仕事・働き方

川端友紀「女子が野球で夢を見られる世界に」レジェンドが語る新たな挑戦

2021.03.9

長年に渡りトップ選手として女子野球界を牽引し続ける川端友紀さんに、野球にかける熱意や現役にこだわるモチベーションについてうかがいました。
▶野球選手インタビューシリーズはこちら

 

 


 

 

川端友紀(かわばた・ゆき)

1989年5月12日生まれ。大阪府貝塚市出身。2010年、女子プロ野球リーグ第1期生として京都アストドリームスに入団。実兄は東京ヤクルトの川端慎吾で、日本初の「兄妹プロ野球選手」としても話題に。入団1年目から数多くのタイトルを獲得するなど、人気・実力共に女子野球界のトップ選手として長年に渡り活躍。女子野球ワールドカップでは、主力選手として4大会連続で出場し、日本チームの大会6連覇に貢献した。現在、エイジェック女子硬式野球部の選手兼コーチとして後進の指導にあたりながら、更なる女子野球界の発展と普及活動に尽力している。

 

 

 

女子プロ野球選手への道


 

やる気ラボの勝部です。
本日は女子野球選手の川端友紀さんにお話をうかがいます。よろしくお願いします!

 

よろしくお願いします!

 

川端さんといえば、言わずと知れた女子野球界のレジェンドです。そんな川端さんが、野球を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?

 

父が監督をしているチームで兄が野球をしていたので、小さい時から私自身も週末の練習には必ずついていくというような日々を過ごしていました。チームの女の子が、そんな私を見て「一緒にやらないか」と誘ってくれたのがきっかけで、私も入団することにしたんです。

 

野球に興味を持つのは当たり前の環境だったわけですね。

 

 

 

しかし、当時はまだ女子野球選手が少ない時代。男子と同じチームでプレーすることに抵抗などはありませんでしたか?

 

抵抗がなかったというわけではありません。子どもだったこともあって、コミュニケーションもうまくとれなかったですし、二人組のストレッチの時などは茶化されることもありました。また、男子は外でバーッと着替えたりするんですけど、そういうこともできないですし、やっぱり男女差という面では苦労することも多かったです。「うまくなりたい」という気持ちが強かったので続けていたんだと思います。

 

中学校からはソフトボールを始められ、高校卒業後は企業チームにも入団されました。野球からソフトボールへの転向は、そういった面も大きかったのですか?

 

というよりも、今ほど女子野球が発展しておらず、女子の日本代表や女子プロ野球リーグもなかったので、当時は女子が野球を続けていって目標にできる場所というのがなかったというのがいちばんの理由です。そういった背景もあり、父に「ソフトボールで世界を目指したらどうだ」と勧められて、オリンピックを夢に持って中学校からはソフトボールを始めることにしたんです。

 

けれどそんなソフトボールも、私が高校生の時にオリンピックの種目から外れてしまったんです。中学生の時からの夢を失ってしまい、同時に続けていくモチベーションも下がってしまいました。ソフトボールから離れて、アルバイトしていた時期もありますよ。

 

そんなことがあったとは…。しかし、そこから再び野球に転向。プロ野球選手になるまでに何があったのでしょうか?

 

ソフトボールから離れてアルバイトをしていた時、私が高校生だった時の校長先生から連絡をいただたんです。兄も同じ高校の出身でプロ野球選手になったんですけど、その妹である私がソフトボールをやめたと聞いて心配してくださったようで…。「男子の独立リーグのチームで野球をやってみないか?」と連絡してくれたんです。

 

ふむふむ。

 

せっかくお話をいただいたので試合を見に行ったんですが、その時にたまたまチームの方々に「女子プロ野球ができるらしいよ」というお話をうかがったんです。

 

ビックリしました。自分でネットを検索しみたら本当に出てきて、しかもトライアウトの締め切りまであと1週間。縁を感じたので「とりあえず受けてみよう!」と、すぐに入団テストを受けることにしたんです。

 

すごい挑戦ですね!

