仕事・働き方

難病を個性に変えて。ハンディを武器に唯一無二のガラス作家になった大河内愛美さんの挑戦の軌跡

2021.12.7

大河内愛美さんは、現在愛知県瀬戸市で制作活動をしているガラス作家。小学生の頃からの夢を叶え、ガラス作家として日々作品作りに取り組まれているのですが、その陰には難病を抱えながらの挑戦がありました。ハンディだと思っていた難病を公表することによってガラス作家としてさらなる飛躍を遂げます。大河内愛美さんのガラス作家としての想い、難病を抱えながらもどのように夢を叶えてきたのかを伺いました。

 

大河内愛美 (おおこうち まなみ)

1994生まれ。愛知県名古屋市出身。名古屋芸術大学卒業後、瀬戸市新世紀工芸館で2年間研修生として制作活動に励み、修了後は独立してフリーランスに。作品は主にオンライン販売や百貨店や催事、イベント等に出展。2018年にロンドンの「Discover the on Japanese art 2018」、2019年に金沢21世紀美術館、同年には渋谷ヒカリエやルミネ有楽町などにも出展。指定難病「レックリングハウゼン病」(先天性)を抱えており、SNS等を通じて病気の認知度を広める活動も積極的に行っている。


  
  
  

小6からの夢を叶え、ガラス作家の道へ


    

口切りするには素早い作業が求められる

     

――ガラス作家を目指そうと思われたきっかけについて聞かせていただけますか。

    

小学6年生のときに、テレビ東京の「TVチャンピオン」という番組で、たまたまガラスアートの特集を見たんですよ。コップとか器ではなくて、造形作品をつくるみたいな内容だったのですが、作品制作の工程を見ていて、楽しそうだな、やってみたいな、と思ったのが最初のきっかけでした。

 

――そのときから、将来はガラス作家になりたいと?

   

小学校の卒業文集にも「ガラス職人になりたい」と書いていました(笑)。で、中学1年のときに、初めて吹きガラス体験をして「将来はこれをやる」と決めて、ガラス制作ができるところを探しました。高校にはなくて、大学からだったので、中1で行きたい高校よりも先に大学を決めたんです。

     

とにかく早くガラスをやりたくて、高校の入学式でも「早く卒業して大学に行きたい」と思っていたくらいでした。なので、ガラスの勉強を始めたのは大学からですが、「やっとガラス制作ができる」っていう高揚感と「やっぱり楽しいな」という思いで、すごく充実した大学生活でした。

   

――ガラス制作の楽しさって、どんなところなんですか?

    

ガラスって1秒1秒が大事なんです。私が制作するときのガラスの溶解温度は約1250度。高温でガラスをドロドロに溶かして、それを竿で巻き取り、グローリーという窯でガラスを温め直しながら、ガラスが熱いうちに形を作っていきます。スピードがとても大事で、一瞬でも目を離すと、重力で形が変わっちゃったりするんですね。時間との闘いですし、似た模様等は出来ても、全く同じ物は2度と作れないんです。

    

冷えるたび温め直し、自分の思い描く形になるまで繰り返す

        

完成間近の作品。自分の思い描く形になってきた。

      

ガラス作品は、ガラスの状態や熱の伝わり方、模様の出方が1つ1つ違うので、どこか似ていても、少しずつデザインが異なっていて、すべて世界でたった1つの「1点モノ」になります。

     

しかも、私がつくっている泡模様の場合は、どんな模様が出てくるのかわかりません。同じ色を使っても「全然出なかった」ということもあれば、「凄いたくさん出たなぁ」というときもあって、偶然の賜物で自分では思ってもみなかった色や模様ができることもあります。そういう、すべてが自分の思うようにはならないところが面白いし、楽しいですね。

       

――面白そうですね。ただ職業として考えると、アートで食べていくのはなかなか大変なことだと思います。具体的な将来像はどのように考えていましたか?

