仕事・働き方

Daichi「継続」が生んだ天才【Human Beatboxer】

2020.07.3

口だけで音楽を奏でる「ヒューマンビートボックス」を生業に活動し、YouTube登録者数126万人、総視聴回数4億回超えのDaichiさんに、やる気の源泉についてうかがいました。
▶YouTuberインタビューシリーズはこちら

 

 


 

 

Daichi(ダイチ)

1990年7月2日生まれ。福岡県出身。10歳の時に見たテレビ番組に衝撃を受け、口だけで音楽を奏でる「ヒューマンビートボックス」を開始。18歳の時にYouTubeに投稿した動画が、全世界で話題に。その後も、「口だけで〇〇」シリーズが人気を呼び、現在YouTubeの登録者数は126万人、総視聴回数は4億回超え。アカペラグループ「よかろうもん」のメンバーとしても活動しており、シーンの担い手として注目を浴びている。

 

 

ヒューマンビートボックスとは?

口や喉など、人間の発声器官だけを使って「バイオリン」「トロンボーン」「トランペット」「ベース」など多彩な音を再現して、音楽を創りあげる表現形態。超一流ビートボクサーのDaichiさんにかかれば、下の動画のように「口だけ」でさまざまな楽曲のカバーもお手のものです。

 

 

 

Daichi
音楽との出会い


 

やる気ラボの勝部です。
本日はよろしくお願いします。

 

よろしくお願いします!

 

さっそくですがDaichiさん。
日本一のヒューマンビートボクサーと言っても過言ではないDaichiさんですが、音楽との出会いはピアノだったというのは本当でしょうか?

 

そうです。音楽自体は、僕がヒューマンビートボックスに出会う以前、6歳か7歳くらいの時に始めました。当時はスマホなんかもなく、福岡の田舎暮らしだったので、学校から帰ったらピアノくらいしかすることがなかったんですよ。

 

それでは、ヒューマンビートボックスを始めたのはいつ頃だったのですか?

 

10歳の時に、テレビ番組『ハモネプ』を見て衝撃を受けたのがきっかけです。最初は普通の音楽番組を見ていると思っていたのですが、途中、全部声でやっていることに気づいたんです。「人って楽器がなくても演奏できるんだ!」って感動しましたね。

 

それがきっかけで、「自分でもやってみよう」というやる気スイッチが入ったんですね。

 

はい。1時間くらい練習して、試しに母の前で披露してみたんです。そしたらお世辞かもしれないけど、「うまいね」ってほめてくれたんですよ。そこから本気になりました(笑)

 

幼い頃は、家族にほめられることほどうれしいことはないですもんね!
ところで、どのような練習をしていたのでしょうか?

 

ボーカルパーカッションの基礎を1~2年間、ひたすら練習していました。当時は録音できる環境もないので、壁に向かって跳ね返ってくる音を頼りに、できているかできていないかを確かめていました。
だから、僕の実家の壁は唾だらけかもしれないですね(笑)

 

(笑)
ちなみに、当時は何種類くらいの音が出せたのですか?

 

最初は5~6種類だけで遊んでいました。
でも、そんなたった数種類しか知らなかった少年が、いっきに何十種類もの音に出会う機会があったんです。

 

誰かに教えてもらったのでしょうか?

 

いいえ。それは、インターネットの動画だったんですよ。
高校時代に海外のビートボクサーの動画を見て、2回目の衝撃を受けました。ドラムの音だけではなく、ベースやシンセサイザーの音…。口だけで出せる音の可能性を改めて感じた瞬間でした。

 

なるほど。それでは、動画がDaichiさんの先生だったわけですね。

 

また、そのころには携帯で録音することもできるようになったので、友達に送りつけて感想を聞いて勉強したりもしていましたね。だいぶめんどくさい人だったかもしれません(笑)
でも、僕が現在活動しているアカペラグループ「よかろうもん」のメンバーのうちの2人は、当時からのビートボックス仲間なんですよ。カラオケに行って、マイクだけで時間を過ごしたりする仲でした。

 

お互いを高められる仲間が近くにいたことは、Daichiさんにとって大きな財産だった、と。

 

そのおかげもあって、高校3年生の時点で50種類くらいの音を出せるようになりましたね(笑)

 

50種類!
その時の動画が、YouTubeで2900万回以上の再生回数を誇る「Daichi for Beatbox Battle Wildcard」なんですね。

 

 

 

ビートボックスを
仕事にするということ


 

Daichiさんはビートボックスを始めてすぐに、これだけで生きていこうと決心されたのですか?

