仕事・働き方

【起業】サバに乗り、サバを歌い、サバに生きる男――サバ博士 右田孝宣(前編)

2019.06.14

【小学生】【保護者】
 お子さんの将来の職業について考えたことはありますか?

 「まだ小学生だから、今は勉強のことを考えるだけで精いっぱい」とおっしゃるかもしれません。
 これからの社会を生きていくためには、学力だけではなくお子さんの個性を重視していくことも大切。例えば、興味をもったものをとことん突き詰めて、「●●といえばこの人」と言われるくらいになることも、お子さんの人生に輝きをもたらすのではないでしょうか。
 そこで今回、サバ料理専門店「SABAR」などを店舗に持つ、株式会社鯖やの社長で、サバ博士の右田孝宣さんに、一つのことを突き詰めてそれを仕事としてきたご自身の生き方についてお話をうかがいました。

とろさば料理専門店 SABAR(サバー)
鯖の魅力を伝える情報発信基地として、2014年に誕生した、とろさば料理の専門店。大阪をはじめとして、関東・中部・中国地方と、日本各地に店舗を構える。現在では海外にも出店し、世界中にそのおいしさを伝えている。
>>>公式ウェブサイト

子ども時代の、意外な魚との関係

町口 やる気ラボの町口です。本日はよろしくお願いいたします。

 サバといえばサバ博士の右田さん。突き詰めてサバを研究していらっしゃるということですが、お話をうかがうにあたって、インターネット上で右田さんの過去の記事などを拝読させていただいて、一番びっくりしたことは魚自体がお嫌いだったということ。

 具体的にどのくらいお嫌いだったのですか?

右田 19歳まで全く食べなかったくらい魚が嫌いでした。

 小さいとき、僕の母親は魚の臭みを引き出す天才で、毎日食卓に魚が並ぶんですけど、むちゃくちゃ臭いんですよ(苦笑)。よくここまで臭く作れるよねというくらい。ほんまにもう臭くて、魚が嫌いで仕方がなかった。

 例えば、魚の塩焼きを作ってくれたとき、魚にラップしてもラップ越しに臭いんですよ。食べる前に臭いから、どうやって食えばいいのかと、子ども心に困っていました。食べず嫌いだったんです。だから、あまり食べた記憶がないんですよね。

町口 ご自宅で魚を出されても避けていたと。

右田 そうです。うまいこと避けて、ほかのものを食べていましたね。

町口 給食に魚が出てきた場合も食べなかったんですか?

右田 残しました。

町口 筋金入りの魚嫌いでしたね…。

右田 魚が嫌いでしたね。子どもたちがニンジンを食べられないとか、トマトを食べられないとかと同じような感じで魚を食べられなかったんです。

「魚?ムリムリ、だって臭いやん」
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