    

大学生の頃は「なんとかなるかな」って楽観的に考えていました(笑)。ガラス工房に就職することも考えましたが、求人が少なくて。募集があっても1人とかなので、結構厳しいなっていうのもありました。大学卒業後は、瀬戸市新世紀工芸館という陶芸とガラス工芸の制作活動が出来る施設で2年間、研修生として制作活動をして、その後にフリーランスとして独立しました。

     

自分の作品だけを売って暮らしていくのは、やっぱり大変ですね。ガラス制作は、工房のレンタル代や材料費など、お金も結構かかるので、アルバイトもしながら制作を続けていました。

     

    

そうして活動を続けながら思ったのは、「大河内愛美」として自分自身を発信することがとても大事だなってことでした。たとえば同じ絵でも、一般の人が描いた絵と、自分が好きなアーティストや芸能人が描いた絵があったら、全く同じ絵だとしても絶対に自分が好きなアーティストや芸能人が描いた絵を欲しくなりますよね。

      

どんなにすごい技術が使われていたとしても、専門家にしかわからないでしょうし、何かの賞を取ったりすれば、箔はつきますけど、それも一般の人にはあまり伝わらないと思うんです。作品を購入するきっかけって、技術がどうこうよりも、この作風が好きとかデザインが好きといったこともありますから。

    

そう考えると、購入してくださるお客様には、まずは私自身に興味を持っていただいて、「この人が作ったものだから欲しい」という存在になることが大事だなって。

     

いまは、ブログやSNSで積極的に自己発信をしたり、テレビやラジオ、WEBメディアやYouTubeなど、いろんなメディアに取り上げてもらえるように頑張っていこうと考えるようになりました。

     

     

     

難病を抱えながらの挑戦。憧れの人との出会いが転機に


      

   

――2018年に病気のことを公表されましたね。レックリングハウゼン病というのは、どんな病気なのでしょうか?

   

レックリングハウゼン病は、日本人は3000人に1人が発症すると言われている病気なんです。皮膚にミルクコーヒー色の「カフェオレ斑」という染みのようなものや、神経の上に出来る腫瘍「神経線維種」という腫瘍ができたりします。皮膚の上や皮膚の下にもできるのですが、個数や大きさ等に個人差があり、症状が少ない人だと気づかない場合もあります。

    

そのカフェオレ斑の数や濃さ、腫瘍の数も人それぞれで、私は服で隠せる箇所が大半なのでそんなに目立たないんですけど、顔とかに出てしまう人もいます。この病気が直接命を脅かすことはありませんが、合併症によっては命に関わってくる場合があると聞いたこともあります。この病気には治療法がないので、難病に指定されています。

      

先天性の遺伝子疾患なので、両親のどちらかがこの病気だったら50%の確率で遺伝すると言われているのですが、突然変異する場合もあって、私は両親からの遺伝ではないので突然変異でした。

       

症状が少ない人は、この病気だと気づいていない人も多いと思うのですが、合併症の危険性があって、女性だったら乳がんを発症しやすく、その確率が普通の人より6〜7割も高いと聞いてます。日本には現在約4万人の患者がいるのですが、認知度が低くて、見た目の偏見も多いので、「この病気のことをもっと多くの人に知ってもらいたい」というのが、症状を公表した理由のひとつでした。

   

――大河内さんが病気を自覚されたのも、高校生の頃だったそうですね。

   

小さい頃から染みのようなものが多くて、とても気にしていたのですが、親からは「生まれつきあるんだよ」と言われていて、親も私も病気だとは思ってなかったんです。

     

だけど、すごく気になっていたので、高校生になって初めて携帯を持ったときに、Googleで検索してみたんですよ。そしたら「この病気かも…」というのが出てきて、病院に行ったらやっぱりでした。

    

レックリングハウゼン病は、基本的に腫瘍は痛くはないのですが、もし神経線維腫に痛みを感じたら診察して検査を受けた方が良いそうです。私も2018年の末頃から時々腰のあたりに痛みを感じたので、病院でいろいろと検査してもらったんです。

     

