仕事・働き方

【起業】サバに乗り、サバを歌い、サバに生きる男――サバ博士 右田孝宣(前編)

2019.06.14

嫌いだった魚を好きになった転機

町口 高校卒業後にお友だちのご紹介で、スーパーの鮮魚売り場に入られたそうですが…当時、魚が嫌いな状態で、スーパーの鮮魚売り場に入られたのは苦痛だったのではないでしょうか?

右田 そうです。当時は最悪でしたね。

町口 (苦笑)

右田 「何で、おまえ、魚を食えないのを知っていただろ? どうして魚屋に行かなあかんねん」と友だちに訴えましたが、「でも、(人手が足りないから)早く行ってくれ」と言われて渋々鮮魚売り場で働き始めました。

町口 なるほど。最初は、頼まれて仕方なくという感じだったんですね。

右田 はい。一秒でも早く辞めたかったです(苦笑)。でもお願いされたので我慢して働いたんです。

 ところがある日、たまたま割烹料理店に配達したときのこと。お店の方から出していただいた賄いのカレイの煮付けを食べたとき、衝撃的なおいしさが僕の中に走ったんです! 僕がこれまで食べてきた人生の魚の中で・・・というくらいおいしかった。

遂に訪れた運命の出会い

 そこから魚嫌いを克服して、その反動のせいか魚にのめり込んでいったんです。のめり込んでいって、毎日魚を買っては自宅で母親と料理を作るようになりました。母親との料理を通じて、いろいろな魚を知ることもできましたし。

 魚も花のように四季があって、その四季折々に出てくる魚に出会うことがとても面白かったです。また、魚をさばいていくやり方も魚の形などによって違うので、いろいろ覚えました。コチやホウボウ、ハッカクなどペタッと地面に張り付く魚をはじめ、アジやハゲ(カワハギ)など平べったい大きい魚、ブリやハマチ、タイといったぽってりとした魚など、次から次へとさばいたことのない魚に挑戦しましたね。

 それから、魚の種類によって、料理の仕方も変わります。刺身一つとっても、切るだけ、そぎ切り、飾り包丁、洗いとか。いろいろありますから。

 いつのまにかどんどん吸い込まれるように魚が好きになりましたね。19年間魚嫌いだったのが信じられませんね。

町口 今度は、筋金入りの魚好きに180度変わったんですね。

 新しい発見が次々と出てきて、魚への興味はさらに広がっていったのでしょうか?

右田 はい。新しい魚との出会い、発見にいつもわくわくしていましたよ。

 さらにスーパーの対面販売をしていたときは、お客さまに勧めるために魚の料理法もしっかりと学んで提案販売をしていました。

 例えば、スズキでしたら、ムニエルや塩焼きなどを勧めたり、その場でさばいてあげて切り身や刺身に仕上げてあげたり。特に、お客さまの中でも主婦の方には「お兄ちゃん、今日は何がお勧め?」とお声を掛けてもらい、とてもかわいがっていただきましたよ。それで楽しくなってますます魚が好きになり、毎日魚を食べて学んでいました。

 好きが高じて、かなり高額な魚料理の専門書を買ってそれを見ながら作ることもありました。

町口 どんな本なんですか?

右田 盛り付けの仕方や切り方とか。和食料理の調理法などがほぼ網羅された本です。2、3万円くらいしました。

町口 そういった専門書があるというのはなかなか気付かないですよね。どのようなきっかけで見つけたんですか?

右田 新聞や雑誌の広告などで本があることを知りました。「これは楽しそうな本!」と思って買いました。

町口 普通の人にはなかなか目に留まらないですよね。

右田 僕の目には留まりましたね。

 学校の勉強は全くやらなかったのですが、魚についてはたくさん学びました。勉強というよりは、好奇心です。魚のことを学ぶのは、遊びの延長みたいなもですね。

 またスーパーで働いていたときは、鮮魚の中でも活魚を担当して、楽しく学ばせてもらえました。生きている魚の扱い方や、マグロの解体もさせてもらいましたし。

 好奇心のおかげでのめり込んで、さばいていない魚がないくらい、当時はさばいていたと思いますよ。今は1年に数回しか包丁握らないですけど、どんな魚でも今もさばけます。体が覚えていますね。

サバ博士に、サバけない魚はない!
1 2 3

ページTOPへ