子育て・教育

千葉商科大学、改革秘話。島田晴雄先生が押したやる気スイッチ

2020.04.28

千葉県市川市にある千葉商科大学は、即戦力を備えた人材を数多く輩出する、歴史ある大学です。かつて低迷していた同大を大きく生まれ変わらせた「大学改革」の立役者となったのが、当時学長を務めた島田晴雄先生です。大学を動かし、学生を動かした、やる気スイッチの入れどころをうかがいました。
 

 

島田晴雄(しまだ・はるお)

日本を代表するエコノミストの一人。東京都公立大学法人理事長、慶應義塾大学名誉教授。前・千葉商科大学学長。専門は、労働経済学、日本経済論、経済政策。近著『日本経済 瀕死の病はこう治せ!』(幻冬舎)。
1943年、東京都生まれ。慶應義塾大学在学中は、暗唱による英語の訓練を重ねて学内のスピーチコンテストに入賞。その後、全国ディベート大会への出場や、東京オリンピック大会での主要国団長付き学生通訳など、多彩な経験を積む。慶應義塾大学大学院修了後、フルブライト奨学金を得て、米国コーネル大学に留学。ウィスコンシン大学で博士号取得。
慶應義塾大学経済学部 教授、マサチューセッツ工科大学 訪問教授、ESSEC(経済経営グランゼコール)(フランス) 交換教授など歴任。小泉政権下では、内閣府特命顧問として政策支援に携わった。
国の内外に幅広い人脈とネットワークを持ち、そのバランスのとれた見識と率直な発言、そして魅力的な人柄には、経済界・労働界からも厚い信頼が寄せられている。学術研究の傍ら、新聞・雑誌・テレビなどでも活発な言論活動を行っている。

 
 
 

千葉商科大学が変わった瞬間


――千葉商科大学は、島田先生の手によって生まれ変わったと言っても過言ではありません。
先生が学長に着任される前、同大は定員割れが相次ぎ約9000万円の赤字でしたが、多くの受験生を集めて黒字化に成功しました。また、サービス創造学部などの学部新設も意欲的に行い、さらに就職率向上も実現。現在も、日本の数ある商科大学の中でもひときわ大きな存在感を発揮しています。

 

大学改革の起爆剤になったのは、大学の広報力を高めたことにあると思っています。大学において、広報はとても重要なものだからです。

 
千葉県市川市から、ビジネス人材を多数輩出している千葉商科大学
 

私がそれを認識するに至った一つのきっかけは、ビル・ゲイツです。千葉商科大学のウェブサイトには学長の部屋と呼ばれる広報ページがあって、私は毎回、自分の考えを発信していました。その最初のころに、ビル・ゲイツと私のツーショットが出てくるんです。彼とはこれまでにも交流があって、快く参加してもらえました。

当時、マイクロソフトはすでに大学広報向けのサービスを展開しており、同社の主要人物が勉強会を日本でやっているような状態でした。ビル・ゲイツの紹介で彼らと会議をする機会があって、そこで私は改めて確信しました。「広報というのは何よりも大事な仕事」だと。

 

ならば、責任者は、大学のトップがやらなければいけない。

ただ、そのころの広報責任者は、まだ課長にもなっていない女性でした。彼女の立場では、いくらウェブサイトを作って、各部署に情報を出してくれと言って回っても、なかなか集まりません。

そこで私は、彼女を呼び、こう言いました。

「あなたのこれからの発言は、私の発言だと思っていい。島田が言ったことだと、そういう気持ちでいていいよ」

そのうえで、教職員が集まるさまざまな会合で、学長としてこう言いました。

「これから、彼女は私の代理だからね。広報が大学の命なんだから、彼女が命令したら、私の命令だと思うように」

 

結果、その女性はものすごく変わりました。千葉県の新聞やテレビの支局など、メジャーなメディアに次々とプレスリリースを熱心に送ってくれて。メディア側も記事が足りなくなったときに「なら、千葉商科に行ってみようかな」となって、そこで「学生ベンチャー食堂」などを取り上げてもらえるようになりました。テレビの全国ネット番組でも紹介され、知名度がバーンと上がったんです。

