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【やる気が出てくる世界の言葉】「席を立たなかったクローデット」言うべきことを言うための勇気が出る言葉

2019.09.26

親子で学びたい。我が子に伝えたい。そんな気持ちになれる、やる気が出てくる世界の言葉。歴史上の偉人や名著からピックアップ。その言葉はどうして出てきたのか、お伝えしていきます。
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突然ですが、お子さんはご家庭や学校などで自分の意見を言う事が得意ですか? それとも、意見を主張しなければいけない場面で怖じ気づいてしまい、何も言えず小さくなってしまい、親として心配になるということの方が多いでしょうか。

お子さんに限らず、自分の意見や考えを声に出して言う事が好き、得意、積極的にやりたい! という人は少ないのではないかと思います。

何か小さなことがきっかけで自尊心が傷ついてしまっていて、自分に自信が持てない子にとっては特に苦手意識が強いことかも知れません。

しかし、長い人生においては、そういった行動に出なければならない時が必ずやって来るのです。

そのような状況でお子さんのためになり、勇気を与えてくれる。そんな「やる気が出てくる世界の言葉」が書かれた一冊の本を紹介します。

【やる気が出てくる世界の言葉】
私は自分たちの権利の為に行動したのです
I acted for our human rights.

席を立たなかったクローデット〜15歳、人種差別と戦って〜/フィリップ•フース(汐文社)

どんな人が言ったのか?

この本は、人種差別が最も激しかった1950年代、アメリカ南部のアラバマ州で、自らが受けた不当な扱いに対し勇敢に立ち向かった少女クローデットの物語です。

まずは、この物語の背景から。皆さんは、「ジム•クロウ法」というものをご存知でしょうか。

南北戦争終結後も安い黒人の労働力が欲しかった南部の白人達は、黒人達が自分たちと同じ権力を持つ事を恐れ、黒人の生活を細かく規制する法律を施行しました。

これが「ジム•クロウ法」と呼ばれます。白人と黒人を分離し、屈辱的な方法で人種差別が公然と行われていました。黒人達の自尊心は傷つけられ、人権は踏みにじられていたのです。

有色人種専用の水飲み場(1950年頃)

しかし、不当に虐げられていた黒人達が何も声をあげていなかったのなら、今私たちが当たり前のように享受しているアメリカの優れたエンターテインメントや、アメリカ初の黒人大統領の姿を見ることはなかったでしょう。

敢然と差別に立ち向かい、権利を主張するために立ち上がった黒人達。それを導き、黒人達への啓蒙に生涯を捧げたのが、マーティン•ルーサー•キング牧師です。

非暴力を掲げたキング牧師が導く公民権運動は全米に広がっていき、一致団結した懸命な運動は、やがて白人達の良心をも動かしていきます。

熱心な活動の末、黒人への差別を禁止する「公民権法」の制定を勝ち取ったのでした。

この物語の主人公、クローデットが生きたのはこのような時代です。クローデットは1939年に生まれた黒人の少女です。

養育能力が低かった両親と離れ、親戚のもとで愛されて育ちます。好奇心旺盛で利発だった彼女は、小さな頃から黒人の地位が白人より低いという現実に疑問を抱いていました。

なぜこんな差別があるのか

例えば、こんなことがありました。クローデットが高校に入学した年、近所に住んでいたリーヴスという青年が、白人女性に暴行をしたという罪で逮捕されたのです。

リーヴスは周囲の尊敬を集める、心正しい青年でした。警察が自白を強要したのだと、誰もが知っていたにも関わらず、リーヴスの罪は大きくなりついには死刑となってしまいます。

この事件がきっかけとなり、クローデットの疑問は怒りへと変わります。人種差別を黙って受け入れている大人、屈辱的な扱いを受けながらも白人にへつらう人々に、クローデットは絶望に近い気分を味わいます。

黒人と白人の間にある壁

しかし、出会いもありました。高校で出会ったネズビット先生は国語の教師でしたが、文学を通して「自分たちの置かれている世界の状況」や「深い教養」を彼女に与えてくれたのです。