 

トライアウトの直前に猛特訓しました。子どもの頃は外野手やファーストをやっていて、ソフトボールの時はずっとピッチャーをやっていたんですけど、父からの勧めもあり内野手と投手で挑戦することになりました。

 

小学生ぶりの野球、不安はありませんでしたか?

 

ソフトボールをやめてから1年くらいたっており、身体もぜんぜん動かしていなかったので、不安はもちろんありました(笑)でも、不安な気持ちよりも、新鮮で楽しい気持ちが勝っていた気がします。本当に夢中で練習に取り組んでいましたから。

 

結果は、京都アストドリームスから内野手部門1巡目で指名。堂々たる内容で女子プロ野球の門をたたいたわけです。

 

いろいろなタイミングが重なって、女子プロ野球の世界に飛び込んだという感じです。あの時、ソフトボールをやめていなかったら、そんなに急に野球に転向できていなかったわけですし、人生本当に何があるかわからないものですね。

 

人のつながりと努力が、現在の川端さんを作ったのですね。

 

 

 

「負けたくない」が
川端友紀の原動力


 

しかし、川端さんが入団された2010年が女子プロ野球開催の初年度。いわば未知数の世界です。そこに飛び込んでいこうと思った「やる気」の源はなんだったのでしょうか?

 

兄が夢を叶えるのを間近で見たことが大きかったのかもしれません。子どものころから「甲子園に出る」「プロ野球選手になる」という夢をずっと口にして、それを本当に実現して…。そんな姿を見て「すごいな」と思い続けてきたのと同時に、「プロ野球選手になりたい!」という夢を語れる兄が羨ましかったんです。

 

だから、実際女子プロ野球発足の話を聞いたときに、「第1期生になれるかもしれない」というところにワクワクを感じました。自分たちで作っていく、築いていく、そういった立場でやれたらかっこいいなと思いました。プロの世界が大変だということは知っていましたけど、そういう高いレベルで挑戦したいという思いがモチベーションになったんです。

 

「女子プロ野球での活躍」が川端さんの新しい夢となった訳ですね。
入団してからはどうでしたか?

 

監督やコーチ、先輩にいろいろ教えてもらいながら試行錯誤してやっていました。なにせ初めて知ることばかりだったので、ただただ必死で食らいついていました。

 

それでも、1年目から遊撃手のレギュラーとして全試合に出場し、リーグトップの打率を残し首位打者を獲得。その後も、数多くのタイトルを獲得するなど、人気・実力共に女子プロ野球界のトップ選手として長年に渡り活躍されました。どうしてここまでの成績を残すことができたのでしょう?

 

「ライバルに勝ちたい」「負けたくない」といった気持ちと、成長を感じる楽しさがいちばんの原動力でした。

 

私は、昔から小さいことでも負けたくないという気持ちが強くて、ウォーミングアップのダッシュとかでも隣の子に負けたくないと思っていたほどです(笑)「あの子が陰でもっと練習しているかもしれない」「もっとやらないといけない」という気持ちが、自身のやる気になっていったので手を抜かずに頑張ることができたんじゃないかと思います。そして、その頑張りによって新しいことがどんどんできるようになる。それが楽しさにつながっていたんです。

 

ライバルに負けたくないから練習する。上達を実感して楽しくなり、もっと練習したいと思う。まさに好循環ですね。

 

 

しかし、楽しいことばかりではなかったと思います。川端さんは、野球をしていて落ち込んだり、つらい経験をしたりすることなどはありませんでしたか?

