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【メッセンジャー 宮本康平さん】13年の挑戦で叶えた世界一の夢。自転車少年が世界最速のメッセンジャーになるまで

2022.12.26

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自転車で街中を颯爽と駆け抜け、書類や荷物を届けるメッセンジャー。宮本康平さんは、「安全」と「最速」を両立しながら、13年間のキャリアを築いてきました。2022年10月、世界中のメッセンジャーが集う世界選手権で、日本人として2009年以来の世界チャンピオンに輝きました。“世界最速”のメッセンジャーになるまでの道のりと、チャレンジの軌跡に迫りました。

     


     

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宮本康平みやもと・こうへい

1984年生まれ。福岡県田川郡川崎町出身。鹿屋体育大学を卒業後、2009年に福岡から上京してメッセンジャーの仕事を始め、現在は横浜に本社を置くCourio-City(クリオシティ)で東京23区の配送を担当。メッセンジャーネームは「ちかっぱ」。2022年10月に行われた世界中のメッセンジャーの祭典CMWC2022ニューヨーク大会で、8回目の挑戦にして悲願の初優勝を達成。翌11月に横浜で行われた日本選手権では運営側に周り、後進の育成にも熱意を注ぐ。2023年に横浜で行われる世界大会で日本人初の連覇を目指す。

公式サイト:有限会社クリオシティ

     

“土地を攻略”して、最速でお届けするメッセンジャーの仕事


     

――今回、メッセンジャーの世界一を決めるCMWC(Cycle Messenger World Championships/サイクルメッセンジャー世界選手権)で優勝されたんですよね。おめでとうございます!

     

ありがとうございます! いやぁ本当に嬉しいです。まだ、優勝の瞬間を思い出すとグッときてしまいます。

     

――メッセンジャーになって、何年目で優勝したんですか?

     

13年です。大会は今年で8回目のチャレンジでした。毎年、この大会を目標にやってきたのでついに夢が叶ったという感じです。

     

――すごいチャレンジ精神ですね! そのお話を聞く前にまず、メッセンジャーの業務について伺ってもいいですか?

     

はい。メッセンジャーは、自転車を使って書類や原稿などを当日中に指定の配送先に届けます。うちでは一般的な書類やアパレルのサンプルなどの他に、船の輸出入の貿易の書類の代行業務なども請け負っています。商工会議所や銀行の業務などの仕事もありますよ。

     

――バイク便やトラック便と比べて、どんな魅力があるのでしょうか。

     

人力で、小回りが利くところですね。安全第一なので道路交通法は遵守していますが、平坦な道だったら40キロぐらい出るので、一方通行や路地が多い都心では車やバイクより速いと思います。

     

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街中を颯爽と駆け抜ける(写真:本人提供)

     

――書類とはいえ、人力となるとかなりの重労働ですよね?

     

そうですね。たしかに脚力や体力は必要ですが、土地を攻略して近道を使うなど、スキルを磨いて時間を短縮できます。その積み重ねで一日の売り上げや月の収入が変わって、はっきりと数字に出るのでモチベーションになるんですよ。

     

自分はスピードを売りにしているので、「もう届いたんですか!」と驚かれることもあります。急ぎの方には前もって「必ず間に合いますよ」と伝えて、安心していただけるようにしています。

     

――大雨や強風など、悪天候の日は大変そうですが、仕事量は変わらないんですか?

     

はい。特に冬の雨はタフでキツイですが、天気が悪いときの方が、需要は多かったりするんですよ。どんな天候でも仕事をスムーズにこなすために、ウェアは機能性や速乾性を大事にしています。会社のサイクルジャージもあるのですが、うちの会社は好きなウェアを着ていいので、下は短パン、上はサイクルジャージというスタイルが多いですね。

     

メッセンジャーはアパレル業界から転向する人も多いので、おしゃれな人が多いですし、見た目から入る人も多いんですよ。

     

――だから、走っている姿が絵になるんですね! 1日に何キロぐらい走っているんですか?

