仕事・働き方

【デザイナー大家・戸田江美さん】24歳のデザイナー、下町マンションの大家になる。祖母の家業×クリエイティブの化学反応で生まれた新しい「住まい」のあり方

2023.07.14

戸田江美さん タイトル画像

都電が走る東京都荒川区の下町・東尾久(おぐ)。昭和の雰囲気が残るこの街に、ユニークな個性で注目を集めている2つのマンションがあります。1つは、“おっちゃん物件”と呼ばれるトダビューハイツ。もう1つは、屋上菜園があるロジハイツ。戸田江美さんは、デザイナーとして活躍しながら、この2つの物件の大家さんをしています。おばあちゃんから受け継いだ家業をクリエイティブに楽しみ、地元を盛り上げるさまざまな取り組みにする戸田さんに、大家という職業の魅力や多彩な活動に込めた想いについて伺いました。

 


 

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戸田江美(とだ・えみ)

生まれも育ちも東京都荒川区。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒業。面白法人カヤック退職後、フリーランスのWebデザイナー・イラストレーターとして活動。24歳で空室が増えた1978年築「トダビューハイツ」の大家業を祖母から受け継ぐ。2019年からは空き地の段階からコミュニティをつくる新築賃貸「想像建築」プロジェクトをスタート。2022年、31歳で同地に賃貸マンション「ロジハイツ」を新築。デザイナーと大家業を掛け合わせた「デザイナー大家」として注目を集め、住宅メディアなどで執筆活動も行う。

Twitter:戸田江美 / デザイナー大家
Lit.Link:戸田江美 デザイナー大家@荒川区
トダビューハイツHP:https://todaviewheights.com
ロジハイツHP:https://souzou-kenchiku.com

     

  

部屋だけじゃなく、街全体も好きになってほしい


    

――戸田さんは、2つのマンションの大家さんとして、住人の方々と街歩きをしたり、落語会をしたり、屋上に菜園をつくって地域の憩いの場にしたりしていますよね。とても楽しそうで住みたくなります(笑)。

    

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2軒目の賃貸マンション「ロジハイツ」の屋上シェア菜園(写真:本人提供)

    

嬉しいです。私は祖母から引き継いだ築40年以上の「トダビューハイツ」と2022年に新しく建てた「ロジハイツ」という2軒の賃貸マンションを運営しているのですが、どちらも荒川区の下町にあって、街全体の雰囲気が昭和っぽいんですよ(笑)。

    

なので、入居者さんには部屋だけじゃなく、街全体も好きになってもらえたらなと思って、ご近所を一緒に回ったり、おすすめスポットを紹介したりしています。

    

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自身でつくった「トダビューハイツ」のご近所マップ(HPより)

    

落語は、私が柳家喬太郎師匠の大ファンで、Twitterに落語が好きだと書いていたら、落語家さんが入居してくれまして。「戸田さん落語好きなんだよね」といって、落語会をやってくれました。

    

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落語会の前には知人の三味線による出囃子も(写真:本人提供)

    

屋上菜園は、「ロジハイツ」を建てるときに、ご近所友達が増える場所があったらいいなと思って、野菜づくりに熱中しても、人と喋っても、どっちでもいい空間になるかなと思ってつくりました。

    

――大家業を始める前は、IT企業で働いていたそうですね。

     

面白法人カヤックという会社で、デザイナーをしていて、アプリやゲームのUIデザインをつくったりしていました。大家業を継いだ今もWEBデザインの仕事はフリーランスで続けているので、デザイナーと大家を掛け合わせて「デザイナー大家」と名乗っています(笑)。

   

――仕事や生活は、どんなかんじなのでしょうか?

    

WEBデザインは、お客様からご依頼いただいた会社のサイトとかショッピングサイトを作ったりしていて、わりと毎日、地道にデザインして、コーディングしてっていうかんじですね。

    

大家業のほうも、入退去の書類をつくったり、収支計画を立てて金銭面の管理をしたり、SNSで住人さん集めをしたり、住人さんやご近所さんたちと一緒にイベントを企画したりと、日々やることがあります。

      

うちのマンションは管理会社を入れていないので、私のLINEに住人さんから「すいません、水道が出なくて」と直接メッセージが来て「今から行きます!」といって駆けつけて修繕したりもしています。

      

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屋上菜園「ロジガーデン」のロゴも自らデザイン(写真:本人提供)

      

――大家さんのお仕事は、もともと引き継ごうと考えていたのですか?