神経線維腫は良性のものがほとんどで、悪性と診断されたとしてもすべてがMPNST(悪性末梢神経鞘腫瘍)ではありません。様々な詳しい検査をすることでMPNSTかどうかという診断が出ます。MPNSTを合併する確率は2%くらいらしいですが、私がそれだったんですよね。

    

溶解炉で溶けたガラスを巻き取る作業。溶解炉内の温度は1200℃を超える

     

――2020年3月にMPNST(悪性末梢神経鞘腫瘍)の大手術をされて、1年半もの間、24時間コルセットをつけて生活していたそうですね。すごく重症だったと。

    

そうなんです。MPNST(悪性末梢神経鞘腫瘍)を合併したことで、レックリングハウゼン病も1番重症のstage5までになりました。それで昨年の春(2020年3月)に悪性腫瘍を取り除く手術することにしたのですが、発見が遅かったら、もっと大変なことになっていたみたいです。私は悪性腫瘍ができた場所が脊椎でしたが、MPNSTは転移や再発をしやすいそうで、「腫瘍ができた場所が腕や足だったら、(根絶するために)切り落としたら大丈夫だけど」って言われました(笑)。

    

――大丈夫って言われても …。

    

困りますよね(笑)。私は悪性腫瘍ができた場所が脊椎だったので、切り落とせないじゃないですか。でも脊髄の腫瘍を取るために、背骨を切ったり削ったり、神経も一部切ったらしいので、今は背中にボルトが7本も入っているんですよ(笑)

     

――ボルトが7本!すごく痛そうですね……。

      

痛かったですね、術後は結構……。全身麻酔をしていたので記憶はないのですが、手術も7時間くらいかかったみたいです。24時間ずっとつけ続けたコルセットが今年9月にやっと取れて、約1年半ぶりに工房に行ったのですが、筋力や体力が落ちてしまったので、入院する前よりも作れる数が減ってしまって。ガラス制作は体力を使うので、これから徐々に戻していきたいなと思っています。

      

――ブログやSNSでは、患部の写真も公開されていますよね。女性にとって皮膚の病気を公表するのは、とても勇気のいる行動だったと思うのですが。

    

やっぱりすごく悩みましたし、勇気が必要でした。でも、ありのままの自分でいたかったんです。

    

私は生まれつきの難病があることを誰にも言っていなかったので、夏とかに「海行こう」となっても、水着を着たくないから行けなかったり。小学校や中学校ではずっといじめられていて、ひどいことを言われていましたから、その時のトラウマもあってなかなか人を信用することができなくて、公表するまで友達にも隠していました。

     

でもそれもつらくなってきて「逆にオープンにしちゃったほうがラクになれるのかな」と思うこともあったのですが、病気を公表することで、友達が離れていってしまうことがすごく怖くて。なかなかその一歩を踏み出すことができませんでした。

     

大好きなくらげを取り入れた作品

     

ちょうどそんなときに、ずっと憧れだった俳優さんのInstagramのコメントに、昔から応援していることやガラス作家をしていることを書いたことがあったんですね。

     

そしたら、私の投稿にいくつか「いいね!」などのリアクションをくださって。それでめっちゃテンションが上がっちゃって(笑)

      

――おお、すごい!

     

それが2017年の出来事だったのですが、その後いろいろなタイミングやご縁が重なったこともあって、なんと2018年に自分が昔から応援している人に直接逢えて、自分の作品もその時にお渡しすることができたんですよ。「素敵ですね」って作品をすごく褒めてくれて。「応援してます」とも言っていただけたので、その日は一生の思い出に残る大事な日になりました。

     

このときに「自分から発信することで夢は叶う!」と思ったんですね。それで病気も公表することによって何かが変わるかもしれないと思って、その年の秋にブログに病気の症状とともに自分が難病持ちであることを書きました。

      

――その俳優さんとの出会いがきっかけのひとつになったんですね。

    

すごく大きいきっかけでしたね。この出来事がなかったらなかなか勇気が持てなくて、今のように病気のことを発信しなかったかもしれません。嬉しいことに、私の周りにいる親しい友達は病気のことを知っても誰ひとり距離を置くことはありませんでした。ブログを始めていなかったらこの病気が定期的に検査が必要だと知らなかったですし、MPNSTの発見も遅れていたのかもしれないと思うとゾッとします。なので、その俳優さんにはとても感謝しています。

    
    
    

難病は自分の個性。だからこそ唯一無二の発信ができる


    

     

――勇気を出して病気を告白されて、どのような変化がありましたか?