 

もともと、音楽で生きていこうという思いはあったのですが、ヒューマンビートボックスだけで活動できるなんて思ってもみませんでした。高校を卒業したあとに、音楽の専門学校に通ったんですが、その頃もピアノとか作曲とかでやっていきたいなと思っていました。
ビートボックスは、趣味の一つだと思っていましたからね。

 

それではどうしてビートボックス1本に?

 

初めてビートボックスでテレビ番組『ハモネプ』に出たときの反響がすごかったんですよ。また、それを通して仕事を受けた経験があって、「ヒューマンビートボックスが仕事になるんだ」とその時に初めて知りました。
そして、「音楽をやっている人たちはたくさんいるけど、これだけで活動している人はなかなかいないぞ」、と。もしかしたらこれだけでやっていけるかもしれない。そういう風に思う瞬間があったんです。

 

何かを専門に働こうとすることは、かなり勇気のいる決断だったと思います。
Daichiさんは、「会社に就職しようかな」というふうに、進路に悩むということはなかったのでしょうか?

 

そういう悩みは、まったくと言ってもいいほどなかったですね。

 

それはどうしてでしょう?

 

これは人それぞれ考え方が違うと思うんですけど、長く生きる方がいいか、短く良く生きる方がいいか、どっちかだったら僕は迷わず後者を選びます。短くても良いから、自分のやりたいことをやって生きていきたいという思いが強かったので。

 

かっこいい!そういう生き方って憧れます。

 

とはいえ、東京に出たのが20歳くらいなんですけど、生活や音楽活動にはめちゃくちゃ困りましたね(笑)

 

といいますと…?

 

事務所に所属して初めてライブをやることになったんですけど、それが2時間のライブでした。それまで5~10分しか披露したことがないものを、いきなりそんな長時間やるのは大変なんです。
どうしても、ずっとお客さんを楽しませるということができなくて…。

 

お客さんが喜んでくれないと意味がないですもんね。

 

その時、ヒューマンビートボックスだけで生きていくのは大変だというのを改めて痛感しました。むちゃな選択をしたんじゃないかという後悔もありました。

 

やはり、趣味と仕事ではまったく別物と…。
そのあと、どうなったのでしょう?

 

このままじゃいけないと思い、決死の覚悟でアメリカに飛びました。

 

え、アメリカ?

 

ストリートパフォーマンスをやってみようと思ったんです。

 

 

でも、やってみたら最初はぜんぜんダメでした。
チップも入らないわ、ぼったくりにもあうわと散々で、宿のお金が足りなくなることもありました。「生きて帰られないかもしれない」と毎日考えながら、ニューヨークの街でアンプを転がしていましたね。

 

そんな大変な時期があったなんて…。
しかし、そんなきつい思いをしながら、どうして続けられたのでしょう?

 

う~ん。今ならそんなことは絶対にしないな(笑)
当時は、若さもあってやれたなっていうのがありますね。好きな気持ちはもちろん、これしかないという気持ちが大きかったので頑張れたんだと思いますよ。

 

Daichiさんのヒューマンビートボックスにかける思いは、当時から相当なものだったのですね。

 

 

ただ続けるだけじゃ
意味がない


 

Daichiさんの名前を一気に押したのが、YouTubeへの動画投稿です。YouTube歴10年以上で、チャンネル登録者数は約130万人・総視聴回数4億回超えと、とてつもない数字を記録しています。
そもそもDaichiさんはなぜ、YouTubeに動画を投稿しようと思われたのでしょうか?