    

いえ、それは全然考えていませんでした。大学生のときに初めて祖母から「大家業を継ぐ気はあるかい?」と聞かれたのですが、そのときは「やりたくない」と答えたんですね。

     

当時の私は、美大に通っていて、おしゃれな街にある、かっこいいデザイン会社に勤めたかったので、祖母が大家業をしていたトダビューハイツは1978年に建てられた古いマンションでしたし、古民家みたいな味があるわけでもなかったので、単純に「ダサい」と思ってしまって(笑)。

     

会社に入ってからも、大家業のことはいっさい考えていなくて、将来はデザイナーとしてキャリアを積んでいくつもりでした。

     

――それがどうして、24歳という若さで大家業を継ぐことに?

     

会社に入った翌年、祖母の体調が悪くなってしまいまして。大学生の頃に母が亡くなって、私は会社の近くで一人暮らしをしていたので、実家には祖母が1人で残っていました。

     

おばあちゃんを助けたい。それが何より大事だと思ったので会社を辞めて、実家に戻って、「おばあちゃんの近くで過ごせる働き方はないかな」と考えました。それが最初のきっかけでしたね。

     
     
     

足元にある宝を見つけ、「築40年のおっちゃん物件」と命名


   

――おばあちゃんを助けるために会社を辞めて、大家業を継ごうと決意された?

     

最初は、そこまで考えていませんでした。祖母の体調が悪くなったのは、いろんな原因があるんですけど、ひとつは大家業をしているトダビューハイツに家賃を踏み倒す人が入ってしまって、それで祖母の気が滅入ってしまったんです。

     

なので「不動産業で何か手伝えることはないかな」と、ぼんやり考えてはいたんですけど、その頃はデザイナーとして転職するか、フリーランスでやっていくかの2択でした。

     

ちょうどそんなときに、青木純さんという大家さんにお会いする機会があって。その方は、入居者さんが壁紙を自由に選んだりできる「カスタマイズ賃貸」の第一人者と呼ばれていて、いろんなアイデアや発想で、大家業をすごくクリエイティブにやられている方だったんです。

     

――築25年の賃貸マンションに120人の入居者待ちの行列を生んだ有名な大家さんだそうですね。

     

はい。私が想像していたような、いわゆる一般的な「大家さん像」とかけ離れた方だったので、道が開けたというか、規制概念が取っ払われた気がしました。その方は物件サイトもオリジナルでつくられていて、入居者さんと一緒に部屋づくりもされていたので、デザインという部分にも共通点を感じました。

     

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トダビューハイツの一室。ブルーの壁がアクセント。DIYも可能(写真:本人提供)

  

それで思ったんです。私のデザインの仕事と大家業を掛け合わせれば、物件のトータルブランディングみたいなこともできるかしれない。実家が不動産賃貸業なのだから、自分の仕事をもっと極める意味でも、家業を強みに入れていったほうが、人生を長い目で見たときにいいかもしれないって。

     

帰宅後すぐに「大家業をやってみたい」と伝えたら、祖母はすごく喜んでくれて、体調も良くなりました。

          

――良かったですね。実際に大家業を始めてみて、いかがでした?

          

大家業を継いだ時点で3つの空室があったので、「まずは満室にしなきゃいけない」と思って、とりあえずWEBサイトをつくって「レトロ可愛い物件」としてアピールしました。WEBメディアさんでも取り上げてもらって、若い女性の大家は珍しいので「大家女子」と呼ばれて、ちょっとだけ注目されたりもしました。

          

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ふすま貼りも習いに。不動産メディアで「大家女子の日記」も連載(写真:本人提供)

          

だけど、ネットには出るけど、人は来ない…というかんじで、空室が全然埋まらなくて。12部屋のうち、3部屋が1年以上空いていて、それまで1年以上空室になることがなかったらしいので、この状態が続いていくと、絶対負債になる。「大口叩いたくせに」と思って、すごく焦りました。

