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【土偶女子・譽田亜紀子さん】土偶と出会って世界が変わった。人生はいつでもスタートできる!

2022.09.22

譽田亜紀子さん タイトル画像

縄文時代に作られた謎の焼物「土偶」。ゆるキャラの元祖といえるほどユニークな表情や凝ったデザインが注目を集め、近年土偶ブームが起こっています。譽田亜紀子さんは、さまざまな著作やメディア活動で、その魅力を伝えている土偶の伝道師。「土偶と出会って人生が変わった」という土偶女子の代表に、これまでの歩みについて伺いました。

 


 

譽田亜紀子(こんだ・あきこ)

岐阜県生まれ。京都女子大学卒業。広告代理店、会計事務所、通信販売会社などを経て、文筆家として活動中。奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡の土偶との出会いをきっかけに、各地の博物館、遺跡を訪ね歩き、土偶、そして縄文時代の研究を重ねている。著書に『はじめての土偶』(2014年)、『にっぽん全国 土偶手帖』(2015年、ともに世界文化社)、『ときめく縄文図鑑』(2016年、山と渓谷社)、『土偶界へようこそ 縄文の美の宇宙』(2017年、山川出版社)など。テレビやラジオ、講演、企業セミナー等でも活躍。

Instagram:akiko_konda

     

  

こんなに面白いものを知らないなんて損してる。この想いを伝えたい


    

――いきなり個人的な話で恐縮ですが、先日たまたま信州の茅野市尖石考古館に行って、「縄文のビーナス」や「仮面の女神」を見て土偶にハマりまして。土偶って面白いですね。

    

そうなんですよ、土偶、面白いですよね!

     

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『にっぽん全国 土偶手帖』著:譽田亜紀子 監修:武藤康弘(世界文化社/2015年)国宝「中空土偶」や「縄文のビーナス」、「遮光器土偶」など、土偶界のスーパースターが大集合。

    

――譽田さんの本も、とても面白かったです。わかりやすくて、楽しくて、土偶につけているニックネームも最高でした。「唇セクシー」とか「おしゃれ番長」とか、「ウルトラの母でございます」「おっほっほ」とか(笑)

     

ありがとうございます(笑)。見たまま感じたままを恐れず言葉にしているだけで、狙いとかも何もなくて、感覚のままなんですよ。楽しめてもらえたなら良かったです。

      

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『新版 土偶手帖 おもしろ土偶と縄文世界遺産』著:譽田亜紀子 監修:武藤康弘(世界文化社/2021年) “唇セクシー”「合掌土偶」や“おしゃれ番長”「中空土偶・茅空」など、全国のご当地土偶厳選50体を紹介。

      

――考古学の本は難しい印象がありますが、『土偶手帖』や『はじめての土偶』など、譽田さんの本は見るだけでも楽しくて、土偶についての興味が広がりますね。

    

文字の読めない、小さい子どもたちが見ても面白い本にしたかったんですよね。土偶は見るだけでも伝わるものがあるので、子どもたちの興味の扉を開けたらいいなって。

     

ただ、研究者からはよく怒られます(笑)。私はもともと考古学の研究者でも専門家でもなかったので、アカデミックなものをそうでないものにするのはいかがなものかって。

     

でも研究者の書いた土偶の本って、普通の人が読んだらまったくわからないと思うんですよ。たとえば点々の模様は、考古学では「刺突文」って専門用語になるんですけど、普通の人にしてみたら「シトツモンて?」「点でいいやん」ってなるじゃないですか(笑)。

     

私は「考古学とは人を知ること」だと思っているので、一般の人がわかる言葉で土偶の魅力や縄文時代の人がどう生きていたのか、暮らしていたのかを伝えていきたいんですよね。

    

――譽田さんは土偶女子の代表として活躍されていますが、そもそもなぜ考古学の研究者でも専門家でもなかったのに、土偶の本を書くようになったのですか?