 

ビートボックスで生活していくためには、自分のやりたいことと世の中が求めていることをうまくマッチングさせていくことが大切だと考えたんです。これからの時代はインターネットとか動画だなっていうことは、10年前から考えてきたことだったので、そこは絶対にやり続けていきたいなと思っていました。

 

先ほどのお話にもあったように、活動をするうえでさまざまな苦難があったと思います。なぜビートボックスだけで、10年以上もYouTubeを継続できているのでしょうか?

 

継続って、実は同じことをやり続けることではないと思うんです。継続は、変化し続けることだと僕は思うんですよ。

 

変化し続けること…?

 

そうです。だから、初期はソロでヒューマンビートボックス1本の動画を出していたんですけど、途中からは自分を何人も登場させたり、いろいろなアーティストや他ジャンルのYouTuberとコラボして新しい挑戦をしてみたり…。今では、グループ活動を軸にしています!
このように、僕はこの10年間でずっと変化し続けているんですよ。

 

「継続は力なり」とよくいいますが、この業界ではそれだけでは不十分。変化し続けることにこそ意味があるのですね。

 

人気YouTuber・Hikakinとのコラボ

 

 この動画では自分を50人も登場させている!

しかし、「時代にあわせて自分を変えていく」。簡単に言えても、これは非常に難しいことだと思います。Daichiさんはどうして、今や未来のことを読むことができるのでしょうか?

 

誰も、未来なんて読めないですよ(笑)僕自身も活動のほとんどが失敗だし、後悔の数もものすごくあるんです。たとえば、「この動画はあの時に出しておけばよかったな」とか、悔しい思いをすることはしょっちゅうなんです。
でも、挑戦っていくらでもできるじゃないですか!何度失敗しても良いんです。僕は、後悔を受け入れられる覚悟があるからチャレンジし続けられるんだと思っていますよ。

 

変わることを恐れず何度もチャレンジを繰り返すことが大切だと。

 

あとは、自分のレベルに合ったものをやっていくということ。人って簡単すぎるものは飽きちゃうし、難しすぎるものは諦めちゃうんですよ。
だからたとえば、僕が曲を演奏するときは少し難しいものにチャレンジするようにしているんです。そうすれば成長を続けられる。人気のYouTuberもいきなり人気になれたわけではなく、そうやって地道に一歩ずつ成長してきたんだと思います。

 

確かに…。
しかし、どうしても「やる気」が出ない時ってありませんか?

 

自分の場合は、「映像編集がめんどくさいな」って思うことがあります。
そんなときは、完成形をイメージしてみて、それを見て喜んでくれる人の姿を想像しながら乗り越えていますね(笑)

 

なるほど。いつも自分が決めたゴールをイメージして行動しているのですね。
それでは、「やる気が出ない」といった悩みを抱えている読者のみなさんに向けて、夢に向かって頑張るためのアドバイスをお願いします。

 

自分のやりたいことのために、やりたくないこと・やる気が出ないことでも、やらないといけない時があるんだよということを知っておいてほしい。そういうときは、常に自分の目標を意識して、成功したときのことを想像しながら、一つ一つクリアしていけばいいんじゃないでしょうか。

 

ありがとうございました!
それでは最後になりますが、Daichiさんの今後の目標を教えてください。

 

アカペラグループ「よかろうもん」で頑張っていきたいです。アカペラ音楽とバラエティを両立している人っていないじゃないですか。この二つの面で、他にいない人たちになりたいと思っています。そして、オリジナル楽曲というものにももっと挑戦していきたい。
つまり、僕は死ぬまでチャレンジをし続けたいということですね!(笑)

 

 

ありがとうございました!
これからのDaichiさんの活躍を期待しています。

 

 

 

 


 

 

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この記事を書いた人

勝部晃多(かつべ・こうた)

やる気ラボの娯楽記事担当。23歳。ハウストラブルコラムやIT関連のニュースライターを経、2019年8月より現職。趣味はプロ野球・競馬観戦や温泉旅行、読書等と幅広いが、爺臭いといわれるのを気にしているらしい。性格は柴犬のように頑固で、好きな物事に対する嗅覚と執念は異常とも評されている。

 
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