          

そんなときに、長く住んでいる住人さんとお話していたら「トダビューハイツの良いところは、レトロとか可愛いとか、そういうことじゃないと思うよ」と。部屋を見に来た今の夫からも「WEBサイトと全然違うじゃん」。取材に来てくださった編集者さんからも「戸田さんが思っている良さとは、ちょっと違う」。別の編集者の方からも「トダビューハイツは『神田川』の世界だよね」と言われまして(笑)。

 

それでようやく「これは全然違うかも…」と気づいて、ブランディングを考え直しました。

     

――それがきっかけで、トダビューハイツを「おっちゃん物件」と呼ぶように?

     

はい(笑)。古いマンションを無理やり「レトロ可愛い」とアピールするのではなく、ありのままの姿を擬人化して「築40年のおっちゃん物件」と呼んでしまおうと。実際いろんな方にご指摘いただいて、改めてトダビューハイツを見直してみたら、昔の物件ならではの良さがたくさん見つかったんですよ。

     

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トダビューハイツを擬人化したユニークな物件紹介(HPより)

     

古いからこそのガッシリ感みたいな、昔のRCマンションによくある頑丈さとか、もう国内では生産されていない昭和型板ガラスを使った扉。お風呂も今の規格が決まっているユニットバスではなく、オリジナルのお風呂サイズになっていたり、出窓も深くなっている。タイルも1個1個、職人さんが手貼りしている。改めて見つめ直してみたら、今、新築で建てようと思っても建てられない価値があるなと。

     

そうして物件と向き合ううちに、なんだか荒川区にたくさんいる、肉屋さん、八百屋さん、町工場、何の仕事をしているかわからないおじちゃんたちと、トダビューハイツが重なって見えてきたんですね。

     

それで物件サイトをリニューアルして「築40年のおっちゃん物件」と名付け、部屋のスペックも「筋肉質の中背 (鉄筋コンクリートの4階建12部屋) 」「不器用ですから (エレベーターなし)」とか擬人化した説明に変えたら、次第に入居者さんが増えてきて、満室にすることができました。

     

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トダビューハイツの一室。すべての部屋で広さや使用木材が異なる(写真:本人提供)

     

――改めて棚卸ししてみたら、本当の価値や強みに気づいた。仕事や人生にも通じるお話ですね。

     

そうですね。私は、梅原真さんという、第一次産業とデザインを掛け合わせて新しい価値をつくられているデザイナーの方が好きで。高知のカツオの一本釣りとか柚子とか、地方の埋もれた宝を見つけてヒット商品にされている方で、「宝は、すぐ足元にある」といつも仰っているんです。その言葉がすごい好きだったのに、私は足元を無視していた時期が長かったんだなぁと気づきましたね。

     

ブランディングを見直してからは、ラブレターのような内容の入居申し込みのメールをいただけるようになりました。「絶対ここに入りたい」という気持ちを文章にしてくださる人や、街ごと愛してくれそうな人が来てくれようになって、私も入居者さんたちと交流することが楽しくなってきました。

     

最初の入居者さんは、福島でコミュニティ支援をやっていた方。被災地で関係性が分断されていくのが心に残っていたそうで、仕事の関係で東京に来ることになったときに「一般の不動産サイトで物件を探すと、人の顔が見えないけど、トダビューハイツは人の顔が見える」と言って入ってくれたんです。

     

不動産は、お金の資産と言われがちだけど、違う。仲間とか好奇心とか、繋がりが生まれる資産なんだーー。そんな風に考えるようになって、そこから大家業を本当に面白いと思うようになりました。入居さんたちからいただいたメールは、今でも思い出すくらい本当に嬉しくて、涙が出そうになりました。

     
     
     

未来の住人と出会う「想像建築」プロジェクト


    

――2軒目のロジハイツを建てるときは、「想像建築」プロジェクトというイベントを行ったそうですね。

    

トダビューハイツの運営がちょっと落ち着いてきたときに、祖母から「使い道に困っている空き地がある」という相談を受けまして。その空き地は、何十年と貸していた借地で、借りてくださっていた方が退去されて、更地になって戻ってきたんですね。