    

先ほど「たまたま土偶を見たらハマった」とおっしゃっていましたよね。私も同じです。
たまたま仕事先で土偶と出会ったことが、そもそものきっかけなんです。

    

それは私が「私の恩人」「運命の人」と呼んでいる奈良県橿原市の観音寺本馬遺跡から見つかった土偶なのですが、たぶんその土偶を見たときに何かを掴まれたんですよね。

    

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『奈良で「デザイン」を考えてみました。』奈良1300デザイン研究会篇 エニアックインターナショナル(エニアックインターナショナ/2010年)の取材で、“運命の人”となる観音寺本馬遺跡の土偶に出会う。

   

私もそれまで考古学にも日本史にも全然興味なかったですし、土偶もいちばん有名な「遮光器土偶」しか知りませんでしたが、その土偶と出会って「なんだこれ?」「面白い!」と造形のユニークさや不可思議さ、かわいらしさに夢中になって。

   

さらにネットでいろいろ調べたら、「ハート形土偶」とか「合掌土偶」とか、いろいろな土偶が出てきて。それから各地のいろんな土偶の実物を見に行くようになって。

   

で、思ったんですよね。同じ日本列島に住んでいた人たちがこんなに面白いものを作っていたのに、それを知らないなんて人生を損している。「こんなに面白いものがあるんだぜ!」ってことをみんなに伝えたい、共有したい、じゃあ本にしてみよう、と。

   

ただ当時、私はライターのアシスタントみたいな仕事をしていたのですが、本を書いたこともなければ、研究者でも専門家でもなかったので、結局5年もかかってしまって。土偶に出会ったのが33歳のときで、本を出したときは38歳でした(笑)。

     
     
     

20代は転職を繰り返し、「私には存在価値がない」と泣いていた


   

――譽田さんのプロフィールには「広告代理店、会計事務所、通信販売会社などを経て、現在は文筆家」とあります。もともと文筆家を目指していたんですか?  

     

実はそういうわけではなくて、単に仕事が続かなくて、職を転々としていたんです(笑)。どの仕事をしても「これ、私じゃなくてもいいよね」「私がいなくても成立するよね」とか思ってしまって。要は、自分の存在を認めてほしかったんですよね。

     

認めてほしかったら、それなりの力が必要だし、それがないから認めてもらえないのに、まだ若かったから、それがわからなくて…。

     

それで転職を繰り返してしまったのですが、実は私の中では一貫していて。自分が存在することで人の役に立ちたいと思っていて、たぶんその思いが強すぎたんでしょうね。「誰も私も認めてくれない」ってひとりでずっと泣いているような、そんな20代でした。

          

――その頃は、自分がやりたいことがわからなかった?

     

そうですね。自分を認めてもらいたい思いばかりが強くて、「今の私には存在価値なんてない」「自分がやりたいことは何だろう」と常に考えながら、悶々と暮らしていて。30歳で結婚して専業主婦になっても、その思いはずっと続いていました。

     

そんなときに、通販会社にいたときのお客さんから「私、こんちゃんの記事、すごい好きだったよ。書くことしてみれば」と言われて「あ、そうか」って。私、通販会社には3年いたんですけど、その会社が出している情報誌の記事を書いていたんですよ。

     

で、ふと思い出したのが、小学生のときの夢だったんです。小学5年生のときに「学校の先生か新聞記者になって、次の世代に伝えることがしたい」って。

     

まだ小学生ですから「自分が次の世代だろう」って話なんですけど(笑)、子どもの頃から何かを伝えたいって思いがずっとあって、書くこともすごい好きだったんですよ。

     

それでもう30歳を過ぎていましたけど、ネットで見つけたライターのアシスタントという仕事を始めて、その仕事でたまたま土偶に出会ったんです。

     

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『土偶界へようこそ――縄文の美の宇宙』譽田亜紀子(山川出版社/2017年)中日新聞・東京新聞の連載コラムを新編集。さまざま角度から撮影したカラー写真と美しいデザインで、70体におよぶ土偶の魅力を紹介。

     
     
     

土偶と出会って5年。本を出したら世界が変わった


    

――考古学の研究者や専門家でもなく、ライターのアシスタントという立場では、本を出すのは相当大変だったんじゃないでしょうか?

    

大変でした。出版社にコネもツテもなかったので、企画を持ち込んでは「土偶の本なんて売れるわけないじゃん」「そんな企画、自費出版か電子書籍だよね」と断られ続けて。

    

ただそれと並行して、ものを書く勉強もしようと思って、京都造形芸術大学(現在は京都芸術大学)の通信教育にライティングコースがあったので入学してみたんですよ。

    

その一般教養に縄文時代の講座があって、すごい面白い先生がいて。いきなり私が「実は土偶の本を作りたいと思っているのですが、考古学を何も知らないから、教えてもらえせんか」とお願いしたら、「じゃあ僕の研究室に来ますか」と言ってくださって。

    

