仕事・働き方

【起業】サバに乗り、サバを歌い、サバに生きる男――サバ博士 右田孝宣(後編)

2019.06.18

オーストラリア修行で学んだ、ビジネスの知識

右田 転機は、ひととおり旅を終えてシドニーの町を歩いていたときです。回転寿司店「スシトレイン」のバイト募集の張り紙を見つけて、魚屋での経験を生かせるなと思い働き始めました。ちょうど、オーストラリアに渡って半年ほどのことでした。

 

町口 今では巨大チェーンの回転寿司店「スシトレイン」ですが、働いていた当時のことを教えてください。

 

右田 働き始めのころは、店のバックヤードに入って、ロボットから自動的に出てくるシャリの上にセントラルキッチンで切られたネタをのせるといった仕事をしていました。

シドニーはオーストラリア有数の港町だ

右田 とは言ったものの、次第に「このままではいけないな」と思うようになったんですが…。

 

町口 そうなんですか? どうしてでしょう?

 

右田 一緒に働いていた従業員の中にプロのラグビー選手がいたんです。彼、ラグビーの収入一本では生活できなくて「スシトレイン」で働いていたんですね。収入を得るにはより上位のリーグにのしあがらなきゃならない。だから限られた時間をやりくりしながら仕事をして、練習もして、試合にも出ていました。仕事の休憩時間だって筋トレをしていました。どれも全力です。
 ひたむきに夢を追いかける彼の姿を見せつけられて、そして「僕はなにをやっているんだ、いったいここに何しにきたんだ」と我に返ったんです。
 そして、一念発起で本部シドニーのフランチャイザーの社長に自分を売り込みました。「僕にさばけない魚はない」と。すぐに「面白い」と社長に気に入られ、本部で働かせてもらえるようになりました。

 

町口 そこで、さまざまな経験をされたんですね。

 

右田 社長のかばん持ちからのスタートでしたが、ここで2年間ほど、商才ある社長のもとで物件調査の仕方をはじめ、商品開発や店舗作り、販促のノウハウなどを学ぶことができました。
 例えば、ビーチ沿いに寿司店を出していく際には、サーファーがサーフボードを担ぎながらスシを食べられる店舗を作ったり、回転寿司でいち早くエビフライなどの単品メニューを考案したり。さらに、「スシトレインデイ」と毎月半額で寿司が食べられる日を考えたりとかも。社長は、自ら独自性を出して他店との差別化を図るといったビジネスモデルを当時から展開していました。

 

町口 学んだことは、いまの仕事にも役に立っていそうですね。

 

右田 今の僕がやっていることは、当時の社長のやり方をまねているところが多々あるんですよ。 例えば、エリアごとの特色に合わせて商品づくりをしていた社長のやり方にならって、サバ料理専門店「SABAR」も店舗ごとに独自のコンセプトや限定メニューなどを際立たせるようにしています。


“サバ一筋” に決めた瞬間

町口 オーストラリアのときの経験が今につながっているのですね。そんな中、サバ料理にこだわった理由は何ですか?

 

右田 オーストラリアで働いていた時、酸っぱくないシメサバを開発したのがきっかけです。シメサバのにぎり寿司として出したら、現地のお客さまから思いのほか好評だったんです。
 やがて26歳で帰国後、30歳になって妻といっしょに小さな居酒屋をはじめました。最初はサバのほかにもいろいろな魚を扱っていたんですよ。ただ、そこで先ほどの「右田流サバ寿司」を提供してみたらこれが売れて。
 そこがターニングポイントになりましたね。ある日、妻から「サバで頑張ってみたら?」と勧められたんです。「あんたが作れるおいしい料理は、サバ寿司だけだよ 」と――。“サバ一筋”でどこまでできるかやってみようと決めた瞬間でした。

 

町口 サバ寿司専門「鯖や」誕生ですね!

その日、社長は運命に出会った。
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