    

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「想像建築」プロジェクトを行った空き地(写真:本人提供)

    

私も不動産出身ではないので空き地の活用とかに詳しくなくて、とりあえず近所の不動産屋さんに相談してみたら「ハウスメーカーに頼んで何かを建てて、貸すなり売るなりしたほうがいいんじゃないですか」と。だけど、何か違うような気がして。

    

祖母はその土地の周りの人たちと顔見知りでしたが、私は顔も知らないし、いきなり祖母が築いてきた地域の関わりを分断するようなものを建てるのはどうだろう、と思ったんですけど、じゃあどうしよう…と。

    

だったら「どういうものがいいのか想像しながら建ててみよう」と考えて「想像建築」と名乗って、そのプロジェクトを始めることにしました。

    

――空き地を活用して1年間、マルシェや街歩き、トークイベントなどを開催したそうですね。

    

はい。この活動には、2つの目的があって。1つは「未来の住人さん」に出会うこと。もう1つは「近隣の人たち」を知って関係性を育むこと。特に未来の住人候補の人たちには、街のいいところを知ってもらいたいという想いがあったので、「街の味を知ることができるマルシェをやろう」とか「街の面白い面を見ることができる街歩きをやろう」とか、そういう発想で企画してイベントを開催していきました。

    

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空き地を利用して、さまざまなイベントを開催(写真:本人提供)

    

――ということは、参加した人たちは、地元に限らず、いろんなエリアから?

    

そうですね。海外留学生とか、空き地研究をしている大学院生とか、遠いところからいろんな方が来てくださいました。残念だったのは、ロジハイツを建てた時期がコロナに直撃しまして。仕事や家族の関係で実家に帰らなくてはいけなくなって、決まりかけていた住人さんがゼロになってしまったんです。

    

それでも「建てるまでの想像建築の取り組みが面白かった」と言ってくれる人たちが入ってくださって、満室になりました。屋上菜園も、想像建築のイベントに来てくれていた人たちが今も使ってくれています。

    

屋上菜園は、プランターが10個並んでいるんですけど、1プランター1ヶ月3000円で住人以外の方々にも貸し出していて、三鷹に住んでいるプロの農家さんが教えに来てくれたりもしています。

    

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ご近所さんたちの憩いの場となった屋上シェア菜園(写真:本人提供)

    

また、月1でごはん会をしたりとか、屋上でとれた野菜を食べてみる会とか、農家さんからのレクチャー会とかをやって、Slackでオンライン会話を楽しんだりもしています。

    

――本当にご近所コミュニティみたいなものができているんですね。

    

住人さんは菜園を使わなくても屋上に上がっていいよと伝えてあるので、たまにリモートワークを屋上でやっているらしくて、野菜をつくっている近所の方々がフラッと来て「仕事してるの?」とか話したりしているみたいですね。

    

ロジハイツの1階は「街に開きたい」という想いがあったので、できれば飲食店に入っていただきたいと考えていたら、大学の同級生が喫茶店をやりたいと言ってくれて。それまでずっと近所の商店街のカフェで働いていたのですが、独立して「喫茶ふくか」というお店を開いてくれました。

    

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ロジハイツの1階にある「喫茶ふくか」。朝6:30から営業しているので、通勤前のモーニングにも便利(写真:本人提供)

    

常連さんが多い喫茶店で、近所にすごく大きい原っぱがあるんですけど、そこでラジオ体操をし終わったマダムたちが来てくれたり、毎日来るおじいさんがいたりして、いろんな人が来てくれているみたいです。

    

――すてきですね。今後の高齢化社会を考えても、そういう地域のコミュティの中心になるような場所が増えていったらいいでしょうね。

    

そうですね。私もこういう交流のある物件を増やしていきたい気持ちはあります。いきなり不動産をばんばん建ててしまうのは、のんびりした荒川区の空気に合っていないかなと思うのですが、すでにいい場所がいっぱいある街なので、それらをもっと回遊できるようにしていきたいなって。

    

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ロジハイツから徒歩1分の距離にある「尾久の原公園」(写真:本人提供)

    

