子育て・教育

【やる気が出てくる世界の言葉】意志あるところに道は拓ける。お子さんに、強い意志を持つことの大切さを伝える名言

2019.07.18

親子で学びたい。我が子に伝えたい。そんな気持ちになれる、やる気が出てくる世界の言葉。歴史上の偉人や名著からピックアップ。その言葉はどうして出てきたのか、お伝えしていきます。
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〇〇をする、やっぱり△△にする、あ、やっぱ☆☆にしようかな…

子どものやりたいことの方向性は結構フラフラしがちです。

今回は、そんなお子さんを見守るお父さんお母さんのための「やる気になれる名言」です。お子さんに強い意志を持たせるためのきっかけになるかもしれません。

Where there’s a will,

there’s a way.

意志あるところに道は拓ける。

エイブラハム・リンカーン

どんな人が言ったのか?

奴隷解放宣言で有名な第16代アメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉です。

エイブラハム・リンカーン

リンカーンは1809年生まれ。アメリカ合衆国ケンタッキー州の開拓地、大工で生計を立てていた父手作りの、居室がたった1室の小さな丸太小屋で生まれました。両親とも人格者だったようです。

少年時代のリンカーンは、開拓地住まいということもあり、延べにしても一年程度の細切れの基礎教育以外に正式な教育は受けていませんでしたが、独学を続けました。借りられる本はすべて借りて読み、学ぶ、読書家でもありました。

貪欲に学んだ日々

青年時代、1830年に父の土地問題でイリノイ州へ引越しをし、船乗り、店員、民兵、などさまざまな職を経ながら討論クラブの集会にも参加、次第に人望を集めていきました。

失業してもその人望から、友人の援助で郵便局長に就任。また、別の友人の援助で政界に繋がりのある群測量士の助手の職に就き、1834年にはイリノイ州議会議員に当選。独学で法律を学び、1836年には弁護士資格を取得しました。

ですがその後順風満帆に大統領になったわけではありません。州議会議員選挙に落選、再当選後には3度にわたり下院議員選挙に出馬するも落選、上院議員選挙では2度の落選、副大統領に出馬するも落選……たやすい道のりではありませんでした。

やがて1861年3月、リンカーンは大統領就任。その次の月には南北戦争が始まりました。リンカーンは北軍を率いました。

かつてあった争い

後に奴隷解放宣言をしたリンカーンですが、元々奴隷制度に反対だったわけではありません。

南部の主要な財源、綿花栽培を安価に済ませるため奴隷がたくさん働いていたのですが、リンカーンは、南部が海外と自由貿易を始めて経済的に潤うことで南北が分断されてしまうことを危惧。南部の奴隷制度を廃止にしました。

そしてその後、南北戦争による国家分裂の危機を乗り越えたアメリカ合衆国は、ひとつの一国としての判断を下しました。イギリス、フランスなど、すでに奴隷制度を廃止している国々との関係性を考え、北部の奴隷制度も廃止することになりました。

国家間の関係性に配慮したまでに過ぎないとも言えるかもしれません。ですが、結果的には奴隷制度が全面廃止になりました。リンカーンは人道的な意味合いも含めて「奴隷解放の父」と呼ばれるようになりました。いまや最も偉大な大統領の一人として、その名は後世まで語り継がれています。

ラシュモア山国立記念公園
リンカーンはいちばん右

どんな時に言われたのか?

リンカーンが国政を目指し始め、大統領になるまでには、結局30年近い歳月がかかりました。簡単にはいかなかったのです。それでも、最終的には目指したアメリカ合衆国大統領になることができました。

どんなに困難で険しい道のりでも、それをやり遂げる強い意志さえあれば、必ずや道は拓ける。まさに「意志あるところに道は拓ける」を地で行った人生だったのです。

またリンカーンは奴隷解放宣言の5年前にも、この名言を演説中に口にしています。当時のアメリカでは、奴隷が白人と共生することは困難だ、国外へ移住させることが最善だと考えられていました。しかし、その後アメリカは共生への道を歩み始めることとなります。その「意志」をうかがわせる一言といえるのではないでしょうか。

お子さんの「やる気」にどんな影響が?

片田舎の小さな丸太小屋に生まれながらも、最終的には念願だったアメリカ大統領にまで上り詰めたリンカーンを思えば、

八方塞がりになった時にも、諦めそうになった時にも、強い意志さえあれば道は本当に拓けるのだという希望を見いだせるのではないでしょうか。

それはまた、意志を持ち続けるための大きな助けとなるはずです。

参考文献

 リンカーン演説集

  エイブラハム・リンカーン

  訳)高木八尺、斎藤光

  岩波文庫

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この記事を書いた人

天久 美海(あめく みう)

中学受験にて私立女子中高一貫校に入学、6年間を過ごす。
大学受験にて医療系学部に進学、在学中は勉学の傍、家庭教師として小学生から中学生までの多数を指導。
海外旅行を好み、卒後、数年働いて後にはカナダに半年留学。
医療系に長らく従事し、現在は、医療、教育、語学ジャンルの執筆を主としたワークスタイル。
個性が全く違う、それぞれ可愛い二人の小学生のママでもある。
悩みをさらっとでも打ち明けられる親以外の大人がいた事で救われた過去から、自身も誰かのそういう大人になることを心に誓い、細々ながら活動中でもある。

 
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