南部の主要産業である農業を支えてきた自分たちの歴史を学んだことは、クローデットに黒人であることの誇りを取り戻させました。

1955年3月、クローデットは当時15歳。学校の帰り道にバスに乗ります。白人の乗客が増えて来たとき、バスの運転手に「席を譲れ」と命令されました。

しかし、立っていた白人女性はお年寄りでもなければ、けが人でもありません。クローデットは今までずっと差別に耐えてきて、もう限界でした。運転手の命令に応えず、席を譲らなかったのです。

運転手が怒ってバスを停めると、警官が乗り込んできてクローデットをバスから引きずりだそうとしました。

しかしその間、クローデットは必死に抵抗します。「私は白人の乗客と同じ料金を払っている。座る権利がある」と。しかし、その訴えも空しくクローデットは逮捕されてしまうのでした。

クローデットのこの行動は、当時新聞に取り上げられたこともあり、アラバマ州に留まらず全米の黒人達の共感を呼び、遠く離れたカリフォルニア州からも賞賛の手紙が届いたほどでした。

クローデットの行動が黒人の共感を呼ぶ

事件をきっかけに黒人の指導者達は動き出します。クローデットにはグレイ氏という黒人弁護士がつき、人権を訴える団体のリーダーが集まり地元警察と不平等な法律を巡って会議がもたれました。

参加者の中には、牧師になったばかりの若きマルティン・ルーサー・キング牧師もいたのです。

キング牧師

数々の支援を受けてクローデットは裁判に臨みますが、有罪判決を受け保護観察処分となります。勇気ある行動は認められたものの、有罪となったクローデットに対し世間は冷たくなりました。

高校の同級生たちは露骨に彼女を避け、何かと噂しました。驚くべき事に、それでもクローデットは自分の主張を貫いたのです。

その強さは、グレイ氏が起こした人種差別に反対する訴訟で、原告に選ばれたことで証明されます。

逮捕され、裁判にかけられ、非難を浴びたあとにも、自分の考えを変えなかったクローデット。今回の名言はそんな彼女の言葉が、こちらです。

【やる気が出てくる世界の言葉】
私は自分達の権利の為に行動したのです
I acted for our human rights.

訴訟に勝ち、白人と同様にバスに座る権利を勝ち取ったあとも、おごることなく、ただ「自分の権利」の獲得に尽くしただけだと言う彼女。 同じ黒人の仲間から冷遇されたにも関わらず、民族としての誇りを失わず闘ったことへの達成感があふれる言葉ですね。

不当な扱いに憤りながらも、行動を起こせなかったクローデットの親世代。クローデットが起こしたこの事件や、権利を訴える裁判がなかったら、自分の置かれた不当な境遇すら気付かない人がいたかもしれません。

また、行動を起こせずにいた大勢の人にも、無からは何も生まれないということ、訴え続けることで世界は変わるということを知らしめました。

彼女の勇気ある行動が、人々の連帯感を強め、公民権運動につき進むきっかけを生んだのです。

子どものやる気にどんな影響が?

目標に向かってやる気を出す子ども

声をあげることは、たやすいことではありません。クローデットのように非難の的になる可能性があるかもしれません。

しかし、クローデットのような黒人たちの「自分の考えを人に伝える」「何があっても曲げることができない自分の意志を持つ」という行いが、やがてアメリカ社会を大きく変えるうねりとなっていきました。

時代を超えてもなお、人を取り巻く環境は苛酷なものです。子どもの世界も同じです。友人に囲まれ、一見楽しそうに過ごしていても、小さな衝突や理不尽は常に起こっていて、自尊心がすり減っていくお子さんもいるでしょう。

ジム・クロウ法のうちの1つによってできた、
「有色人種専用待合室(COLORED WAITING ROOM)」と書かれたバス停の看板

クローデットの大きな勇気。彼女を知らなかったお子さん達も、彼女の姿勢に学び、共感してくれると願っています。

参考文献:約束の地を目指して〜M.Lキングと公民権運動〜
     梶原寿 著

     キング牧師ってどんな人?
     J.T.ドゥケイ 著

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この記事を書いた人

藤原 望(ふじはら のぞみ)

1993年生まれ。埼玉県出身。大学卒業後は福祉施設に勤務するが、社会人5年目で一念発起し文章を扱う仕事を目指す。この世で好きなもののトップ3は本、映画、お酒。

 
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