子育て・教育

【やる気が出てくる世界の言葉】「天才とは1%のひらめきと99%の努力だ」お子さんのひらめきを形にするための名言

2019.09.12

親子で学びたい。我が子に伝えたい。そんな気持ちになれる、やる気が出てくる世界の言葉。歴史上の偉人や名著からピックアップ。その言葉はどうして出てきたのか、お伝えしていきます。
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子どもってひらめきの天才だと思いませんか?

親としては、その切れ味の鋭さに、うならされることも少なくありません。忙しいので話半分に生返事、なんてこともありますが(反省…)。

ともあれ、ひらめきをひらめきで終わらせず、せっかくなら何らかの形にしたいもの。今回紹介するのは、「ひらめきを形にする」やる気を子どもから引き出すために、参考になる名言です。

Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.

天才とは1%のひらめきと99%の努力だ。

トーマス・エジソン

どんな人が言ったのか?

かの有名な発明家、トーマス・エジソンの言葉です。

トーマス・エジソン

トーマス・エジソンは1847年2月11日、アメリカ合衆国オハイオ州ミランで、貧しいオランダ系移民の父サミュエル・ジュニアと元教師の母 ナンシー・エリオットの7人目の末っ子として生まれました。

少年時代のエジソンは何にでも興味津々、「なぜ?どうして?」が口癖で大人を質問責めにしては困らせていました。小学校に入学するも、「なぜものは燃えるのか?」を知るために藁を燃やして自宅の納屋を全焼してしまったり、授業中も先生を質問責めだったり――入学3ヶ月で先生に「授業の邪魔だからもう帰って」と言われ、退学。

エジソンの母は多様な種類の本をエジソンに買い与え、学ばせることにしました。百科事典を一緒に読んだり、読み聞かせをしたり、熱心にエジソンの勉強に付き合っていたようです。やがてエジソンは一冊の高校教本『自然・実験哲学概論』に出会い、科学実験に取り憑かれました。この本が彼の生涯を決定したとも言えるでしょう。

少年時代のエジソン

1864年、17歳の時、エジソンに転機が訪れます。彼はカナダの駅で夜間電信係として働いていましたが、それは何事もなければ1時間おきに「自分が勤務に就いていることを示す信号」を送るだけの、ひどく退屈な仕事でした。それに飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明したそうです。後に上司にバレて怒られますが、これがエジソンの初めての発明でした。

それから寝る間も惜しんで発明に没頭したエジソンは、生涯におよそ1300とも言われる発明や技術革新による改良発明をしました。

1868年には電気投票記録機、1869年には株式相場表示機、1877年には電話機、蓄音機(録音、再生のできるレコードプレーヤー)を発明。

エジソンと蓄音機

1878年にはエジソン電気照明会社を設立。1879年にはすでにあった白熱電球の研究・改良を行い、全米に普及できるようにしました。

また、1880年には発電機を発明。それを利用し、公開されたばかりのドイツ製の電気機関車を、より高度な電気機関車へといとも簡単に改良しました。

その後も止まりません。1888年には改良型蓄音機、1891年には覗きメガネ式映写機(箱の中を覗き込んで映像を観る)、1897年には活動写真(スクリーンに映写する改良映写機)、1910年にはトースターを発明。 エジソンは1931年10月18日、84歳で亡くなりますが、80歳を過ぎても「私にはやらなければならないことがある、少なくともあと15年は働かねば!」と言いながら1日16時間ペースで仕事を続けていたということで、本当に驚かされます。

子どものやる気にどんな影響が?

「天才とは1%のひらめきと、99%の努力」。これは1902年頃の発言だと言われています。当時はというと、エジソンは会社経営がうまくいかず自分がつくった会社を追い出されたと言われています。そんな中でも、発明に没頭し続けていたわけです。

「ひらめきがあったのならしめたもの、努力をしまくってそれを形にする!」というエジソンのすさまじい発明への執念と集中力を感じますよね。

天才とは「ちょっとしたひらめきをとてつもない努力で形にできる人」と言えるのかもしれません。何かひらめいたことがあったのなら、行動してみないともったいない。エジソンの言葉は、お子さんに何かやってみるためのきっかけになるかもしれません。

参考文献

エジソンと発明 努力とひらめきで失敗を成功につなげた偉人(ジュニアサイエンス)

大森充香

丸善出版

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この記事を書いた人

天久 美海(あめく みう)

中学受験にて私立女子中高一貫校に入学、6年間を過ごす。
大学受験にて医療系学部に進学、在学中は勉学の傍、家庭教師として小学生から中学生までの多数を指導。
海外旅行を好み、卒後、数年働いて後にはカナダに半年留学。
医療系に長らく従事し、現在は、医療、教育、語学ジャンルの執筆を主としたワークスタイル。
個性が全く違う、それぞれ可愛い二人の小学生のママでもある。
悩みをさらっとでも打ち明けられる親以外の大人がいた事で救われた過去から、自身も誰かのそういう大人になることを心に誓い、細々ながら活動中でもある。

 
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