     

100キロぐらいは走っていると思います。全力で漕いでは止まる、の繰り返しなので、単純に100キロ走るのよりも、体力や集中力を使います。その分、仕事の後は達成感と共に疲れも溜まるので、同僚と飲みに行って乾杯するのが楽しみの一つです。

     

休みの土日は整体に行ったり、お風呂でストレッチなどケアをしたりして、ゆっくり休んでいますよ。

     

――アスリートのような生活ですね。ところで、宮本さんはなんで「ちかっぱ」と呼ばれているんですか?

     

メッセンジャーは仕事中に無線でやりとりをするので、混乱しないように一発でわかる愛称をつけるんです。
「ちかっぱ」は、“力いっぱい”が語源の「とても、すごく、めちゃくちゃ」の意味です。英語で「very」になりますね。

     

今の会社に入社当初、家から事務所までの35kmを60分台で通っていました。もちろん自転車で。そんなこともあり、社長の奥さんが同じ福岡出身で、「ちかっぱで良いじゃない?」という感じで、鶴の一声で決まりました。メッセンジャーネームなんて、そんな簡単に決まるんです(笑)。 

     

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1日に100キロ以上走る(写真:本人提供)

     

     

     

自転車に夢中になった大学時代。1日100キロ〜200キロ走っていた


     

――宮本さんはもともと、自転車がお好きだったんですか?

     

はい。小さい頃から体を動かすのが好きで、小学校の頃からいろんなところに自転車で行っていました。ただ、本格的に乗り始めたのは大学の時です。

     

小学校の頃はソフトボールをやっていて、中学から大学まで10年間はサッカーをやっていました。

     

――スポーツ全般が得意だったんですね。

     

はい。英語・数学・国語・理科・社会の五教科は苦手で(笑)。体を動かすことの他に、ファッションやアートにも興味がありました。高校時代の体育教師が自分の可能性を引き出してくれる方だったのも大きいと思います。

     

「お前には生徒会長が向いているからやってみろ」と言われて、やったりもしました。

     

――生徒会長ですか! どうでした?

     

全校生徒の前に出る時に笑いを取ったりして、意外と人気だったんですよ(笑)。目立つのが好きだったので、向いていたと思います。

     

それで、自分も子供たちの可能性を引き出せる先生になれたらいいなと思って、鹿児島の鹿屋体育大学に進みました。

     

――体育教師を目指していたんですね。そこで、自転車に出会ったんですか?     

     

はい。自転車に向き合うようになったのは、ケガのリハビリがきっかけだったんですよ。

     

サッカーをしていて大きなケガをしてしまったのですが、スポーツなしの人生が考えられなくて。リハビリで自転車と泳ぎをしていたんですが、それまでチームスポーツばかりだったので、自分だけの力で順位がつく個人種目に挑戦してみたいと思っていました。

     

たまたま、通っていた鹿屋体育大学は自転車競技部が日本一で、憧れもあって大学3年の時にトライアスロンに取り組むことにしたんです。それから、大学3、4年の時にマラソンや遠泳など、出られる大会にはすべて出場しました。

     

そうしたら自転車のロードレースの大会で3位になって、「これはいけるかもしれない」と。走りや泳ぎと比べても自転車のタイムだけ群を抜いて速かったので、自転車だけに絞ってもいいんじゃないかと思って、それから自然と「自転車でご飯を食べていけたらな」と考えるようになりました。

     

――その頃からスピードに自信があったんですね。

     

はい。ロードバイクに出会ってからは「こんなに速い自転車があるんだ!」と、タイムを縮めることに喜びを感じるようになりました。お金を貯めて自分の愛車を買って、水を得た魚のように毎日100キロ〜200キロ走って、九州縦断もしました。街並みを見たり、いろいろと考えながら走ったり、無心になれるところも自転車の魅力だと思います。やろうと思えば、全国一周もできたと思います。

     

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 ロードバイクでスピードを磨いてきた(写真:本人提供)

     

――エネルギーを注ぎ込んだんですね。メッセンジャーの仕事を始めたのは、どんなきっかけだったんですか?