 

ポイントは権威です。学校の全員に「この人は私だと思え」と言った。それで、彼女は仕事をしやすくなった。スイッチが入ったんです。

つまり「君がいなければ私はやれない」という感覚ですね。絶大な責任感・義務感が得られるのではないでしょうか。千葉商科大学にはもともと使命感の強い人たちがいて、私がそれを見抜いたというのも大きい。責任を与えて、その代わりに全面的に信頼する。何か間違えたとしても、批判はすべて私が受ける。だから、安心してやってくれというところですよね。

彼女をはじめ、私が任せた人たちは、見事にそれに答えてくれました。

 
 
 

学生ベンチャー食堂の立ち上げ


――先生が手がけた、とりわけ特徴的な取り組みとして知られているのが、学生が学生食堂の経営者を務める「学生ベンチャー食堂」です。これは、どのようなきっかけで始まったのでしょうか?

 

「学生ベンチャー食堂」とは?
千葉商科大学の公認のもと在学生が運営する飲食店。授業で学んだ理論を店舗の運営に活かし、実社会で役立つ経営の知識とスキルを身に付けてもらいたいとの大学側の思いから2011年4月に始まった取り組み。社会に出る前の多くの学生たちに起業のチャンスを提供している。

 

きっかけは、場所が空いたことです。キャンパスにはもともとマクドナルドが入っていたのですが、先方の経営方針の変化もあって、私の学長時代に撤退してしまったんです。

学生食堂は大学の競争力のひとつですから、これは一大事です。新しい食堂を立ち上げようにも、予算もなければ、ブランドもない。そこで私が考えたのは「学生にチャレンジさせよう」ということです。

 

学内で私の言うことは「えーっ⁉」って返ってくるのが常だったのですが、そのときもさまざまな意見が出てきました。「良いアイデアだ」「やらせてみたらいい」という意見から「できるわけがない」「問題がある」という意見まで。賛成意見はほとんどなかったのですが。

もちろん、問題は山ほどあります。食料を扱いますから、食中毒は防がなければいけないし、保健所とのやりとりもあるし、やってみたところで勉強と両立できなければ学生がつぶれてしまうし、問題だらけです。

 

しかし、そこで止まらず、とにかく「やる」のを前提に考えました。何をすれば実現できるのかを検討したんです。大学では、外注サービスや注文内容をチェックするセクションがあります。彼らが、学生たちの事業計画をチェックしたうえで、保健所や文科省の関係や、食品衛生責任者の資格などについてカバーするようにしました。

募集をかけると、学生が5~6人応募してきたんです。

それからは、事業計画の書き方を指導して、審査して、さまざまな準備をさせて。時間をかけて、最初のお店がオープンすることになって。

大事なのは、スタートの瞬間です。テープカットを学長の私が持って、食堂を立ち上げた学生が出してきた料理を食べて「うまいね」と、言葉にする。テレビ局や新聞社が来ていますから、全部見せて、学長自ら食べ、学生の肩を叩く。そういうふうにスタートしたんです。

いろいろなケースがありました。評判が良くてJR市川駅前に2号店を出せるようになったケースもあれば、残念ながら「こんなはずじゃなかった」となってしまったケースも。 いずれにしても学生は懸命に頑張りましたし、私たち大学側もフレキシブルに学生たちのサポートを行いました。

 
 
 

アジアの学生たちと討論する機会を提供


――ほかには、どのような取り組みを為さったのでしょうか?