それが私の本の監修をずっとしてくださっている、奈良女子大学教授の武藤康弘先生だったんです。本当にいい先生で、どこの馬の骨かもわからないような私に「こういう本があるよ」とか「こういう人がいるよ」と親切に教えてくださって。

    

しかも「基礎だけはとにかく勉強しなさい」「基礎だけ勉強して、あとはできるだけ高く跳びなさい。もし間違っていたら僕がフォローするから」「譽田さんはアカデミックな世界の人間ではないのだから、社会に還元することだけを考えて、できるだけ面白く、一般の人と同じ目線で書きなさい」と言ってくださったんです。

    

――ああ、それで専門知識がなくても楽しく読める本にしようと。

   

はい。それが1冊目の『はじめての土偶』でした。5年間勉強を続けてようやく出版社が決まっても「譽田さんは名前がないので、武藤先生の名前で出します」と言われてしまいましたが、それを先生に伝えたら「あなたは5年も苦労して頑張ってきたんじゃないか。それを僕の名前で出すのなら、僕は降りるって言いなさい」と言ってくださって。

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『はじめての土偶』著:譽田亜紀子 監修:武藤康弘(世界文化社/2014年)譽田さんにとって初めての著書。ドッキリな人たち、5人の女神たちなど、70体の土偶を楽しく紹介。表紙モデルは“八等身美人”こと「縄文の女神」。

     

「土偶女子」というのは、私には何の実績もなかったのでPR担当の人が考えてくれた呼び方なんですけど、それによって、土偶が好きだけど誰にも言えなかった人たちが「土偶が好き」って言いやすくなったみたいで。

     

インスタを見たら、私なんてまったく無名なのに「#譽田亜紀子」とか「#はじめての土偶」ってタグ付けが始まっていてびっくりしました。子どもがお母さんに誕生日プレゼントであげていたり、逆におばあちゃんがお孫さんにあげていたり、そういう様子も見えてきて、「土偶を好きなのは私だけじゃなかったんだ!」って感激しました。

    

――5年はかなり長い時間ですが、あきらめそうになりませんでした?

      

何度もあきらめそうになりました。「もうダメかな」「本を出すなんて無理なのかな」と思っても、新しい土偶に出会うと「うわあ、これはやっぱりみんなに伝えたい!」って新たな力をもらって気持ちを取り戻して…の繰り返しでした。だから土偶の力ですよね。あきらめなかった理由は、それに尽きると思います。

      

――そこまで惹かれる土偶の魅力とは、どんなところなのでしょう?

     

私はちゃんとしていない土偶が好きなんですよ。遮光器土偶のように、あまりにも精巧な土偶もあるので、職人のような専門家集団がいたんじゃないかと考える研究者もいますが、仮にそうだとしても、私が土偶好きになったきっかけは、子どもが作ったような、ゆるゆるの土偶だったので、そこからこぼれ落ちるような土偶に魅力を感じるんです。

     

人の目を気にしていないところが好きというか。たぶん人の目を気にしていたら、そんなものは作らないと思うんですよ。もっと見栄えをよくしようとか、カッコよく作ろうとか、いわゆる作為のようなものが見えてくるはずなんですけど、そういうものがまったく見えない土偶もたくさんある。頑張って作ってそれだった、みたいな。

     

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仕事机にも「私の恩人」「運命の人」と呼ぶ観音寺本馬遺跡の土偶の姿が(画像提供:譽田亜紀子)

           

土偶には諸説ありますが、基本的には祈りの道具だと言われていて、それがどんな理由であれ、何かを祈るための道具って力があると思うんです。子どもが母ちゃんのために作ったような土偶もありますけど、それはそれで縄文人の生きている感じが伝わってくる。

    

土偶が祈りの道具だったとするならば、人の祈りや想いというのは、それが本当に込められているのなら、形はどうでもいい、という気がするんです。それでもその集落にとってはすごく大事なものだったというところに、私は土偶の本当の意味を感じるんですよね。

    

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日本全国の土偶の発掘現場も訪れる。写真は長野県長和町の発掘現場(画像提供:譽田亜紀子)

     

私自身は土偶を「縄文人が思う超自然的な存在の具現化」と考えているのですが、それが何であれ、彼らが何かイメージしたものを「こんなの作ったら恥ずかしいな」とか「何か言われるかな」とか、そんなことは考えずに作っている作為のなさがいいなと思うし、そういう縄文人のDNAを持っていることが、私は勇気や希望になると思っています。

     