     

ファッションが好きだったので東京に憧れがあったのですが、「東京で暮らしたい」と思ったときに、メッセンジャーという仕事があるのを知ったんです。見た目がスタイリッシュで、普通の自転車とはまったく違う乗り物なので「移動も楽しい」というところに惹かれました。無線で仲間とつながっていますが、一人で仕事をできる気楽さも魅力だと思います。

     

ロードレーサーや競輪選手なども選択肢にありましたが、ロードレーサーは狭き門だし、競輪選手は瞬発系の筋肉が必要で、自分はどちらかというと持久系だったので。自分の強みを活かせるメッセンジャーの道に進みました。

     

     

     

13年越しのチャレンジで世界の頂点へ


     

――夢中になれることや、得意なことを突き詰めた結果が、13年間のキャリアにつながっているんですね。どんなことを原動力にしてきたんですか?

     

仕事では「前日より多くの成果を上げて、売り上げを増やす」という日々のモチベーションがあります。

     

もう一つは、CMWC で世界一になることです。2009年に上京したんですが、当時のCMWCの世界チャンピオンが、2008年のトロント大会で優勝した日本人のSINOさんという方で、「世界で一番速い人が日本にいるなら、この人に勝ちたい」と。ただ、SINOさんはスピードが尋常じゃないぐらい速くて、雰囲気もカッコいいんです! すっかり魅了されて、それ以来、目標にしてきました。

     

――最初にCMWCに出場したのはいつだったんですか?

     

2009年の東京大会です。結果は128位で、予選落ちでした。優勝したのはJURIさんという方で、SINOさんは2位だったんですが、表彰台に並ぶその2人を見て「その場に自分も立ちたい」と強く思ったのを覚えています。

     

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大会では指示書をもらってタイムを競う(写真:本人提供)

     

――128位からの挑戦……厳しい道のりですね。それから13年間、世界一になるまで諦めずに続けることができた理由は何だったんでしょうか。

     

もちろん、勝てない悔しさもありましたが、CMWCという大会そのものに魅了されたことが大きいですね。

     

全部で1週間ぐらいの日程なんですが、大会参加者は300〜500人ぐらいいて、1日がかりで予選を行い、決勝も4時間〜5時間かかるタフなレースです。ただ、レースが終わったらお酒を飲みながら各国のメッセンジャー同士がお互いの仕事を労って、コミュニケーションを取り合う場にもなっているんです。そのお祭りのような雰囲気がすごく良くて、たくさんの友人ができました。

     

年に1回の大会で、その仲間たちに会うことを楽しみにしてきました。世界中に友達ができたことは財産ですし、8年目ともなると同窓会のような雰囲気もあります。その中で毎回、上位に食い込む仲間たちと競いながら、「世界一になる」という目標だけは見失わないようにしようと思って挑戦を続けてきました。

     

CMWC2022プロモーション映像

     

――それで「世界一になる」という初志を貫いたんですね。ただ13年間で8回ということは、出場しなかった年もあるんですか?

     

はい。航空券や滞在費はすべて自費なので負担が大きいですし、仕事環境が変化した年などは、モチベーションが上がらなくて出場を断念したこともあります。ただ、2015年からは、新型コロナで中止だった2年間を除いて6大会連続で出場して、今年のニューヨーク大会でようやく優勝することができました。 

     

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CMWCニューヨーク大会で優勝(写真:本人提供)

     

――改めて、おめでとうございます! 優勝の決め手は何だったんでしょうか。

     

シンプルにスピードですね。他の選手に比べて体は小さかったのですが、速さでは負ける選手がいなくて、予選はミスもあったのに3位になれたので「優勝できるかも」という手応えを感じていました。

     

レースでは、「マニフェスト」と呼ばれる指示書の内容をいかに早く終わらせるかを競うんですが、会場のブルックリンの地図を完璧に頭に入れて、体でルートを覚えていたので、マニフェストをもらったときにすぐにルートを思い描いて冷静に走ることができました。いつもなら焦るところで焦らず、落ち着いて実力を出し切れたことが勝因だったと思います。

     

――緻密な準備が実ったんですね。優勝の瞬間はどんな気持ちでしたか?

     

一気に緊張の糸がほぐれて、泣き崩れましたね。コロナ禍で2年ぶりの大会でしたし、日本人の優勝は2009年以来出ていなかったので、喜びはひとしおでした。 

     

2位から5位までのトップ5は、これまでの大会で競い合ってきた友人たちで、みんな優勝できなくて悔しいはずなのに、「ちかっぱおめでとう!」と次々に抱きしめてくれて涙が溢れてしまいました。帰国してから、元世界チャンピオンのSINOさんとJURIさんにも報告しに行きましたよ。「ニューヨークでの優勝はうらやましいな」と言ってくれて。本当に嬉しかったです。

     

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世界一の夢が叶って嬉し涙(写真:本人提供)

     

――写真からもその喜びが伝わってきます。来年は、横浜で大会が行われるそうですね!

