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親子で学びたい。我が子に伝えたい。そんな気持ちになれる、やる気が出てくる世界の言葉。歴史上の偉人や名著からピックアップ。その言葉はどうして出てきたのか、お伝えしていきます。
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何事においても、夢や希望を語った時に、応援する声ばかりでなく、踏みとどまらせるような、また否定するような、ネガティブな声かけはよくありがちですよね。そして知らず知らずのうち、せっかくのやる気が削がれ…。
そんな場面、親はどんな言葉をかけるべきでしょうか。
今回はお子さんの、自分を信じ抜く勇気を引き出す名言です。
When someone tells you no, that is just the beginning.
The art of overcoming the word no is something you must master.
誰かに「ダメだ」と言われたとしても、それは最初の一歩にすぎない。
習得しなければならないのは、その「ダメだ」と言うことばに打ち勝つことだ。
――ジェームス・クック
これは、イギリスの海洋探検家、キャプテン・クックの通称で知られるジェームス・クックの言葉です。
クックは1728年に貧しい家に生まれ、父の雇い主からの学資で学校に通いました。13才から仕事に就きましたが、海が好きだったこともあって18才で船員に。操縦に必要な勉学に励んで、27歳で航海士となりました。その1ヶ月後には英国海軍に志願し水兵になり、瞬く間に航海士に、そして29歳で航海長になりました。
1768年にはエンデバー号の艦長となり、金星の太陽面通過の観測に最適とされたタヒチに向かう航海に乗り出します。タヒチで金星の観測を終えると、航海のもう1つの目的、海洋上の新しい大陸を発見するために航行を続けます。
そしてニュージーランド沿岸からクック海峡に至り、オーストラリアの東岸も発見。ニューギニア島やジャワ島などの海域調査も進めながらインド洋を横断。ケープタウンを北上して1771年に帰国――
世界一周の初航海を終えました。
1772年には南極大陸発見のために2度目の大航海に出発、ヨーロッパ人として初めて南極圏に突入し、南極海域から南太平洋を調査しましたが、南極大陸の発見には至らず1775年に帰国しました。
こうして南半球の太平洋の調査を終えたクックは、1775年には北半球の太平洋の調査を目的として3度目の大航海に出発します。
ハワイ諸島から北米大陸西海岸沿いに北上、北極海に至りますが、北極海での過酷な航海で船の修理と休養とが必要になり寄港したハワイ諸島で、原住民とのいさかいにより命を落としました。
最期こそあっけない死を遂げたクックでしたが、太平洋の大航海で数々の発見をした人物として現在まで語り継がれています。
クックは当時、誰も挑戦したことのなかった航海を3度も計画、実行しています。
計画を聞いた誰もが、「そんなこと実現できるはずがない」「無理だ!」「ダメだ!」「やめておきなさい!」と反対してきたようです。
その度にクックが思い浮かべたのが、この名言だったのでしょう。
自身の挑戦の前に立ちはだかる人々からの「ダメだ」という言葉に打ち勝ち、自分を信じて航海に乗り出したクックだからこそ、後世に名を残すまでの偉業を成し得たのでしょう。
初めての挑戦や、他人から見て不可能に思われること。それには応援してくれる人もいる一方で、必ずと言っていいほどに、「やめておいたほうがいいよ」「ダメだよ」「無理だよ」といったネガティブな声かけがあるものです。
そこには往々にして「あなたのために」といったニュアンスが含まれます。そのせいで「そうなのかな」と挑戦をやめてしまう人も少なくありません。ですが、自分のことを一番わかっているのは自分です。自分がしたいことを一番わかっているのもやはり自分。
そんな時に、周囲の反対に打ち勝ち、自分を信じ抜く勇気をくれるのがこの名言なのです。
参考文献
https://archives.bs-asahi.co.jp/bbc/tr_07_02.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・クック
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この記事を書いた人
天久 美海(あめく みう)
中学受験にて私立女子中高一貫校に入学、6年間を過ごす。
大学受験にて医療系学部に進学、在学中は勉学の傍、家庭教師として小学生から中学生までの多数を指導。
海外旅行を好み、卒後、数年働いて後にはカナダに半年留学。
医療系に長らく従事し、現在は、医療、教育、語学ジャンルの執筆を主としたワークスタイル。
個性が全く違う、それぞれ可愛い二人の小学生のママでもある。
悩みをさらっとでも打ち明けられる親以外の大人がいた事で救われた過去から、自身も誰かのそういう大人になることを心に誓い、細々ながら活動中でもある。