 

もちろんありました。いちばんはやっぱりケガですね。ケガしてしまった時は、気持ちも落ち込みますし焦ります。練習したいけど我慢しなければいけないというのが、私にとってすごく大変なことでした。

 

ケガの影響もあって、2018年には一度引退も発表されました。

 

ケガはたくさん経験してきたんですけど、あの時は「練習が全力でできない」「調整しないといけない」というところに、心の中でズレが生じてしまったんです。試合に向けた調整をすること自体が目的になってしまって、それが自分の中で違うなと思い始めました。そういったことがきっかけとなり、野球から距離を置こうと、区切りをつけたんです。

 

川端さんの中で、モチベーションのサイクルが崩れてしまったということですね。

 

 

自身のプレーで
女子野球を牽引し続ける


 

しかし、翌年の2019年、エイジェック女子硬式野球部の選手兼コーチとして現役復帰を果たされます。ここには、どのような思いがあったのでしょうか?

 

現役を引退した当初は、指導者をはじめ、女子野球発展にかかわるお仕事につこうと次の道を探していました。けれど、探しているうちに「身体が動くうちはプレーで後輩たちに伝えたい」という思いや、「選手たちのやる気の材料になれたらいいな」という思いがわきあがってきたんです。そこでもう一度、現役復帰しようと決心しました。

 

「プレーで後輩を育てたい」という思いが、新たなモチベーションになったのですね!

 

はい。ただ、現役復帰すると、やっぱり負けたくないという気持ちが前面に出てきてしまって…(笑)
私自身、選手兼コーチという立場にあるのですが、チームは「コーチとして学びながらも選手としても頑張りたい」という気持ちを尊重してくれているので、今はどちらかというと選手寄りのスタイルでやらせていただいている感じです。

 

そういった環境からも、女子野球の発展が感じられます。
川端さん自身も、さらなる女子野球の発展に対して何か思いはありますか?

 

そうですね。私が子どもの頃に女子野球に対して夢を見られなかったという思いもありますし、まだまだ環境は発展させていかなければいけないと感じています。そのためには、私たち選手自身が憧れてもらえる選手になること。そして、レベルの高い選手の育成。そういったところに力を入れてやっていけたらと思っています。

 

これから野球をやってみたいという人たちに向けて、野球の魅力を教えてもらえますか?

 

1人だけが上手でも、なかなか勝てないというのが野球の面白さです。どんなプレーでも他のメンバーとかかわることが多いので、チームワークが大切になる。今はできないプレーがたくさんあるかもしれないけど、チームで練習してできることが増える楽しさというものを味わってもらいたいですね。

 

 

それでは最後に、「やる気が出ない」「やりたいことがみつからない」といった読者の皆さんにアドバイスをお願いします。

 

誰でも、やる気が出ない時ってあると思います。そんな時でも、「やる気がでない自分はダメなんだ」と責めず、受け入れてあげることが大切です。気持ちも身体も休めてあげて、オンとオフを切り替えるのがいちばん重要なことだと思います。

 

私が野球に出会って本気で取り組めたのは、運が良かったからだと思います。だから、やりたいことがみつからない人は、何事もやらずに「向いていない」と決めつけないで挑戦してみてほしいです。私も女子プロ野球のテストを受けたときも、まさかこんなふうになっていくとは想像もしていませんでした。一つのことからいろんなつながりが生まれてくるという楽しさを忘れず、頑張ってほしいですね。

 

ありがとうございました!
川端友紀さんの今後のご活躍を期待しています。

 

 

 

 


 

\ 川端友紀さんをフォローしよう! /

 

\ エイジェック女子硬式野球部をフォローしよう! /

 

\ ライターをフォローしよう! /

 

 

あわせて読みたい

 

新着コンテンツ

この記事を書いた人

勝部晃多(かつべ・こうた)

やる気ラボの娯楽記事担当。23歳。ハウストラブルコラムやIT関連のニュースライターを経、2019年8月より現職。趣味はプロ野球・競馬観戦や温泉旅行、読書等と幅広いが、爺臭いといわれるのを気にしているらしい。性格は柴犬のように頑固で、好きな物事に対する嗅覚と執念は異常とも評されている。

 
ライター募集中!
 

ページTOPへ