     

そうなんです。開催地は、毎年、CMWCの予選前に行われるオープンフォーラムで決めるんです。各国の選手がそれぞれアピールして、最終的に多数決で決めるんですが、初めて手を挙げた2018年のリガ(ラトビア)大会では、私が心を込めて横浜の魅力をアピールしました。その年はコロンビアになったんですが、翌年のフォーラムで、みんなが「横浜に行きたい!」と言ってくれて、競っていたマドリードに勝って開催権を得ることができました。

     

新型コロナウイルスの影響による延期や、コロンビアの国内情勢による辞退などもあって、来年の大会が横浜で開催されることになりました。

     

――宮本さんが大会に出場し続ける中で苦労して勝ち取った開催権だけに、ますます気合が入りますね。

     

そうですね。もちろん、ディフェンディングチャンピオンとして連覇を目指します。

     

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仲間の祝福を受けて笑顔。右が2位のダーシー(シドニー)
左が3位のダニエル(メキシコシティ)(写真:本人提供)

     

     

     

燃え尽きてからの新たなチャレンジ


     

――11月には横浜で行われたJCMC(サイクルメッセンジャー日本選手権)にも出場されたそうですが、どうでした?

     

今回は運営側だったんですが、選手としてもエントリーしました。「世界チャンピオンが参戦する」と言われて、かなり煽られました(笑)。そのプレッシャーをバネにして頑張ったんですが、決勝でミスをしてしまいまして……。上位はかなりの僅差なので、一つのミスが大きなマイナスになるんです。長年の夢を叶えたので、燃え尽きてしまった感じもあって、不甲斐ないです。

     

ただ、福岡の親友が優勝したことは素直に嬉しかったですし、来年のCMWCの前哨戦として、大会が成功に終わったことが何よりです。今回、100人以上のメッセンジャーが出場してくれて、新しい世代が出てきてくれたことも嬉しく感じています。

     

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親友の優勝を祝福する宮本さん(写真:本人提供)

     

――改めて、次の目標を聞いてもいいですか?

     

来年のCMWCで、海外から自分を倒そうと狙ってくる選手たちに勝って、2連覇したいですね。運営側としても大会を成功させて、みんなに笑顔で帰ってもらいたいです。

     

自分がSINOさんに憧れてメッセンジャーになったように、自分を見て一人でもメッセンジャーが増えたら本当に嬉しいですね。それから、大学時代に教員免許を取ったので、いつか教壇に立って子供たちに夢を叶える素晴らしさを伝えることができればいいなと思います。

     

まずは少し休んで、また来年の大会に向けて一から頑張りたいと思っています。

     

――いろいろな目標があって、チャレンジしがいがありますね! 最後に、宮本さんのように、夢中になれるものを見つけるためのアドバイスをお願いします。

     

自分は勉強が嫌いでしたが、体育やファッション、アートが好きでした。好きなことしか本気でやれなかったからこそ、「好きなことはとことんやろう」と思ったんです。

     

今はいろんな職業が出てきて、SNSも普及しているので、情報が多すぎて好きなことを見つけづらくなっているかもしれないし、そもそも好きなことが仕事にならない可能性もあるかもしれません。ただ、ちょっとでも「好きかな」と思うことが一つでもあれば、それを本気で突き詰めてみると、見えてくるものがあるんじゃないかな?と思います。

     

「やりたいこと」と「できること」は必ずしも一致しないと思うので、趣味と仕事を割り切って「好きなこと」を探すのもいいと思いますよ。

     

――ありがとうございました。来年の大会で2連覇を期待しています!

     

     

 


 

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この記事を編集した人

ナカジマ ケイ

スポーツや文化人を中心に、国内外で取材をしてコラムなどを執筆。趣味は映画鑑賞とハーレーと盆栽。旅を通じて地域文化に触れるのが好きです。

 
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