図鑑』著者
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。