人って本来そういうことができるはずなのに、いろんなフィルターや思考が重なりすぎちゃって、他人の目を気にしすぎてしまっている。そうなってしまっていることが現代人のツラいところだし、逆にそれをとっぱらうことができれば、縄文人のように自由で開放的な発想で、面白いものがつくれると思うんです。それが勇気や希望になるなって。

     

私は人間がいちばん人間らしく生きていた時代が縄文時代じゃないかと考えている人間なので、そういう人たちに近づくためのスイッチが土偶なんです。土偶に惹かれるのは、縄文人に近づきたいからだと思います。

     
     
     

人生をあきらめなくて良かった。自分を信じられる人は強くなれる


   

――土偶と出会って良かったこと、変わったのは、どんなことでしょうか?

 

やっぱり、好きなもの、夢中になれるものに出会えたこと。それはとても幸せなことだと思います。転職の数を見てもらえばわかるように、私は本当に仕事が続かなかったんですよ。続かなかったのは、仕事内容がどうこうというより、自分の生き方にフィットしない仕事を選んでいたからだと思います。

 

だからもうひとつは、自分でも天職だと思える、ものを書く仕事に出会えたこと。なおかつ土偶や先史時代に興味を持てて、それに対してずっと書き続けられるエネルギーをもらえたこと。土偶と出会って、本当に人生が変わりました。

    

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全国各地で土偶や縄文時代に関する講演やトークイベントに出演。写真は、福島で開催されたトークイベント「譽田亜紀子×山岡信貴・縄文土偶の魅力を語る」の様子。(画像提供:譽田亜紀子)

    

いろんな仕事に就いて紆余曲折しましたけど、実は回り回って「次の世代に伝えることがしたい」という小学校のときの夢が実現できました。だから好きなものに出会うのは、子どもの頃でも、大人になってからでも、どんなタイミングでもいいのかなって。

    

そもそも私が本を出したのって40前だったので、ほぼほぼ40歳からのスタートなんですよね、人生はいつでもスタートできる。それはすごいことだなって思います。

    

――以前の譽田さんのように「就職したけど何か違う」「私がやりたいことは何だろう」と悩んでいる人は多いと思います。何かアドバイスをいただけませんか?

    

私の場合は、「ただ、あきらめなかった」ってことだと思うんです、自分の人生に対して。37、38になっても「私はこれから何にでもなれる」と思っていましたから(笑)。

    

本当に世間知らずだったんだと思いますが、社会に合わせなかったのが良かったのかなって。私は「人生は自分のものだ」という意識がすごく強かったんですけど、自分の人生のハンドルを握れていない人って多いと思うんですよね。

    

そのハンドルを握る勇気が持てるかどうか。何歳になっても「人生はいつでもスタートできる」と思えると、ちょっと強くなれるかもしれません。

    

20代の頃、私が泣いて暮らしていたり、ちょっと病んでいたのは、今振り返ってみれば、他人のせいにしていたんだと思います。「自分がこんなに求められないのは、社会状況のせいだ」とか、常にベクトルが外に向かっていて、誰かのせいにしたかった。

    

でも年齢を重ね、たまたま土偶と出会ったことで、走り出すことができた。走っているうちに、自分を信じられるようになった。そういう強さって、実はみんな持っているんじゃないかなって気がします。

    

私もお金のことだけを考えたら、会社員を続けていたほうが良かったと思うんですけど、違う価値観を持つことができた。それも大事なポイントかもしれません。

    

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テレビや雑誌の取材、イベント出演、発掘現場など、土偶女子として全国各地を旅する(画像提供:譽田亜紀子)

    

今って、いろんな価値観があるじゃないですか。いろんな生き方があるし、いろんな暮らし方がある。その中で何をいちばん大事にしたいか。あとは自分を信じられるかどうか。自分を信じられる人は強くなれると思います。

     

――今後の夢や目標は、どんなことですか?

    

細く長く書き続けたいです。子どもの頃「伝える仕事をしたい」と思っていたってことは、今の仕事は天職のはず。だからずっと書き続けられるように頑張りたい。それだけです。

    

土偶を通じて「人間って何だろう」と興味がどんどん広がってきたので、次はマヤ文明について書こうと思っています。興味が広がったら躊躇せず、今後も進んでいきたいですね。

     

――今後のご活躍も楽しみにしています。ありがとうございました!

    

       



  

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この記事を編集した人

タニタ・シュンタロウ

求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。

 
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