「喫茶店ができたことで近所の原っぱでラジオ体操をした後に過ごす場所ができた」と言ってもらえたりしているので、それって街を回遊する時間が増えて、この街が活性化していくことだと思うんですよ。そういう機能のある住宅を増やしていきたいですね。

    

――マンションやアパートが地域を活性化する拠点になるなんて考えたこともありませんでしたから、戸田さんの活動には驚きました。大家さんって、そういうこともできる職業なのですね。

    

大家業にも種類がありますよね。大家業を通して何か叶えたいことがあるなら、さまざまなアプローチがあると思っています。

    

私が最初に出会った青木純さんが始めた「大家の学校」というプラットフォームには、金銭面だけでなく、「街にどれだけ貢献できるか」みたいなことを重視して活動されている大家さんが集まっているんですよ。いろんな大家さんの事例から学んだりしながら、私も夢を膨らませています。

    

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「大家の学校」では自ら講義も行う(写真:本人提供)

    

――一般的には、大家さんと住人が関わることって少ないですよね。躊躇したりしませんでした?

    

最初はすごい緊張しましたが、祖母と住人さんたちの関係をずっと見てきたので、その関係性は大事にしたいなと思ったんです。昔は家賃も祖母に手渡しでしたし、お互いの結婚式やお葬式にも行き合ったりしていて、「そういう関係性も含めて好きで住んでいる」と住人さんたちも仰っていて。

    

祖母の体調がおぼつかないときに管理会社に運営を任せている時期もあったのですが、それでも住人さんたちは管理会社ではなく祖母に連絡してくるんですよね。「修繕をお願いしたい」とか。

    

そういう様子をずっと見てきたので、住人さんたちから求められていることにも気づけましたし、「江美ちゃんが手伝ってくれるようになって良かった」と言ってもらえるようになりました(笑)。

     
     
     

「私がおばあちゃんになっても楽しい街」を目指して


   

――デザイナーとしてキャリアを積んでいく将来像とは少し違った人生になったと思いますが、ご自身の歩みを振り返ってどう思いますか?

 

良かったですね。大学生の頃は、表参道とかで素敵に働くデザイナー女性というのに憧れていましたけど、この街が好きな時点で、それはちょっと合っていなかったなって(笑)。今のほうが等身大で、地元生まれで地元愛を自分で発信できますから、すごく楽しいし、やりがいがあります。

 

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昭和レトロな「おぐ銀座商店街」(写真:本人提供)

 

物件サイトをつくって、自分がやりたいことを言葉にしたり、ビジュアルで表現したりすることは、デザインの仕事が活きた部分でもあったので、掛け合わせることで違うものが生まれるという喜びもあります。

 

祖母の体調が悪くなって管理会社に運営を任せていた時期に、「空室を埋めるためには家賃を下げたほうがいい」と言われたことがあったんです。

 

私はそのとき「それはどうだろう」と思って、祖母に「もっと別のアプローチで大家業ってできるんじゃないの」と、ぼんやり思っていたことを提案したんですよ。それは不動産業界の常識みたいなものがなかったからかもしれないんですけど、その違和感は、今考えると合っていた気がします。

 

そういう視点を持てたことも、デザイナーという異なる職種と大家業を掛け合わせたことが自分の強みとして活かせているのかなって思います。

 

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ロジハイツの一室。ライフスタイルに合わせた使い方をしやすい間取りを
建築家さんと一緒に考案(写真:本人提供)

 

――逆に大家業の大変な面は?

 

大変な面…大変な面…(熟考)。楽しいので大変なことは忘れちゃうんですけど、やっぱりやりたいことと、お金のバランスを考えているときですかね。新しい物件を建てるときは結構体調を崩したりもしましたが、祖母から引き継いでからは、いい人ばかり入っているので、契約上のストレスとかはないです。

 

逆に元気をもらえることが多くて、住人さんや屋上菜園の方々からの嬉しいメールは「元気になる」フォルダーというのに入れて見える化して、自己肯定感を高めたり元気になったりしています(笑)。

 

――戸田さんが会社を辞めて大家業を継いだように、仕事や人生の転機に悩んでいる方も多いと思います。進路に迷ったときは何が大事だと思いますか?