 

アジア各国・地域の学生が集う「GPAC(Global Partnership of Asian Colleges、アジア学生交流会議)」に、千葉商科大学の学生たちを参加させました。

これは、学生たちの国際会議です。アジア各国・地域の大学生が集い、経済問題や環境問題などをテーマに、英語で発表・討論を行います。

もともとGPACは、1991年、私が慶應義塾大学の教授だったころ、韓国ソウル国立大学のミン教授と一緒に始めたものなんです。両国の学生が、冷戦が終わったばかりの良くない日韓関係を越えて、手を取り合ってもらえるように。続けているうちに、台湾が、ベトナムが、イスラエルがと続々とさまざまな国が参加するようになりました。

そんな集まりに、2008年から千葉商科大学も参加しました。

 

やってみさせて、応援したら、できるんですよね。もちろん、カバーはきめ細かく行いました。生徒が討論の場に向かっていく裏で、間違えることのないように300回くらいフォローのメールを送ったりなどですね。

学生たちはいろいろな壁にぶつかり、成長します。

例えば、ある学生は1年目にはまともに英語で喋ることができなかった。悔しい思いをしたのでしょうね、「勉強します」と言った彼は1年間しっかり勉強して、2年目には英語で発表ができるようになりました。しかし、質疑応答で答えることができず、棒立ちになってしまった。人前で恥をかかされ、悔しくて猛勉強して、3年目には立派に質疑応答にも対応できるようになった。その時は、私も目の前で聞いていましたから涙が出てきましたね。彼は卒業後、イースト大学に留学していきました。

 

チャンスを与えて、壁にぶつかって、それを乗り越えていく。そんな環境が、彼のスイッチを入れたのでしょう。

 
 
 

生きていくための「中国語」を学生たちに


――海外留学支援にも注力されたとうかがいました。

 

中国語のダブル・ディグリープログラムを発足しました。これは、千葉商科大学と中国の大学に同時に所属し、4年間で両方の学位を取得できるプログラム。上海の大学に1年間にわたって留学するほか、日本にいるうちも留学に備えた語学力や基礎知識などをしっかり学ぶことになります。英語のダブル・ディグリーは他大学でも多かったのですが、中国語は当時、ほとんどありませんでした。

 

中国は、いまは世界の超大国です。アメリカにGAFA(Google,Amazon,Facebook,Apple)があるように、中国にはBATH(Baidu,Alibaba,Tencent,Huawei)がある。圧倒的です。

これからの若者はバイリンガルではなく、トリリンガルでなければいけません。日本語、英語、中国語を使いこなし、中国人と渡り合っていかなければならない。特に、現場の最前線に立つ人材ならば。

 
日本の隣、世界を牛耳る超大国
 

では、学生たちのスイッチをどう入れるか。私がやったのは、自分で中国語をイチから学ぶということです。70歳になってから中国語を勉強し、入学式の式辞を中国語で行ったんですよ。70歳ができるのならば、学生はもっと早くできるはず。やるべきなんだと、学生たちに知って欲しかった。

そうしたら、その場に非常に熱心な中国人の先生がいて、上海の大学とダブル・ディグリーをしようという話が立ち上がったんです。学校をあげて何度もキャンペーンを行った結果、10人ほどが手を挙げてくれました。事前指導も手塩にかけて行いました。1年の留学期間、ほかの中国人学生たちと同じように授業で学び、中国語を聞き、質問し、レポートをまとめ、発表できるように。

 

――大きく改革を遂げた千葉商科大学。その根底には、まさに「島田流」があるのだと実感します。

 

やる気スイッチを入れるのはとても大変なことですが、重要なのは、チャンスを与えて応援することです。いわば、山本五十六です。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」。これらを全部、率先してやったことで、千葉商科大学は変わった。職員も、学生たちも、変わったと思っています。

 
全面的に信頼し、何かあればカバーする。やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてみせる。壁に向かってチャレンジし、時には失敗しながらも乗り越えていけるようにする、島田先生の「親心」がうかがえるお話でした。
島田先生は現在、東京都立大学理事長として、学生たちへの充実した教育機会の提供を行われています。今後のご活躍に、これからも目が離せません。
 
 
 
 

 

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この記事を担当した人

やる気ラボ編集部

やる気の出し方や、誰かをその気にさせる方法について研究しています。 ネットとリアルのあちこちから情報を集めて発信。 「むずかしいことをおもしろく」がモットーです。 http://www.jibunryoku.org/

 
 
 

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