    

やっぱり自分の心がラクになった、というのもありますし、同じ病気の人が見てくれることも多くなりました。前から交流があった人からも「そういう病気があるんだね」って反応がありました。告白して良かったなって思っています。ただ、SNSのフォロワーさんは数十人くらい減りました(笑)。

    

――えっ、何故でしょう?

    

因果関係はわかりませんが、それはそれで良かったと思っています。私はSNSでも病気のことを書いていますから、今でもフォローしていただいている方々は、ありのままの私を知ったうえで応援してくださっていると思うんですよね。減った人より応援してくれる人のほうが多いですし、今はガラス作品への想いも、病気の症状もすべてオープンにしています。

      

――大河内さんの発言は、とても明るく前向きですよね。「難病というのは個性だから、自分に個性があって良かった」「作家として売りにできるし、唯一無二の発信ができる」と書かれていました。

    

昔はやっぱり悩んでいましたが、今は普通に「ガラス作家です」と言うよりは、逆に何か個性があったほうが注目もされやすいのかなってポジティブに考えています。ハンディも武器にして「大河内愛美」として自己発信していきたいですね。発信力をつけてもっと多くの人に見てもらいたいです。

     

――ガラス作家になる夢を叶えられて、特に嬉しかったことは?

     

あるとき、年配の女性のお客様がグラスを購入してくださって。旦那さんを亡くされたばかりだったそうなんです。その方が「あなたの色使いはすごく明るいから、部屋に置いておくと気持ちも明るくなりそう」と言って購入してくださって。私は「お客様の生活に寄り添いたい」と思ってガラス作品をつくっているので、すごく嬉しかったですね。

    

渋谷ヒカリエ出展作品(2019年)

     

――今後の夢や目標は?

    

病気のことを告白してからは、「どうしたら自分の作品を通して病気のことを知ってもらえるんだろう」と考えるようになりました。合併症の手術後は、まだそんなに作品を制作できていないのですが、今後はレックリングハウゼン病に加えて、背中にボルトが7本入っていることも付け加えてアピールしていこうと思っています。なんかサイボーグみたいで強そうじゃないですか?(笑)。

     

この病気でガラス作家をしている人は、日本、そして世界を見てもどこにもいないと思います。それは私の「強み」であるとも思っています。病気の認知度を高めていくためにも、もっと私が表に立って、インフルエンサーのような存在になっていきたいですね。より多くの人に自分を知ってもらうことで、まだ病気に気づいていない人に「もしかして自分も?」と気づきのきっかけにもなりたいと思います。

      

     

――最後に、夢や目標を叶えるためのアドバイスをいただけますか?

    

あきらめずに、夢を追い続けること。それと具体的な目標を決めたら、そこから逆算して今すぐできることを考えて、努力を続けていくことですね。

     

私も中学生のときに「ガラス作家になる」という夢を抱いて、ガラス制作ができるところを探したら、芸大に入ることが最初の目標になりました。芸大は入試にデッサンがありますから、まずはデッサンの勉強から始めました。これがやりたいと思ったら、そのためには何が必要なんだろうと考えて、今すぐできることから始めるのが大事だと思います。

      

あとはその夢や目標を諦めないこと。周りから何を言われても反対されても、信念を持って追い続けることが大切だと思います。私もまだまだこれからです!

     

――本日はありがとうございました。今後の活動も楽しみにしています!

      

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この記事を編集した人

タニタ・シュンタロウ

求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。

     

                

 
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