 

祖母の体調が悪くなったとき、私にとっていちばん大事だったのは、「おばあちゃんを助けたい」という想いでした。だから仕事を変えようと。そういう考え方に沿ってチャレンジしたことに対しては、失敗しても後悔はないと思ったんです。その結果、今の仕事に出会うことができました。

 

ですから、迷ったときは、「自分にとって人生でいちばん大事なことは何だろう?」「それを優先したときに何ができるんだろう?」と考えるといいかもしれないですね。

 

――その結果、ライフワークに出会えたわけですね。戸田さんにとって大家業のいちばんの魅力は?

 

「近所に好きな人を呼び込める仕事」ということですね。私は実家を離れて初めて一人暮らしをしたときに、たぶん初めて「地元、良かったんだなぁ」と思ったんですけど、それは「人」が大きくて。

 

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ご近所さんとみんなでお花見(写真:本人提供)

 

それまで周囲に知っている人たちや、赤ちゃんの頃から知ってくれている住人さんがいる環境でずっと育ってきたので、隣に住んでいる人も知らない、挨拶する機会もないような住環境で初めて暮らして、生活の中に顔見知りがいないことがすごく不安になったんです。

 

その後、会社を辞めて地元に戻ってきたときに、気が向いたときに会える近所の友達ができ始めたら、その距離感がすごく心地良くて。ベタベタしないぐらいだけど、知っている人が近くにいて、一緒にカフェできたり、ごはん食べたりできる。挨拶しあえるご近所さんもいてホッとしました。

    

そもそも私は、人と積極的に関わりたくない、交流飲み会とかも行きたくない性格だったのですが、手を伸ばせば返ってくるくらいの「関わりしろ」がある暮らしができると、そこに長く住みたくなるんだなぁと思って、入居者さんにもそういう環境を提供できたらなって。

    

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ロジハイツのコンセプトは「関わりしろのある賃貸住宅」(HPより)

    

私が大家業を行ううえでのコンセプトは、隣人、大家、ご近所さんたちを知っている「顔の見える暮らし」をつくること。入居者さんを募集するときも、私自身がメディアに出たり、SNSで発信することで、同じような価値観を持つ人や面白い人が来てくれて、近所に好きな人たちが増えてきました。住人さんは、みなさん地元以外から来た人たちですし、住まなくても荒川区に関わってくれる人も増えています。

    

私の目標は「私がおばあちゃんになっても楽しい街」。それってやっぱり周りに面白い人たちがいることだと思うので、少しずつですけど、それが実現できていることが嬉しいですね。

    

――大変失礼ですが、その後、おばあちゃんは…。

 

今も元気です。私が大家業を継いだことを喜んでくれていて、たまに雑誌に載ったりすると近所の人に見せに行ったり、ヘルパーさんに「孫が載ってるよ」と自慢したりしています(笑)。

    

――それは何よりです(笑)。それでは最後に、大好きな荒川区の魅力を教えてください

    

「地域の温かさ」や「自然豊かで大きい公園たち」がある点だと思います。その2つが揃っているのに、原宿とか表参道にも行きやすいアクセスも面白い。都心から20分で昭和への謎のタイムスリップができる街です(笑)。

    

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のんびりした荒川区のシンボルのひとつ「都電荒川線」(写真:本人提供)

    

特に尾久エリアは、ずっと昭和で止まっている街だったのですが、私が戻ってきた6〜7年前くらいから、おしゃれなカフェとかも増えてきて、オーナーさんたちと話してみると「この街に惹かれて引っ越してきたんだ」と仰っていて、「外から見ても魅力あるんだ」と私自身も気づくことができました。

    

そうやって外から来た人たちも街を盛り上げていこうとしていることを知って、私も「もっと地元が楽しくなるように活動していこう」と思ったんですよね。

    

のんびり走る路面電車、くねくねした路地、昭和築の民家、軒先に並べられた植木鉢、個性ある商店街。この風景に惹かれて住んでいるという人を、私は何人も知っています。ぜひ一度遊びに来てみてください!

    

――今後のご活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました!

    

     

       



  

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この記事を編集した人

タニタ・シュンタロウ

求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。

 
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